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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(186)

 

 カレンの心構えができてない、などということはないのだろうが、まるでカレンに抵抗を許してないかのごとく、綾香の身体はカレンに肉薄していた。リーチが長いカレンが、それをほとんど生かせていない。

 適切な距離を保って戦うのならば、リーチは勝敗をわけるものであるが、その適切な距離を一瞬でなくせる者相手では、正しく有効に使うというのは不可能だ。まあ、カレンの動きを見る限り、低いどころか、綾香や坂下と同じレベルであるように見えるので、それはもう綾香が凄すぎるだけなのだろう。

 自身、プロフェッショナルと公言し、エクストリームで優勝しており、おそらくは他にも大会に出ているだろうカレンを捉まえて、低いと言えるのは、せいぜい綾香ぐらいだろうし、その綾香が、低い、などと一言も口にしていない。

 葵は少し考え違いをしているが、リーチはもちろん重要であり、葵が持ってないからこそ、余計にそう感じるのだろうが、小兵の方が速度があるのは事実なのだ。正直、スピードよりもリーチの方がいついかなる状況でも使えるからこそ汎用的に有利ではあるが、スピードを有効に使える状況であれば、決してリーチに劣るものではない。

 もちろんそれは、綾香ほどの、そして葵ほどのスピードがあればこそ、ではある。そういう意味ではスピードとリーチの点で言えば、理想は浩之なのかもしれない。まあ、浩之には圧倒的にパワーが足りないので、有利な点をちゃんと活かすことができないのだが、それすらももう時間の問題とも言える。

 綾香がカレンとの距離をつめると、ジャブともストレートともつかない連打を繰り出す。例え連打であろうとも、一発当たれば必倒のそれを、カレンは丁寧に内に受け流す。綾香と比較してスピードに劣るとは言ったが、それでもカレンのスピードはかなりのものだ。その身体から考えると信じられないスピードで動くというのに、攻撃を受けるばかりで、回避を行おうとしない。

 それを見て、葵はおや、とひっかかるものを感じた。それは、思考の先に出てくるなりに、すぐに氷解した。何せ、最近の葵は、綾香のことと浩之のことしか考えていないのだ。

 カレンが、思いの外、というよりもかなり、綾香と戦い慣れていることに気付いたのだ。

 綾香の打撃を避けるのは至難ではあるが、避けて有利な位置を取らないと反撃などできない。避けることができたとしても、そのまま攻撃を許していればいつかは捕まってしまうのだ。

 しかし、綾香の技は、それを許さない。避けるのはいい。実際、高いレベルになれば受けというものはほとんど見なくなり、回避と打撃精度を殺すガードの応酬になるのだ。いくら人間が出せる打撃の破壊力が人間の防御力を超えるとは言っても、それはあくまで万全の状態で熟練者が打撃を、静止しているものに繰り出したときの場合だ。

 格闘家が全力で動いた場合に、それに打撃を当てるのは至難の技だ。まして、それに必倒の威力を込めるなど、不可能に近い。その不可能に近いことを、打撃格闘家は行える。しかし、それすらも打撃精度、つまりある一点にしかその結果を出すことができない。だから、わざわざ受ける必要などなく、ガードしてその一点さえ無効化してしまえば少なくとも倒されるようなダメージにはならないのだ。まして、グローブをつけていた場合は、表面の破壊が非常に難しくなるため、余計にそれが顕著になる。

 であれば、最低限の動きでいいガードか、自分が有利な位置に立てる回避が選択肢として残るのは必然だった。しかし、綾香に対して回避は危険だ。回避して懐に入り込んだ、と思った瞬間に見えない位置から後頭部に向かって繰り出されるラビットパンチが、相手に回避という選択肢を危険なものへと変化させる。

 だから、対綾香用に特化した坂下は、避けない。受ける、流す、はじく、そうやって綾香の拳を後頭部が狙える箇所に行かせない。もちろん、それを総合格闘技でも十分に効果が発揮するほどに練ったからこそ、綾香と戦えるわけだが、綾香の代名詞とも言えるラビットパンチを封じる、までいかなくとも難しくさせるのは確かだ。

 そういう意味では、どんな技でも真似て自分のものにする、まだ不格好ではあるが綾香のラビットパンチですらだ、浩之が、その中でも寺町の後輩、中谷の、相手の打撃を打撃で撃ち落とす技を頻繁に使って練っているのは必然とも言える。浩之自身は綾香に有利だから使っているという意識はないのだが、葵はそう思っていた。

 過去、ラビットパンチを切って落とそうとした選手は多い、何せ使ってくるタイミングや読み易い、というよりも綾香の技の中では唯一と言ってすらいい固定された技なので、狙われるのは当然だった。そして綾香はそれをことごとく真正面から撃破してきた。結局、ラビットパンチに対する正しい対応は、ラビットパンチが出せるような体勢に持っていかせないことなのだ。

 丁寧に綾香のパンチを下に内に、と広げないように受け流しているカレンは、明らかに対綾香用の戦い方を心得ている。まあ、プロというからには、当たる可能性のある選手はすべからく研究しているのだろうが、ほとんど完璧な対応は、例え研究したからと言ってもそうそうできるものではないように葵は感じていた。

 実のところ、その葵の意見は正しい。そう、カレンはもちろん綾香のことを研究しているが、それ以上に、対応できるほど、綾香と対戦しているのだ。公式戦ではまだ一回も当たったことのない二人であるが、戦った回数は、同じ国に住んでいないことを考えるとかなり多い。それこそが、綾香がカレンと戦うことを忌避する本当の理由なのだが。

 いくら綾香でも、受け流されれば、どうしても隙が生まれる。いや、綾香も坂下というレベルの相手との対戦があるからこそ、その飛び抜けたバランス感覚で、受け流されたぐらいではそう簡単に隙を作ったりはしないが、それでも全てに対応できるものではない。

 数瞬、という時間ではあるが、綾香の腕の戻りが遅くなる。それを、カレンはまったく見逃さなかった。

 ジュバッ!

 受け手がそのまま綾香に対して繰り出される。それは坂下の使う交差法に似た動き、いやそのものと言ってもいい。体格が大きいからこそ、手打ちのそれであっても十分な威力、少なくとも相手に多少のダメージを当てるだけの重さを持ったそれを、綾香は後ろに避けるしかなかった。

 今度の攻防は、綾香の方がやや不利な形で止まる。これは、綾香相手に受け流しを成功させたカレンの技術を褒めるべきであろう。綾香の打撃をさばくことだけでも凄いのに、それに反撃を混ぜるなど、エクストリームにも一体何人いるものか。まあ、それができる坂下が、やはり凄いのだろうが。

 カレンは、確かに恵まれた体格を持っている。大きな身体が生む力と、そこにあるだけで脅威であろうリーチは葵にとっては望んでも手に入らないものだ。だが、カレンが決して体格だけで戦っているのではないのは、先ほどの攻防ではっきりした。距離を取ってリーチぎりぎりで戦うのならばともかく、懐に入って来た綾香の打撃を受けでさばいてみせたのだ。これ以上の証明があるだろうか?

 カレンほどの選手が、防御に徹して、隙ができるまで粘り強く辛抱強く守りに入った場合、そもそものリーチと体格に差がある綾香では、つまり葵では、一体どうすれば戦えるのだろうか?

 答えは、実に簡単だ。

 手など、ない。

 

続く

 

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