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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(185)

 

 綾香が自然な半身の構えを取り、軽くステップを踏み出す。カレンと戦う気を出したということだ。

 綾香はもちろん規格外に強いが、リーチの点から言えば、綾香に勝る選手というのはそれこそ吐いて捨てるほどいる。体格の有利というものはそれはもちろん貴重な才能ではあるが、高い位置まで来る選手であれば、持っていない者の方が少ないのだ。

 体格という利点がない綾香は、リーチのある選手と戦うときは、フットワークでその距離の差を縮めなければならない。だから綾香がベタ足で相手にひっついて戦う姿など葵は見たことがないし、有利不利で言えば当たり前のことだ。

 身体が小さい、まあ葵ほどではないが、ということは、動くためのスタミナが少なくて済むということなので、常時フットワークを使用していても問題ないのだろうが、しかし、完全な打撃系の試合ならばともかく、総合格闘技で腰の浮くフットワークは危険過ぎる。タックルの餌食になるからだ。

 しかし、綾香がほとんどそのフットワークで並み居る相手を打撃系だろうが組み技系だろうが関係なく倒してきたのだから、一概に不利とは決めつけられないのかもしれない。

 実際のことろ、綾香はフットワークを使わなくても他の技術で戦えるのだから、厳密にはフットワークで戦えていたわけではないのかもしれない。葵が気にしているのは、葵が見た中では一番リーチのありそうな選手であるカレンに、フットワークで渡り合うことができるか、という点だ。

 そういう意味では、綾香は目に見えるようにわかり易くそれを実践しようとしているとも言える。綾香がカレンに対して勝負にならない、などとは葵は微塵も思っていない。

 高校の部と大学の部の差は大きい、と考えるのが普通なのだし、葵だって他のことであればそう考えたのだろうが、いかんせん、相手は綾香だ。そんな常識を持ってくる方が馬鹿らしい。

「ふっ!」

 それが証拠に、何の気負いもないままに、綾香の左ジャブが一閃されていた。カレンほどの相手であろうと、綾香が気負うことはないのだ。

 そのジャブを、カレンは避け難そうに、しかし避ける。距離があったというのもあるが、しかしそれならば綾香が先に手を出せた意味がわからない。同じ距離を詰めれば、カレンの方が先に手を出せるはずなのだ。

「サスガ、デス!」

 カレンは、実に嬉しそうに笑うと、まるで綾香の攻撃に応えるかのように左、右、そして振り上げるような左ハイキックのコンビネーションを繰り出す。

 リーチも速度もあるそのコンビネーションを、綾香はスルスルと身体を揺らすようにしながら全部避け、後ろにも下がらない。が、それをそのまま許すカレンではなかった。

 左ハイキックが突き抜ける、かと思った瞬間には、宙で脚が止まり、上から踵落としのような体勢で、袈裟切りに振り落とされた。

 避ける場所のないそれを、さすがに綾香は後ろに下がる、が、それはあくまで回避のための後退であった、カレンの脚が通過した瞬間に、前に出る。その前進の勢い、というよりも体勢を利用して、攻撃を放ったことによって動きの取れなくなったカレンの軸足、右脚に向かってローキックを放った。

 これは避けれない、と葵は感じたのだが、カレンも同じことを考えたのだろう、だからこそ、避けなかった。綾香のローキックをもろに脚に受ければ、いくら体格に恵まれていようとも関係なく致命的であることを、もしかすればカレンは葵よりも熟知していたのかもしれない。だからこその、回避拒否だ。

 回避できないのならば、相手に攻撃の手を止めさせればいいのだ。

 綾香は、ローキックを放った体勢を崩して、カレンが振り下ろして来たハンマーナックルを、避ける。

 攻撃が避けれないのならば、避けなければいい。同じだけ、またはそれ以上のダメージを相手に当てれば問題ない、とカレンは判断したのだ。それは、葵には選択できない選択肢だ。体格で恵まれていればこそ、その体格から来る打たれ強さがあればこそ、綾香相手にそんな選択肢がありえるのだ。

 そのまま攻撃を続ければ、一体どうなっていたのかは、葵にも判断できない。綾香であればローキックをそのまま放ちながらカレンの攻撃を避けるなりガードなりできていたかもしれないし、カレンはカレンで、避けまではしなくとも、ダメージを減らす動きはしていたのかもしれない。その結果、どちらにプラスになってどちらにマイナスになるのか、葵には、いや、やってみて結果を見ない限りは誰にもわからないだろう。

 それが、一瞬の攻防の中で行われるのだ。先ほどの二人の攻防にかかった時間はほんのわずかであるのに、その僅かな間に何個の攻防があっただろうか。

 その中で、綾香はローを当てるメリットよりもハンマーナックルを受けることの方のデメリットが大きいと、その一瞬で判断したということだ。

 さすがというべきか、やりすぎというべきか。そもそも、綾香の最初のジャブからしてすでにレベルがおかしかった。

 綾香がたまに技の入りに使う、相手の意の隙を突く打撃だ。人間というものは常時集中しているわけではなく、断続的に集中は途切れている。本人にも自覚できないその僅かな隙を、綾香は突いている……らしいのだが、葵には正直本当に綾香がそういう技術を使っているのかはよくわからないし、正直今後もできるようになるとは思えなかった。

 ほんの僅かな差ではあるが、リーチの差だってほんの僅かな差なのだ。綾香にとっては、リーチの差は他のもので補えないものではない、ということだ。

 しかし、この点に関しては、葵にとっては参考にならない。天才が天才の感性だけで行っている技術、というかそれを技術と言っていいのかどうかすらも怪しいそれを、真似ることができる者は……もしかしたら浩之ならできてしまうかもしれない、と思わせるあたり、天才はやはり危険だ。

 それよりも凄いのが、その綾香の地味ではあるがスペシャルな技術を、先ほどの攻防では使わなかった、ということだ。技の入りでないと使えない、という制限も本当にあるのかどうかは葵にはわからないが、先ほどの攻防は葵でも参考にできる、と思いたい。

 いや、できるできないではない。確かに綾香の動きはよかったが、その動き自体は特別なものではなかった。

 相手のコンビネーションの避け方、その後の不意の連撃に対してもぎりぎりの距離で避けての、相手の避けきれない打撃。最終的にローを断念するしかなかったとは言え、その断念する選択まで、全て葵がカレンほどの体格の大きな相手と戦うときの参考となる。

 ……というよりも。

 もしかして、綾香さんは、私のためにカレンさんと戦っている?

 確かに、綾香の体型は、葵よりは良いとは言っても、カレンと綾香の体格差、という意味では綾香と葵は似ていると言っていいだろう。

 葵には、決定的に試合経験が少ない。綾香は、そんな葵のために、体格の大きいカレンとの戦いを見せてくれているのではないのか、と葵は感じた。

 それが本当かどうかはわからない。むしろ、葵が考えすぎているだけのようにも思える。

 それが証拠に、少しだけ、綾香が楽しそうに、葵には見えたのだ。

 

続く

 

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