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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(193)

 

「よし、交代!」

「「「「押忍!」」」」

 坂下の号令と共に、部員達は素早く二列に並ぶと、一つ横にずれる。数人休んでいる以外は、全員そこに並んでおり、列の最初の人間が休憩に入り、かわりに最後尾に休んでいた部員が入る。

「組み手始め!」

 間髪入れず坂下が号令を下し、部員達はすぐに組み手をし始める。皆、汗びっしょりで息も荒いが、誰一人不平を言う者はいない。まあ、不平がないのは不満がないというか、坂下の鉄拳教育が行き届いている所為かもしれないが。

 現在、部員達が行っているのは、坂下の考え出した、非常に過酷な練習、一分組み手だ。

 男女学年、ここでは二つの空手部が合同であるので学校も含めて、全部無視して二列に並ばせて、組み手を行わせていた。今組み手を行っていないのは、怪我をしている坂下と健介、別の練習をしている浩之達、そしてすでに練習から除外された、ただし朝昼の準備をほぼ一人でこなしているので別の意味で過酷な練習になっている、鉢尾、順番に休憩に入っている三人だけだった。KOを食らったというのに、寺町はともかく、御木本も組み手に参加していた。

 この一分組み手、何が厳しいかというと、組み手の時間は一分であることだ。寸止め組み手であるので、痛みはまあたまに寸止めに失敗して当たるぐらいだが、普通は試合ですら起こる停滞という時間がない。格闘技自体は無酸素運動なので、そう長い時間動いていられるものではないのだが、それを強制的に行わせるのだ。組み手を行っている者同士で話を合わせて休憩、という手もあるにはあるが、そんなことをしようものなら坂下からの厳しい声がかかるので、組み手をしている間は休みようがない。

 そして、相手が格上でも格下でもいるというのも、かなり厳しい。普通にやれば一般部員が寺町と戦えるわけもなく、寺町の一方的なものになるだろう。しかし、この練習法はそれが起きない。

 坂下は、『相手に実力で勝っていると思ったら、自分でペナルティをつける』というルールをこの組み手に入れたのだ。

 例えば、空手部ナンバー2である池田は、ほとんどの相手に対して、右手を後ろにまわして、使わないようにしている。いくら池田が一般部員達とは実力に差があると言っても、それなりの練習をこなしている者相手に、片手を封印して組み手をするというのは、かなり厳しい。実力で勝っている者でも、油断していれば格下に負けることすらあるのだ。いや、油断しなくても、実力が同じぐらいになるように制限をかけるのだから、なかなか勝てるものではない。

 この練習法は、肉体的にきついだけではなく、実力者にも格下の人間にも、ある意味かなり厳しい。

 まず、弱い方の人間は、相手に全力を封じた状態で戦われるのだ。自分が、全力でないどころか、かなりの制限を課されても負けないと言われれば、さすがに精神的にくるものがある。それを回避するには、その状態で組み手で一本でも取るしかない。それができれば、相手も自分の実力を過信していたと反省し、制限をもう少しゆるく、つまり自分のささやかなプライドぐらいは保持できるぐらいの制限で、戦ってくれるはずだ。だからこそ、練習に気が入る。世の中には坂下のような一生かかっても勝てない相手がいることを誰しも理解しているが、それでもプライドを捨てている者ばかりではないのだ。

 そして、実力者は実はそれ以上に厳しい。何せ、相手の実力を見て、どれほどの制限であればそれなりにまともな組み手ができるか、自分で考えねばならないのだ。実力者になれば、下手にゆるい制限では練習にならないことをわかっているし、相手の実力を甘く見積もり過ぎて制限を強めすぎるというのも駄目だ。肉体的だけでなく、相手と自分の実力を冷静に推し量れるだけの技量が必要になるのだ。これは実力者のうちに入る者であっても、かなり厳しい要求だ。しかし、厳しい要求だからこそ、練習になる。

 相手の技量を正確に測る、というのは、つまり相手の動きがわかることでもある。それができれば、試合でどれほど役に立つだろうか。空手部で上の方に来るような人間は、ただ練習しているだけでは駄目だ、ということを坂下はわかっており、それを考えてのこの一分組み手だ。

 我ながらなかなかいい練習方法だと思うけど……

「何か問題でもあったかい、池田?」

 休憩に入った池田が、あまりにも不機嫌そうにしていたので、坂下は尋ねてみる。池田は、当然空手部の中では実力者、それも上の方に位置する。この変則的な練習法の意味に気付けないような愚鈍な女ではないことを、坂下は知っている。

 実際、池田はこの練習法をよく理解している。だいたいは片手を封じて組み手を行っているように見えるが、相手の実力に合わせて事細かに制限を変えていたことを坂下は理解していた。単純な実力差よりも、より精度の高い差がわかる方が、確かにいいのだから、練習の意味を池田はよくわかっている。

 池田は、自分のほほを押さえる。どうも、表情が顔に出ていたのに気付いていなかったようだ。そして、それを坂下に指摘されたことに、苦笑して、そしてやはり不機嫌そうな顔に戻る。

「いや、自分のふがいなさにちょっとね」

「……まあ、あのバカは仕方ないかなと思うけどねえ」

 ほとんどの相手に対してハンデをつけていた、ランや中谷相手ですら片手とは言わないが動きに制限をつけていたのだ、池田が唯一全力を出した相手が、格闘バカ、寺町だ。

 そして、その寺町は、池田相手に、右手を封じた。

 空手部のナンバー2というのは伊達ではない。実際、空手をやらせれば部内では二番目に強いのだ。御木本が本気を出したとしても、空手という枠であれば、僅差だが池田が勝つだろう。

 その池田相手に、自分の主力であるはずの右拳を封じて組み手をするのだ。

 慢心、などではない。事実、池田はその寺町相手に、一本を取れなかった。一分という短い時間だった、という言い訳は通用しない。これが五分であっても、一本取れるかどうか、池田本人が怪しいと思っているのだ。

 自分と寺町の間には、腕一本分の実力差がある、と言われれば、池田だって、いや、池田ほどの実力者であるからこそ、こたえるものがあるのだ。

「前までは互角ぐらいだったのに……いつの間にか追い越されてしまったみたいで……悔しいよ」

 それには、坂下は何も言えない。言うべきではない。

 どれほどの練習をつんだところで、勝敗はまた別のところにあるのだ。どれほどさぼっていたとしても、結果が全て。勝者に勝れる敗者はいない。それを、坂下は痛いほど理解している。

 一般部員相手に、両腕を封じて、それでも互角以上に組み手を行っている寺町に視線を向ける。予選二位、つまり、寺町は負けているのだ。今であれば、坂下も絶対に勝てる自信があるし、練習では何度も倒したし、一度も寺町に勝ちを譲っていない。

 しかし、その敗者の、何と生き生きとしていることか。喜々として危機を楽しむその格闘バカは、やはり、普通の人間とも、坂下とも違う生物なのでは、と思えてしまう。

 敗者である坂下は、いや勝者であっても、池田にかける言葉はなく、池田もそれを望んでなどおらず。

 結局は、強くなるしか、ないのだ。

 

続く

 

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