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痛かった一日・四日目

 

 私の朝は早い。

 というのも、いつもは朝練に出るし、朝のランニングも欠かさずやっていたからだ。

 だが、今は胸のダメージがぬけるまで運動は控えることにしていた。

 しかし、習慣というのは恐ろしいもので、また今日もこんな朝早くから起きてしまった。

 まったく、このごろはただでさえ寝不足なのに。

 起きてしまったものは仕方ないと思い、私は洗面所に向かった。

 私は十分ある時間で髪を洗った。いつもはランニングの後に軽くシャワーをあびるのだが、汗も かいていないのにシャワーを浴びるのも何だと思ってやめた。

 私は髪は短く切ってあるのでドライヤーでもかければすぐに乾く。

 しかし、いつも思うのだが、綾香のあの長い髪は邪魔にならないのだろうか?

 髪を洗ってなを時間が余って、私はどうしたものかと思った。

「おはよ、好恵」

「あ、おはよ、母さん」

 眠そうな母さんが二回から降りてくる。確かにいつも母さんが起きる時間は私より遅いが、 少しそれでも今日は遅いのではないのだろうか?

「今日も走らないのかい?」

「うん、まだ怪我が治ってないから。それより母さん、少し時間が遅くない?」

「あら、そうかねえ」

「何ならお弁当ぐらい手伝おうか?」

 親は両働きなので、私はこう見えても自分の食べるものぐらいはどうにかする。

「あら、好恵がそんなこと言うなんて珍しいわね」

「今から学校までまだかなり時間があって暇なのよ」

「またまた、もしかして彼氏にお弁当でも作って持っていく気?」

 彼氏?

「……母さん、いつの時代の生まれよ。今の時代にお弁当を作って彼氏に食べさす子がいるわけ ないでしょ」

 今時そんな子がいたら見てみたいものだ。

「あら、彼氏の方は否定しないんだねえ」

「……あのね、私には彼氏なんかいないわよ」

「まあねえ、好恵、そういう浮いた話は似合いそうにないものねえ」

 子供にそんなことを言う親もどうかしているような気がする。

「ああ、どこを間違ってこんな暴力的な女に育ててしまったんだろうねえ」

「母さん、空手は精神鍛錬の場よ。暴力と一緒にしないでっていっつもいってるじゃない」

「でも女の子らしくないのは一緒だろ?」

 そう言うと母さんはカラカラと笑って台所に言ってしまった。

「手伝ってくれるなら、とりあえず冷凍のコロッケ解凍しといて」

 私はとりあえず母さんを手伝うことにした。

 『女の子らしい』……か。

 私には一番遠い言葉かもしれない。

 私は朝から晩まで空手ざんまいで、今まで彼氏なんていなかったし、作ろうとも思わなかった。

 空手の邪魔になる髪は短く切りそろえたし、腕や足は擦り傷がたえない。こんな私に、何を女の子らしく しろというのだろうか?

 今更、私は空手から何かに乗りかえる気はないのに。

「後、お味噌汁、作り方分かる?」

「できるよ、でもお味噌切れてなかったっけ?」

 私は別にそんなことはこれ以上気にせずに母さんの手伝いをした。

 

 正直、私は迷っていた。

 『エコーズ』に、彰さんに会いにいくか。

 ただ、喫茶店によるだけと言えばそれまでだが、ただ会いにいくだけでも、それなりに勇気がいった。

 理由を聞かれれば困っただろう。私自身、明確な理由なんてなかったから。

 まあ、自分が不釣合いな場所にいることぐらいの自覚はあったが、それぐらいで物怖じする私でもあるまい。

 そんな悩みをよそに、学校は終った。

「さてと……」

 私は片付けを終えると、かばんを持って席を立った。

「おーい、好恵〜」

 聞き覚えのある声に、私は振り向いた。

「なんだ、御木本か」

「なんだだねえだろ、ひさしぶりにあったってのに、その態度はないだろう」

「クラスが一緒でいっつもあってるじゃない」

「まあ、そういう案もある。だが、空手部じゃあ2日会ってないだろ」

「あんたが空手部に来ないことはあっても、私が行かないのは珍しいからね」

「言ってくれるねえ、好恵」

 こいつは御木本と言って同じ空手部の同級生だ。空手の腕はそこそこだが、少しなれなれしいのが 玉に傷か。まあ、悪いやつではない。

「今日もまだ空手部には来ないのか?」

「ええ、まだ傷が治らないからね。本当は無理してでも行きたいけど、それでまた痛めたら本末転倒 だからね、後しばらくは行かないわよ」

「そうか、好恵がこないとさびしいぜ」

「とか言いながら、私がいないのをいいことにさぼるつもりでしょ?」

「誤解するなよ、これでも好恵がいない間に猛特訓してんだぜ。ずっと負けっぱなしじゃカッコ悪いからな」

 御木本は、まあやる方ではあるが、私とはやはり実力に差があった。

「まあ、精進することね。私には勝てないと思うけど」

「それよりも、好恵、このごろどこ行ってんだ?」

「?」

 御木本の言いたいことが分からずに私は少し首をかしげたが、考えてみると思いあたるふしがあった。

「森近から話聞いたの?」

「ご名答、『エコーズ』に顔だしてるんだろ。だから、さ」

「森近のときもサインもらってきてくれってのは断ったはずよ」

「そういうなよ、俺とお前の仲じゃないか」

 私はため息をついた。

「だから、自分でもらいに行きなさいって。別に普通の喫茶店だから」

「やっぱ入りづらいって、な、頼むよ」

「そりゃ彰さんに頼めばもらえるとは思うけど、私は嫌よ」

「彰? 誰、それ?」

 多分御木本は芸能人でそんな名前をした人を探しているのだろう。私がその店に行くのは、 芸能人と知り合いにあるという勝手なイコール図を考えているのが丸分かりだ。

「店の人よ、店の人。その人と知り合って、話相手になってもらってたの」

「えー、なんだ、男ができたのか」

 思わず私はブッと吐いてしまった。

「ちょ、ちょっと、今の話をどう解釈したら男ができたことになるのよ」

「いや、普通に」

「違うわよ、彰さんに失礼じゃない」

「そうか、失礼なのか。まあ、そうだな、好恵に告白された日には「付き合わんと殺す!」とか 言われそう……」

 ビュッ!

「……っっっぶねえなあ、今お前本気で打ってきただろう!」

 私はこの失礼な男をどう殺そうか考えたが、とりあえずみぞおちが痛かったので止めた。

「あんたが失礼なこと言うからよ。何で私がそんなバイオレンスなことしなくちゃいけないのよ。 彰さんには話相手になってもらってるだけよ。って、別にいいわけする必要もないわね」

「いいわけするってことは……」

「……御木本」

 私の拳に殺気がやどるのを、さすがに御木本も理解したようだ。

「はい、もう言いません。俺が悪かったです。だから命ばかりは助けてください」

 とりあえず御木本がおとなしくなったので私は席を立って学校を出ることにした。

「じゃあね、御木本、ちゃんと部活出るのよ」

「ああ、また明日。で、好恵」

「何?」

「お前、そいつに本気なのか?」

「……」

「……」

 こ、こいつは……。

「……本気で殺されたいようね」

「じゃ、じゃあな、好恵。末永く達者でくらせよ!」

 御木本は自分の身の危険を感じとって一目散に逃げ出した。

 ……一瞬、御木本の顔がまじめな顔になったが、おそらく気のせいだろう。私はそう思った。

 

 私はいつもの帰り道からはずれて、また公園にいた。

 さて、行くべきか、行かないべきか。

 行きたい気はするのだが、何か後ろめたいというか、行きづらいというか……。

 で、結局私はこの公園でまたベンチに座って時間をつぶしていた。

 さーて、これから何をするか。

 私が空を見上げると、空は真っ青に晴れていた。もしかして、自分は晴れ女なのだろうか?

「彰さんには会いに行きたい気もするけど……」

「呼んだ、好恵ちゃん?」

 ガバッ!

 私は驚いて空を見ていた格好から立ちあがった。

「あれ、驚かせちゃった?」

 そこには、彰さんが笑って立っていた。

「あ、彰さん、驚かさないでよ」

「ごめんごめん、ちょうど好恵ちゃんの姿見つけたから、話しかけただけのつもりだったんだけど」

 私は、ふう、と息をはくとなんとか落ち着いて彰さんを下から見上げた。

「こ、こんにちは、彰さん」

「あ、こんにちは」

 私は思い出したように挨拶をしたが、何か自分でも滑稽だと思った。彰さんは気にした様子はなかったが。

「さっき、僕の名前が出てきたような気がするけど、気のせいかな?」

「え……あ、いえ、その……」

「ん?」

 彰さんは口ごもる私に向かって首を傾げた。こう言っては悪いが、こういう仕草が絵になる人だ。 まるで本当の女の子だ。すくなくとも、私よりは似合っている。

「何でもないんです」

 どう見たって何でもないわけもなかったが、彰さんは気付かないふりをしてくれたのだろうか?

「そうなんだ」

「そうなの」

 私は自分でも顔が赤くなるのが分かった。私はなんて間の抜けた会話をしているのだろうか。

「で、好恵ちゃん、ここで何してるの?」

「え、暇つぶしというか……」

 まさか、彰さんに会いに『エコーズ』に行くかとうか迷っていたとは言えまい。

「暇なんだ」

「ええ、とっても暇なの」

「じゃあ、ちょっとそこらへんをぶらぶらしていく?」

「それって……」

 この後の言い方は、私らしくないと思った。何か、作ったようなセリフ。

「それって、ナンパ?」

「……まあ、ナンパ、かな?」

 彰さんは、別にその言葉に驚いたわけでもなさそうだったが、しばらく考えて答えた。

「自信なさそうね」

「さすがにナンパはしたことないからね」

 確かに、彰さんはどう見てもナンパをしそうなタイプには見えない。

 彰さんが苦笑したので、私はそれがおかしくて笑った。

 私はその後、2時間ぐらいは彰さんと話をしていただろうか。

 彰さんと話をするのは楽しかった。

 趣味は、私と彰さんは対局に位置していると言っても過言ではなかったけど、反対にそのせいか、 彰さんの教えてくれるものは全部私には新鮮だった。彰さんも、笑顔で私の話を聞いてくれる。

「そういえば、今日男友達に芸能人のサインもらってきてくれって言われたの」

「ああ、『エコーズ』は芸能関係の人がよく来るからね」

「もちろん断ったけど、『エコーズ』で芸能人見たこと私はないのになあ。彰さんはもちろん あるんでしょ。もしかして知りあいとかいたり」

 彰さんの声のトーンが、少しおちたような気がした。

「ん、ああ、知り合いならいるよ」

「へー、やっぱり」

 でも私は、今の会話のリズムを壊すのが何かもったいなくて、それに気付かないふりをした。

「森川由綺って、知ってるよね?」

「へー、大物と知り合いなんだ」

 私でも名を知っているアイドルだ。かなり知名度は高いはずである。

「……まあ、しばらくは来ないだろうけど」

「え?」

「それより、好恵ちゃんは芸能人とかのサイン欲しくないの?」

 私は腕を組んで考えた。

「……別に、『エコーズ』にサインもらいに行ったわけじゃないし、もとからいらないわねえ」

「興味ないの?」

「ぶっちゃけた話するとないわね。『エコーズ』に行くのは、彰さんに話相手になってもらいたいからだし。 そういえば、それ言ったら友達、「男できたのか」とか言って、本当、単純だわ」

「ははは、確かに単純だね」

 男の人と話をしに喫茶店に行ったらそれが男ができたにつながるその単純さが私には理解できない。

 それが証拠に彰さんも笑っている。

「だいたい、人がどこの誰と会おうと関係ないじゃない」

「もしかしたら、その男友達、君に気があるのかもしれないよ」

「……彰さん、それこそ単純だわ」

「ははは、僕もその男友達と同類かな?」

 彰さんは多分冗談で言ったのだろう、笑ったままだ。だから、私も笑うことにした。

 どうも御木本と彰さんを一緒にすることは私の中では出来ない。

 そして、しばらくしてから明日『エコーズ』で会う約束をして彰さんと別れた。

「じゃあ、彰さん、さよなら」

「さよなら、好恵ちゃん。また明日ね」

 いったいどういう話の流れで明日会うことになったのかいまいち覚えていなかったが、 理由なんてどうでもよかった。

 彰さんと話をする時間は空手をやっているときぐらい楽しかったし、どうせ私は明日も暇なのだから。

 今日話していた会話をはんすうしている間に、いつのまにか家についていた。

「ただいま〜」

 誰もまだ帰っていないだろうが、私は機嫌のよい声でそう言った。

 

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