でも……この組み手、どうなったら終わりなんでしょうか?
正直、この二人の組み手、と言っていいのかわからないが、この戦いを見るのは、葵にとっては非常にためにはなる。しかし、忘れてはいけないが、ここはエクストリームの本戦でなければ、そもそも組み手をするような場所ですらない。早朝の海岸でこんな高度が組み手がやられていること自体がおかしいのだ。
この二人におかしいなどと言ってもそれこそ今更だが、正直、始めてしまった以上、どこかに落としどころをみつけなければならない。でなければ、二人は行くところまで行ってしまうだろう。それが良いか悪いかで言えば、悪い。もっと言えばもったないない。エクストリームの決戦で行われたっておかしくない二人の戦いが、ここで始まって、ここで終わってしまうのは、あまりにももったいない。
二人もそれぐらいのことはわかって……いるとは、葵には言えない。さっき初めて会ったカレンにですら、それを望むことができないというのは、本当に狂っている。自分でプロフェッショナルとか言っていたのだが、プロフェッショナルは試合でないこんなところで全力を出すことを良しとするのか。
いや、この二人が本気を出している、とは葵だって思ってなどいないが。
それが、一番恐ろしい。葵が見てもついていけないのではと思う攻防が、まだ二人にとって本気ではないだろう、まだまだ遊びの範疇であろうということが、怖い。さらに言えば、いつ二人が本気を出してしまいかねないのが、怖い。
これだけ強いのに、二人には安定という言葉が似合わない。いや、強さ自体は上で安定している。むしろ下に行くことなどできないぐらいに安定している。しかし、大人げない、という部分で言えば、それはもう完璧に安定している。悪い意味で。
葵が二人を止められるとはとても思えないが、しかし、ここで二人のどちらかが、いや、おそらく出すのであれば二人同時になるのだろうが、本気を出したのならば、葵としては自分の身を省みずに止めるつもりだった。正直、葵がそこまでやれば止まってくれる、と思うのだが、そこもあまり信用できないのが怖い話だ。
そう思っている間に、二人はめまぐるしく攻防を繰り返し、静かに高度な戦いをし、そして葵はそう考えながらも一つも見逃すまいとしている。
早朝とは言えそれなりの人通りがあり、遠巻きに二人の組み手を何事かと思って見物している人間もいるが、綾香はそういうことをほとんど気にしないし、カレンも同じのようで、葵はさすがにまわりのことを気にしている余裕はなかった。だからこそ、近づいてくる気配に気付けなかった。
綾香ならば、気付けたかもしれない。しかし、お互い本気を出していなかったとは言っても、綾香にとってカレンは集中せずに組み手ができる相手ではなかった。
「……おい、綾香、一体こんなところで何やってんだ?」
「え?」
「n?」
「あ……」
いきなり横から話しかけられて、三人がそちらに気を取られた瞬間、綾香は振り払うように拳を出したところで、カレンはそれを避けようとしていたところだった。
三人が三人とも目をそらした。それ自体は問題なかった。そもそも、このとき綾香にもカレンにも相手を倒そうという気持ちはなく、お互いに攻防の中の一つの牽制とした動きだった。だから、本当ならばそれは当たらないはずであった。というよりも、目がそれたことよりも、気の抜けたことによる打撃の威力の低下は、当たっても問題ないほどに綾香の打撃を弱めていたはずであった。
ピシッ!
「Ouch!」
軽い音とはまったく違った、大げさなカレンの悲鳴があがる。
お互いが目を離したせいで、綾香の拳には力が入らなかったが、カレンは綾香の軽いパンチを避けるのを失敗したのだ。いや、普通であれば当たってもまったく問題なかったのだろうが、一つだけ、間が悪いことがあった。
カレンの格好だ。ビキニの水着にパーカーという、まったく戦いには向いていない格好をしていた。それがまずかったのだ。
パーカーは多少動きを阻害するかもしれないが、動き易いと言えば動き易い。羞恥心さえ考えなければ、服の布が少なければ少ないほど動き易いものだ。
しかし、カレンに限って言えば、そうも言っていられない部分がある。それは、その豊満な胸だった。
女性の胸というのは、基本的に動きの邪魔になる。それよりはよほどサイズの小さい、大きい人がいるかもしれないが普通は容積的には小さいはずだ、男のアレだって動くのには邪魔なのだ。カレンのそれは非常に大きい、つまり重く出っ張っているのだから、動きを阻害するのは当然だ。
運動をする女性が胸を固定しておくのはしごく当然のことだ。何せ胸自体には骨も筋肉もない。激しく動けばそれだけで痛いものなのだ。
試合であれば、カレンはそれを専用のサポーターで押さえている。だが、さすがにビキニの水着ではその効果はなかった。だから、試合よりはカレンの胸は前に突き出していたのだ。
それでも、ちゃんと集中していれば大丈夫であったのだろうが、綾香とカレンがお互いに気をそらした結果、綾香の気のないパンチが、カレンの胸の先端を叩いたのだ。
カレンが胸を押さえて痛がっている。ただでさえ大きな胸が、押さえつけられて物凄いことになっているが、それどころではなかった。痛みで動けなくなる格闘家はどうかと思うが、カレンがそうなるのも当然とも言える。
チェーンソーとイチモンジの試合でもあったが、胸は急所なのだ。女性のそれには、骨も筋肉もない、脂肪と神経の塊なのだから、どれだけ鍛えたところで打たれ強くなりようがないのだ。乳首に関して言えば、それは男だって急所だ。指で乳首を刺されれば、それで人は悶絶するだろう。
「えーと、ごめん」
別に戦っていたのだから悪くはないし、そもそもわざとではないのだが、綾香もカレンがあまりにも痛がっているので、ぽりぽりとほほをかきながら、一応謝る。
「酷いデス! 試合の格好ではないのを突くなんて卑怯過ぎマス!」
「わざとじゃないし、だったら避ければいいじゃない」
一応謝りはしたものの、直接そう言われると綾香としても言い返したくもなる。
「いきなりアヤカがよそを見るからデス! アレが東洋の神秘ヨソミデスカ? マンガで見まシタ!」
何を見ているのか色々問いただしたいところであるが、少なくとも東洋の神秘ではないと思う。
「それはこっちだっていきなり声をかけられたんだから、私のせいじゃないわよ」
この場合、誰が悪いというわけではないかもしれないが、今綾香が睨み付けている相手、つまり綾香に話しかけた人間が悪いとはとても思えなかった。
「えーと、それは俺が悪いってことなのか?」
しかし、まあそれもいつものことのように、言われた相手は苦笑するのだ。まあ、この程度のこと、いきなり話しかけた人間、浩之にとっては日常茶飯事なのだから、苦笑するしかない、とも言える。
少なくとも、浩之は悪くない、どころかよいことをしたと言ってもいい。浩之が話しかけたことで、こんな場所で起こるにはもったいなさ過ぎる戦いが、中途半端でも何であっても、終わったのだから。
続く