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痛かった一日・六日目(後半)

 

 僕は静かに好恵ちゃんをベットにおろした。

 好恵ちゃんは、起きる様子もなくただ寝息をたてているだけ。

「……」

 何か衝動で好恵ちゃんを部屋を部屋に入れてしまったが、僕はこの後どうするつもりなのだろう?

 好恵ちゃんが起きるまで待っているか。

 それとも、好恵ちゃんを起こすか。

 それとも……

 ゴソッ

 好恵ちゃんが寝返りをうったので、僕はビクッと反応してしまった。

 気持ちよさそうに、すやすやと眠る好恵ちゃんを見ているだけで、何か心が落ち着いてくる。

 しかし、女の子が自分の部屋で寝ているという現実は、少し刺激が強い気がする。

 そんなことを考えている自分に、僕は苦笑してしまった。

 さっきまであんなに落ちこんでいた男が、女の子が自分の部屋に寝ているということだけで そっちに気を取られてしまうのだ。

 

 いや、もしかしたら好恵ちゃんだから?

 

 そんな考えが、僕を現実に引き戻した。

 

 ……何をやっているのだろうか、僕は。

 ここで寝ているのは好恵ちゃんで、美咲さんではない。

 僕の、好きな人じゃない。

 なのに、僕はまるでその代わりのように好恵ちゃんを見ていたのだろうか?

 僕だって鈍くはない、好恵ちゃんが僕を少なくとも慕ってくれていることは気付いていた。

 もちろん、僕は別に迷惑じゃなかった。好恵ちゃんと話をするのは楽しかったし、何より 話している間は美咲さんのことを少しでも忘れられると思っていたから。

 でも、僕は、もしかしたらただ単に美咲さんの代用品として好恵ちゃんを見ていたのだろうか?

 もし、そうだったら……

 好恵ちゃんは、それに気付いていながら僕と話をしていたのだろうか?

 もしそうなら、僕は最低な男だ。

 それに、好恵ちゃんが気付いてないとしても、結局僕は嫌な男なんだ。

「彰さん……」

 さっきから、好恵ちゃんは何度も寝言で僕の名前を呼ぶ。

 そのときは、決まってすごいさびしそうな表情で。

 ふいに、初めて好恵ちゃんと会った日のことを僕は思い出した。

 

「だから、お互いに悩みを言わない? どうせ私と彰さんは赤の他人だし、悩み事を聞かれても別 こまらないと思うし」

 

 正直、僕はあのときこの子は何を言い出すのかと思った。

 僕の悩みは深刻で、そこらの女の子が同じほどの悩みを抱えてるなんて思いもしなかった。

 案の定、好恵ちゃんの悩みは、僕にとってはどうでもいいことだった。

 後輩に負けて悔しかった。それだけの話だと思っていた。

 でも、好恵ちゃんはその後、自分の心の内まで話してくれた。自分がいかにわがままで、自分勝手 なのかを、自分の口から。

 初対面の彼女が、何で僕にここまで話してくれるのか分からなかった。

 辛い悩みは、人に聞いてもらいたくても言えないのが普通だ。でも、好恵ちゃんはそんな悩みを、 初対面の僕にしてくれた。

 言うつもりなんて全然なかった。僕の心の中にとどめとけばいいと思った。

 僕は好恵ちゃんに、一言だけ悩みを聞いてもらった。

 少し前に会ったばかりの好恵ちゃんに、僕は長い間の知り合いのような既知感を覚えた。

 それからこの数日、僕は好恵ちゃんと話をするのを待ち遠しくさえ感じていた。

 だから、きっと僕はもう立ちなおったと思っていた。

 

 僕は、全然立ち直ってなんかいなかった。

 ただ、好恵ちゃんにささえてもらっていただけなのだ。

 

 好恵ちゃんは、「彰さんに悩みを聞いてもらってずいぶん立ちなおれたの。ありがとう」と 一度お礼を言ってきたことがあった。

 そんなことはない。好恵ちゃんを僕が助けたのではなくて、僕は助けられていたのだ。

 多分、今日も好恵ちゃんは僕を元気付けようと訪ねてきてくれたのだろう。

 なら僕は……

 なら僕は、どうやって好恵ちゃんに応えたらいい?

 

 目をあけると、そこは私の部屋ではなかった。

 見知らぬ部屋で、私はベットに寝ていた。

 私はわけも分からぬまま、ゴソゴソと起きあがろうとした。

「好恵ちゃん、起きた?」

 横を見ると、彰さんがイスに座ったまま私を見ていた。

「おはよう、彰さん」

 私は彰さんにあいさつした。

 しかし、こんな夢を見るなんて、私はよっぽど欲求不満なのだろうか?

「目はさめた?」

「ええ、彰さん。えーと、夢のわりにははっきりしてるわね」

 彰さんが首をかしげる。

「夢って、これは夢じゃないよ」

「そう、夢じゃないのね」

 と、私はそれが現実のことだとやっと理解した。

「え……彰さん?」

 彰さんは、呆然とする私に笑いかけてくれた。

「目はさめたかい、好恵ちゃん?」

 私はあわてて自分の格好を見た。いつものラフなシャツにジーンズだ。別にこれと言って乱れて いる様子もない。

 何で私が彰さんがいる部屋で寝てるの?

「あの、彰さん、私……」

 私が今の状況を彰さんに聞こうとしたら、彰さんは急にあやまってきた。

「ごめんね、好恵ちゃん」

「え?」

「好恵ちゃん、ずっと外で待っていてくれたのに、僕……」

 外で……

 その言葉で、私はやっと自分が何をしていたのか思い出した。

「えっと、じゃあ、私外で座ったまま寝てたの?」

「うん、だから、起こすのも悪いかなと思って部屋のベットに寝かしておいたんだけど」

 ということは、彰さんはわざわざ私の思い体を抱きかかえてここまで運んでくれたことになる。

 カッと私は顔が赤くなるのを感じた。

「あ、あの、ごめん、彰さん、その……重かったでしょ?」

「そんなことないよ。思ったより……って、これは失礼かな」

 あせる私と違って、彰さんは落ち着き払って笑った。

「それに……寝顔もかわいかったしね」

 ボッ

 私の顔はこれ以上ないというくらい熱くなった。

「それで、今日は僕に何の用だったんだい?」

「それは……」

 私は舞いあがってしまいそうな気持ちを押さえた。

 そう、私は彰さんを助けたくてここに来たのだ。

 でも……

 

 彰さんは、いつもよりもやさしく、笑っていた。

 

 ……私が何かする必要なんてなかったみたい。

 彰さんは、一人で立ち直ったのだろう。

 少しさびしかったけれど、それでよかった。彰さんが立ち直ってくれることが、私にとって 一番大切なことだから。

「えーと、ただ、急に会いたくなった……って理由はだめ?」

 私は自分が似合わない言葉を口にしているのはわかっていたが、でも、理由なんてもうなかった。

 彰さんは、そんな私を、何故かすごくやさしい笑顔で見ていた。

「……彰さん?」

 変……と言えば変だった。彰さんの、こんな顔、私は今まで見たことなかった。

 彰さんの笑顔は、今の方がいつもより何倍も魅力的だった。

「ねえ、好恵ちゃん」

「え、何、彰さん?」

「時間……ある?」

 時間?

 私は部屋を見まわした。時計を探したのだ。机の上にあった時計は、7時をさしていた。

「あ……もう、こんな時間なの?」

 私はあわてて立ちあがった。これ以上彰さんに迷惑をかける気はない。

「じゃあ、私帰るわ。ごめん、彰さん、何かすごく迷惑をかけて」

「違うんだ、好恵ちゃん」

「え?」

「僕は、今から時間があるか聞いてるんだ」

「え、でも、もう7時……」

「好恵ちゃん」

「は、はい!」

 私はすごく緊張して上ずった声で答えた。

「今から、僕に付き合ってくれないかい?」

「……今から?」

「うん、好恵ちゃんに、話したいことがあるんだ。もしかしたら、次の日の朝までかかるかもしれない」

「……」

 私の心臓は、期待と葛藤で、強い鼓動を繰り返す。

 私の答えを待っている彰さん。私は、応えた。

「……わかったわ、彰さん。付き合うわ」

 私は彰さんから電話を借りると綾香に電話をかけた。

 いつも通り召使いが電話に出て、私は綾香を呼んでもらった。

「もしもし〜、何、好恵。何か用?」

「……綾香、今日、人の家に泊まるから、私の家に理由をつけてあんたんちに泊まってることにして」

「……はぁ?」

 私はなるべく簡潔に理由も述べずに綾香に頼んだ。もちろん、綾香の反応ぐらいはわかっていたが。

「それって……男の部屋ってこと?」

「言い方が下品ね、綾香」

「今から男といちゃつこうなんて考えてる好恵には負けるわ」

「そんなんじゃ……そんなんじゃないから」

 私の言葉を、綾香はどう受け取ったのかは知らなかった。でも、今は綾香に借りを作ってもいいと 思っていた。

「……わかったわ、じゃあ、あんたが私のうちに来て、怪我も治らないのに私に挑んでKOされた ことにするから」

 こ、こいつは……

「他にもっといいいいわけないの?」

「すごくよくできたいいわけだと思うけど?」

 電話の向こうで、綾香がニヤニヤ笑っているのは想像できたが、今は私が折れるしかなかった。

「わかった、それでいいから、お願いね」

「はいはい、じゃあ、今度ちゃんと彼氏紹介しなさいよ」

「だから……まあ、いいわ。お願いね」

「おーけーおーけー」

 綾香は今一つあてにならない返事をしながら電話を切った。一抹の不安は残るが、私の知り合いの 中では一番綾香が機転がきく。今はあいつにたよるしかないだろう。

 私は、フウッと息をはいた。

「おまたせ、彰さん」

「ごめんね、好恵ちゃん。友達にまで手伝ってもらって」

「いいのいいの、あいつなら何とかしてくれるだろうし、何より彰さんの頼みなんだもの」

 私はイスに座った彰さんと向かいあうようにベットに座った。

「で、彰さん、話って何?」

「うん……好恵ちゃん、僕達が初めて会った日のこと覚えてる?」

「え、ええ、覚えてるわ。彰さんがからまれてたのを、私が助けたのよね」

 彰さんは苦笑した。男と女が反対だと思ったのだろう。でも、そんなことはささいなことだ。

「うん、それで、『エコーズ』に行って、好恵ちゃん、僕に悩みを話してくれたろう?」

 話してくれた、というのは正確な言い方じゃないと思った。私が、彰さんに聞いてもらったのだ。

「彰さんには感謝してるわ。あのおかげで、私立ち直れたから」

「うん……で、僕もあのとき一言だけ言ったけど……」

 彰さんは、何かを決心したように口を開いた。

「今から、もう一回、僕の悩みを君に聞いて欲しいんだ」

「……いいの、彰さん?」

 彰さんがあのとき言ってくれた悩みは一言だけ。

 私は、正直に言うと少しものたりなかった。彰さんの悩みを私は聞きたいと思っていた。

「うん、好恵ちゃんに、聞いて欲しい」

「……ありがとう、彰さん。」

 それは私を信頼している、そして頼っている証。

 私は、目頭が熱くなるのを感じた。

 そんな私を、彰さんはやはりやさしい目で見つめながら、話をはじめた。

 

 何のことはない。それは単なる恋愛物の小説。

 好きになった相手は、先輩で、その人は自分の友人が好きだった。

 でも、その友人には彼女がいた。

 彰さんは教えてくれた。彰さんが、初めて人を殴ったことを。

 初めて、自分が人に憎しみを覚えたことを。

 初めて、好きになったひとのことを。

 初めて、失恋したことを。

 

「僕は、血が出るくらい壁を殴りつけて、それにもあきて、ただ呆然として歩いてた。そして、 好恵ちゃん、君に会ったんだ」

 彰さんの口にする私と彰さんの出会いは、何か特別なもののように聞こえた。

「君と話をしている間、僕は楽しかった。でも、それがもしかして、好恵ちゃんを美咲さんの 代用品として見ていたのかもしれない」

「代用品……」

 それを聞いても怒りどころか、悲しみさえわいてこなかった。

「そう思ってたんだ、でも……」

 彰さんは、ここではじめて顔をしかめた。

「君が、ずっと部屋の外で待ってくれて、今だって、僕の話を聞いてくれて、そんな好恵ちゃんが、 僕にはすごく大切なものなんだ」

「彰さん……」

 大切なもの、その言葉だけで、私は全てから救われる気がした。

「正直、本当に君のことを愛してるのかどうかなんてまだ分からない。でも、今僕にとって、好恵ちゃんは すごく大切なものなのは、確かなんだ」

 私は、嬉しさのあまり、ボロボロと涙をこぼした。

「彰さん、私、私……」

 彰さんに抱きつきたかった、全てをあずけたかった。それを今細々と押さえているのは、ただ 彰さんの話を最後まで聞きたかったから。

「私、全然、彰さんの役になんてたてなかったのに……」

「そんなことないよ、好恵ちゃん。少なくとも、僕は好恵ちゃんのおかげで今この話ができるんだ。 それは誓ってもいい、好恵ちゃんのおかげだよ」

「あ、あ、彰さん……」

 私は、もう我慢できずに彰さんに抱きついた。

 そこで、時計は長針と短針を重ねた。

 

 続く

 

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