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痛かった一日・三日目

 

 私は数日ぶりに部活に顔を出した。

「あ、おはようございます、先輩」

 後輩の一人が私にそう声をかけてきた。1年の森近という男子だ。言ってはなんだが 空手の才能には恵まれていない。が、人のいい後輩だ。

「今日はまだ森近一人?」

「はい、ほら、三年の先輩方はまずこないし、坂下先輩が休みなんで他の人もけっこういいかげん なんですよ」

 まあ、3年の先輩が来ないのは仕方ない。後輩の、しかも女に手が出ないのだから、 どの顔を下げて出て来れるだろうか?

 そこは少し私も悪い気はするが、先輩達には災難とあきらめてもらうほかないだろう。 私は弱くはなれない。

 弱くは……か。

 私は苦笑したが、森近にはもちろん意味はわからず、首をかしげた。

「そりゃ、ここの空手部は坂下先輩一人でもっているみたいなもんですし」

「森近、おだててもしごきはゆるくならないわよ」

「そりゃないですよ、こうやって全力でおだててるんですから少しぐらい……」

 そう言って森近はおどける。

「まあ、森近はサボらず出てきてるようだから体罰は勘弁してやるよ」

「体罰はやめましょうよ〜。みんなまだ来てないだけですよ〜」

 もちろん森近は私が本気でそんなことをするとは思っていないだろう。私もする気はないが。

「それで、お体の方は大丈夫なんですか?」

「う〜ん、まだ部活に出るほどは回復してないわね。今日はちょっと顔を出しただけよ」

「あの〜、坂下先輩。その傷って、空手の訓練中に受けたんですか?」

「……まあ、空手で受けたのは確かよ」

 本当は中国拳法なのだが、説明するのも面倒なのでそう答えておいた。葵は空手がベースなので、 全部嘘というわけではなかろう。

「もしかして、相手は武器でも持った達人だったんですか?」

「……何でそうなるの?」

 森近の突拍子のない言葉に私はあきれた。話が飛躍しすぎている。

「だって、坂下先輩に打撃を直撃させるのだって難しいのに、そんな部活に出れないような ダメージをうけたんですよね」

 考えてみれば、森近から見れば私も達人なのかも知れない。

「その相手、やっぱり強かったんですよね?」

「……まあ、強いわ。私が負けたもの」

「負けた!?」

 森近は驚いて大きな声をあげた。そういえば、そういう詳しい所は部活では話していなかった ような気がする。

「それって、あのエクストリームの女王とかいう人ですか?」

「そう言えば、綾香の話はあなた達にもしてるわね。違うわよ、私の後輩」

「じゃあ、こんな感じで大きな体格をした屈強の格闘家……」

「女の子よ。体も私よりも2まわりぐらい小さいわ。あんたの同級で葵って子、知らない?」

「え、うちの学校にいるんですか、坂下先輩より強い人!」

「だから……今度実物見てみなさい。かわいい女の子だから」

 考えてみれば葵は容姿ならかなりかわいい方に入るはずだ。それこそ男の噂にたつぐらいは。

「松原葵、知らない?」

「えっと、そう言えばエクストリームがどうとか言ってた子がいたけど……」

「多分それが葵。あの子空手に入らずに自分で格闘同好会作ったから」

「へー、すごい子もいるもんですね〜」

 森近はしきりに感心している。

「その話にはこれ以上あんまりふれないでよ。けっこう負けたのはショックだからね」

 森近はそれを聞いて笑った。多分そんなに負けたことはこたえてはいないと思ったのだろう。

 そう、別に私は負けたことがこたえていなかった。

 つい2日前まではそのことで悩みつづけていたのに、嘘のようにぱったりと、それは私の中から消えた。

「そう言えば、昨日先輩部活に顔を見せなかったですけど、何してたんですか?」

 一応私は体は動かせなくても部活に顔は出してした。昨日見せなかったのを不思議に思うのももっともか。

「喫茶店に言ってたのよ。そこのお店の人と親しくなってね。『エコーズ』ってお店」

「え!?」

 森近は私が負けたと聞いたとき以上に驚いていた。

「何、そんなに驚いて?」

「『エコーズ』って、あの芸能関係の人が御用達にしてる喫茶店じゃないですか!」

「そうなの?」

 私は今一つピンとこずに生返事をした。

「別段これと言って他の喫茶店と変わることなかったけど……と、お客さんが少なかったかな?」

「あたり前ですよ。あそこは一般人は気がひけてはいれませんもん」

 私にはどうやっても普通の喫茶店にしか見えなかったが……。

「あの緒方理奈や森川由綺も愛用してる喫茶店ですよ」

 さすがに私でもそのトップアイドル達の名前は知っていた。

「……坂下先輩、お店の人と親しくなったっていいましたよね?」

「サインなんか取ってきてやらないよ」

「え〜っ、そんな〜」

「ほしけりゃ自分でもらってくればいいじゃない」

「だから、簡単に入れない雰囲気があるっていうか……」

 だいたい、それを聞いた後でも私は気にはならなかった。

 私があの喫茶店に行く理由は決まっているのだから。

「お願いしますよ〜、坂下先輩〜」

「しつこい」

 私は森近を一蹴すると、背を向けた。

「あれ、もう帰るんですか?」

「見てると体動かしたくなるからね。早く治すためには安静にするのが一番いいしね」

「じゃあおつかれさまでした〜」

「おつかれ〜」

 どうでもいいが何故部活の帰りの挨拶は「おつかれ」なんだろうか。

 

 私は帰りに『エコーズ』によった。

 マスターに聞くと彰さんは今日はこないそうだ。

 森近に言われた言葉を思い出して、ちょっとまわりを見まわしてみるが、テレビで見たことの ある顔はなかった。

 今日はオレンジジュースを飲んでから、喫茶店を出た。

 彰さんと会えないのがさびしかったが、仕方ないだろう。

 私は、何故かその夜うまく寝つけなかった。

 

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