「綾香が目立つのはいつものことだけどさ……」
浩之は解散しつつある野次馬に視線を送りながら言う。
「また綾香、一体朝っぱらから何してんだよ?」
まあ、浩之にしてみても、何をしているのかなど聞くまでもないことなのだが。綾香が誰かといきなり戦っていることなど、浩之の生活としてはまったく珍しくない光景だった。綾香がどこかの誰かと頻繁に戦うのもさることながら、その場面に出くわしてしまう自分の運、どう見ても悪い方のだ、にため息もつきたくなるというものだ。
「つっても、外国人と戦うってのは見たことないけどな」
ぶしつけにならないように、カレンを浩之は観察する。日本人とは明らかに違う身体は、男である浩之からしてもうらやましいと思うほどだ。浩之とて日本人の基準から言えば横はいささか足りないものの、高さに関して言えばなかなかのものであるが、カレンの、欧米人の骨格と比べればやはり見劣りする。どちらが優れているというわけではないが、格闘家としては大きな骨格の方が優位を保てるのはほぼ間違いないことだ。
浩之としては、別にカレンに視線を合わせようとしたわけではなかった。だが、いきなり現れた綾香と親しい間柄に見える少年に注目するな、という方が難しい。カレンと浩之の視線が、ばっちりと合う。
「ハーイ!」
「あ、おはようございます」
気軽に手を挙げたカレンに対して、浩之は初対面の人に対する、至極まともな対応をして小さく頭を下げる。カレンがどこの国の人間だとか、まったく気にしている様子はなかった。
「あら、てっきり浩之のことだから、外国人に話しかけられたら、日本語が通じる通じない関係なしにてんぱって英語で話しかけるとか思ってたのに」
そういう態度をかなり期待していたのだろう、綾香は不満そうに言う。人を笑えなかったことに不満を持つというのも酷い話だが、それぐらいではへこたれないぐらいのことはすでに浩之は体得済みだ。そんな経験が多かったという涙の出るような裏話もあるのだが。
「何だよ、そのベタな漫画みたいな反応は。どうせ英語だろうと何だろうと外国語が話せないんだから、それよりはジェスチャーとかでコミニケーション取った方がいいだろ」
「何か慣れてるのね」
「ああ、うちの学年にはハーフの帰国子女がいるからな。英語で話しかけられるぐらいは慣れてるさ。もっとも、レミィのやつは日本語かなり話せるがな」
微妙にイントネーションは違うが、友人としてコミニケーションを取るにはまったく困らない。レミィ自身が社交性の高い性格であるのもあるが、半分英語が混ざっていても、会話には困らないのだ。
「確かに、先輩に綺麗な金髪の方がいますね。前に話しかけられて、てんぱって知ってる限りの英語で話そうとしましたけど、日本語が上手でびっくりしました」
葵がうんうんと頷きながら言う。ベタな漫画のようなリアクションをする後輩に、浩之も綾香も、さすがに微妙な表情になる。いや、葵らしいと言えば実に葵らしい話ではあるが。
綾香は表情を改めたかと思うと、それ以上のじと目で浩之を睨む。
「というか、名前からすると女性っぽいけど、やっはり案の定、仲がいいのね」
「レミィとか? まあ日常会話ぐらいはするな」
綾香から、けっこう危険な視線を送られているというのに、浩之は呑気にそう答えた。当たり前だが、綾香は浩之の言葉をまったく信じていない。それは浩之が嘘をついている、と思っているわけではなく、浩之のことだから意識せずに女の子と仲良くなっているのだろう、と思っているからだ。
「で、そっちの人は誰だ? いきなり初対面で戦いを挑まれたとかか? いやまあ、何かそういうこともけっこうあったような気がしてる俺は、どっかで人生間違ったのか?」
最後の方が自分の人生に対する疑問に変わったのは、まあご愛敬というかご愁傷様というところであろう。
「ハーイ、ハジメマシテ! カレンデス!」
「カレン……さんか。初めまして、浩之、藤田浩之だ」
ファーストネームから名乗るのが一般的なのかどうか浩之には判断できなかったが、カレンが人見知りのしない性格であるのは、差し出された手を見て判断した。日本人であれば初対面の挨拶が握手というのはないのだが、まあ外国人だからそういうものなのか、と思ってカレンの手を取る。男顔負けの大きな手に、強い力。身体全体に行き渡った曲線と、その豊満な胸がなければ女性とは信じがたいところだ。
「ヒロユキですね、知っています。エクストリームの選手で正解デスネ?」
「あー、ってことはカレンさんはエクストリームの関係者か」
「ハイ! アヤカと同じ、チャンピオンデス!」
えもいわれない圧力を感じて、浩之は握手から解放されると、一歩後ろに下がった。
「……ああ、大学の部の優勝者か。前に坂下から聞いたことあったな」
浩之の記憶は、葵よりも多少優れているようだった。ついでに、記憶とそれをつなげるスピードも葵とは比べものにならないようだ。
何が楽しいのか、いや、事実何か楽しいのだろう、カレンは満面の笑顔をして、浩之に詰め寄る。
「ヒロユキのことは、記事には小さくデスガ、乗っていました! Mr.ホウジョウの息子と、Mr.ホウジョウの弟子が戦った予選デス、注目度は高いデス!」
正確にはそのときには、まだ寺町は鬼一の弟子ではなかったわけだが、現在鬼一が寺町を弟子であると公言しているのは事実で、であれば注目度ははかり知れない。後か先かすら問題ではない。それほどに、北条鬼一、『鬼の拳』の名は大きい。
「まあ、俺は何とか本戦に滑り込んだだけなんだがな」
「ニッポン人の美徳、ケンソンというやつデスネ!」
いや、まったくもって浩之としては謙遜どころか、過剰に評価された方が迷惑なのだが、どこかで見たことあるような迷惑顧みないカレンの押しに、浩之はまた一歩後ろに下がる。
「アヤカと知り合いという情報はありませんデシタが、となると、余計に期待が持てマス!」
カレンが、浩之に手の伸ばして来る。その動き自体は、何も警戒するようなものではない。そもそも、相手を掴んだぐらいで自在に技はかからないし、打撃にはスピードが必要だ。それなのに。
ぞくりと。
笑顔で腕を伸ばして来るカレンを前に、浩之の背筋に悪寒が、走った。
続く