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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(183)

 

 まわりの状況被害問題、何も省みることのない、どころか端にでも気にしている様子すら見えないカレンは、綾香に向かって身体を素早く左右に振りながら距離を詰めていく。

 カレンほどの体格で、砂に脚を取られない程度のこと、程度と言っていいのかどうかは微妙だが、ではすでに驚きはしない。カレンならばそれぐらいはやってくるだろう、と先ほど会ったばかりの葵ですら考えていた。むしろ、感心するのはその前進の動きだ。

 ただ前進しただけでは、綾香だけではない、打撃格闘家全般に対して、あまり有利には戦えない。波の選手であればまだいいのだろうが、カレンが相手をするのは、誰もが一流の選手ばかりのはずだ。であれば、その打撃精度は恐ろしいものだろう。うかつに近づけばあごやテンプルに一撃受けるかもしれないし、攻撃をすれば反対にカウンターを合わせられる可能性も高い。

 だが、身体を左右に振るだけで、少なくとも頭部に対する打撃精度はかなり落ちる。決まった動きならば、多少の難易度はあれども何とかなったかもしれないが、カレンの動きは一定ではなく、多少見ただけでその動きの癖を読むのは不可能だろう。動きが読めなければ、カウンターなど合わせられるわけもない。そもそもカレンは一流の選手なのだろうから、ただでさえカウンターを取るのは難しいのにだ。

 左右ジグザグに砂の上を素早く動くカレンは、なるほど一直線に綾香に向かうよりも時間はかかるだろうが、それでも十分に速いのは変わりがなく、左右に揺れる身体はいくら的が大きくても、前述のように狙いが非常につけにくくなる。相手からすれば、打撃精度が落ちるのは避けられないだろう。

 まして、カレンの身体は見事なまでに鍛え上げられている。それこそ見惚れるほどだ。急所に入らない打撃で、大したダメージが与えられるとは思えなかった。

 いくら綾香が強かろうとも、相手が打撃精度を落とすように動いてくれば、当たり前だが打撃精度は落ちる。人よりも高い打撃精度だって、所詮は相対的なものだ。動いているものよりは止まっているものに当てやすいのは綾香であろうと変わりはない。

 これが、綾香に対しての作戦であるかどうかはわからないが、それでも綾香には効果的と言っていい動きだろう。十二分に実力があること、綾香の打撃であろうとも、急所でさえなければそう問題ではないだけの身体のポテンシャル、そして何より、その動きは距離をつめる速度は落とすが、例え速かろうとも綾香に対してはあまり意味もない。であれば、距離を一定に保って綾香の打撃精度を落とすことに集中した方が有利なのだ。

 身体を左右に振ることに問題があるとすれば、やはり多少なりとも自分の身体も揺れるので、相手と同じほどではないにしろ、打撃精度が落ちるだろうこと、上半身だけなのでローキックや腹部への攻撃にはあまり意味がないこと、後はカレンのような体躯であれば余計に、スタミナに問題が起こることだろうか。唯一スタミナのことを言えば身体の小さい葵には有利に働くことだが、1ラウンドや2ラウンドで、カレンがばてる姿を想像できないのはどうしてなのだろうか?

 単純なスピードがある選手ならば、そもそも綾香とよく練習をしているし、浩之も格闘技の実力はともかく、瞬発力に関して言えば天性で備わったものが違う。だから葵はただスピードや瞬発力、という意味で優れた相手と練習はしている。しかし、こういう試合で使う細かいが、決定的だったり致命的だったりする技術に関しては、試合の経験が少ない葵にはどうしても経験が不足し、だからこそ攻略が難しい。

 こういう動きに葵が不安を感じるのは、多少なりとも、綾香にも責任がある。あまりにも綾香が自分のスピードに自信があり、一直線な動きを多様したのがその一因になっているのだ。綾香自身は細かいテクニックも使えるし対処もできるが、相手をしている葵には、その経験を積む機会がなかったのだ。

 だからこそ、葵としては、このどういう理由で始められたのかも分からない戦いを、ちゃんと見て、そして対策を練るなり自分のものにしようとしていた。カレンが試合でもないのに、ただで技を見せてくれる、何せカレンは同じ大会に出る葵に対して見るなとも言わないのだ、のだから、見ない理由がない。

 カレンは、身体を左右に振るのを持続しながら綾香との距離を詰めると、非常に遠い間合いから、ジャブを放っていた。

 シュバッ、と風を切って左のジャブが、綾香の顔目がけて放たれる。プロのボクサーでも当たることを前提として作戦を組まなくてはならない、とすら言われる左ジャブ、カレンがボクサーよりもパンチスピードが遅いとは葵には見えない、を綾香はなめらかなスウェイで避け、左ジャブは空を切った。しかしこれは綾香に攻め気がなかったからの回避であろう。もっと懐に飛び込んでいれば、回避はできたかもしれないが、確実とは言えなかっただろう。まあ、そのときはそのときで、綾香はまずいと思えばガードなりするだろうし、攻撃側のカレンも、懐に入られてまでジャブを使おうとは思わず、もっと致命的な打撃を使っていただろう。

 しかし、ジャブというものは基本的に牽制で距離を取ったり、相手との距離を測ったり、相手の顔を腫らせて視界を遮る、などの手段で用いられるものであり、どれもある程度の打撃の技術と長期戦を見込んでの動きがあればこそで、ケンカで使われることはない。もちろん、プロのボクサーのジャブは素人には十分効くが、二人はそういう低いレベルではない。

 そう考えれば、やはりカレンはいきなり戦いを始めたとしてもプロの格闘家であり、これもケンカなどでは決してなく、始まりは一方的であっても、それこそ組み手という意味からは逸脱しないものなのだろう、と葵は少しばかり胸をなで下ろす。相手は綾香であり、そこまで心配するほどのことではないのだが、やはりそれでもエクストリームの出場選手とケンカ、となれば色々とまずい。

 ちなみに、組み手だって良くはないのではないか、という意見はこの際気にしないことにした。葵は細かい人間ではないし、細かいことを言っていては、綾香とは付き合えない。

 少なくとも、カレンには綾香に何か恨みがあってやっているわけではないのは間違いなさそうだった。感情にまかせるには、カレンの動きは丁寧過ぎる。

 そう、勢い勇んで戦いを始めたカレンだが、自分から攻めを開始はしたが、距離を詰めた後は、丁寧ににジャブを打って綾香の前進を牽制しながら距離を測っている。綾香も蹴りを放てば届く距離とはいえ、パンチの届かない距離での攻防は、カレンの一方的な距離だった。

 バシュッ!!

 そうやって丁寧に距離を測っておいて、打つ、と思った瞬間にはカレンの右ストレートが綾香の顔の横を突き抜けていた。肩の入った威力の高いであろうそれは、だからこそ綾香にも葵にも察知されたわけだが、威力もさることながら、肩から突き抜けた後の戻りも速く、打った瞬間にもまったく体勢が崩れないところなど、非常に洗練された一撃だった。

 というか、明らかに本番で行うべきパンチであり、組み手で防具もなしに打つような打撃ではない。危険過ぎる。

 そのストレートを合図にするように、カレンは一度綾香から距離を取った。綾香も、それを追わない。手の届く距離でカレンと対峙するのは、綾香にとってすら危険が多いのだ、今の攻め気のない綾香が、手の届く距離を保っておく意味がない。

「サスガはアヤカデス。弱い選手ならば、今のでフィニッシュデス!」

「あのねえ、んなわけないでしょ」

 綾香はカレンの勝算を切って捨てる。まあ確かに、一般人や玉石混合の大会であればともかく、全国で予選が行われるような、そして優勝者が綾香やカレンのような、大会自体のレベルが高いエクストリームに出るような選手では先ほどの攻防で倒されるような者はいまい。先ほどの攻防は、「その程度の」という枕詞がつくようなレベルの低いものではないが、大会のレベルで言えば、あの程度やれなければ勝ち抜くことなどまず不可能だろう。

 そう感じる葵の感覚は、事実なのか、それとも綾香を見過ぎて感覚が狂ってしまったのか。唯一はっきりしていることは、まわりから見ているという有利はあれど、葵がカレンのストレートを察知できたということだ。

 結局、自分が戦う葵としては、自分が対処できること、それが何より重要であった。

 

続く

 

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