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窓のある部屋
3:人はけっこう生きていく

 

「いらっしゃいませ〜」

 元気のよい挨拶が店に入ると聞こえてきた。

「って、なんだ〜、祐一かあ。挨拶して損した〜」

「おい、真琴、こう見えても俺はお客だぞ、もっと大事に扱え」

「お客なら何か頼んでよ」

「大丈夫だ、今日はちゃんと軽食を食べに来た。スパゲティーでもくれ」

「いいかげんねえ、マスター、祐一に何か適当なもの!」

 真琴は俺の話を聞いてないのかいいかげんに注文を言う。

「お、祐一君、こんにちは」

「あ、こんにちは、マスター」

 静かなBGMをバックに、コーヒーのいい香りが漂う喫茶店。

 ここは喫茶店『アバ○ティー』。どう読むのかは俺も知らない。

 驚くことなかれ、実は真琴はここで働いているのだ。しかももう働き出してから1年は経とうとしている。

「マスター、真琴はへましてませんか?」

 そしてこの温和そうな老紳士のマスターが、奇特にも真琴を雇っている張本人なのだ。

「いや、まあ相変わらずだけど、真琴ちゃんがいると喫茶店の中が明るくなっていいよ」

 といつもの温和そうな笑顔で苦笑する。

「へまなんかしてないよ!」

 カウンターの奥の方でコーヒーをついでいる真琴がそれに反応して叫んでいる。

「でも、こんな静かな喫茶店には役にたつたたないとか関係なく真琴は合わないかなとか思ってたんですが」

 と俺は真琴に聞かれないように小声でマスターに言った。

「そんなことはないよ」

 マスターはあくまで温和そうな笑顔を崩さずに、やはり小声で答えてくれた。

「真琴ちゃんがここに来てからお客さん増えましたし。彼女が目当てのお客さんもいるようですよ」

「え、あの真琴を目当てに?」

「不思議なことはないでしょう。真琴ちゃん、かわいいですから」

 うーん、まさか真琴がかわいいと思われているとは……俺から見ればどうやっても憎たらしく しか見えんのだが……

「それに、真琴ちゃんは、こう言うと何ですが、小動物のような愛らしさもありますから」

 小動物……ね。俺は心の中で苦笑した。

「それって、落ち着きがないとか、そそっかしいって意味じゃないですか?」

「まあまあ、祐一君。もう少し真琴ちゃんにひいきして見てあげなさいよ。あの子、祐一君と話してる ときが一番楽しそうなんですから」

「……俺と話してるときが?」

 気がねなく話せるという点においては、まあ俺と話すのが一番楽だろうが……。

「ちょっと、2人で何こそこそ話してるのよ!」

 と、そこで他の客にコーヒーを運んできた真琴に見咎められる。

「いや、マスターと一緒になって真琴の悪口を言ってただけさ」

「嘘つかないでよ、マスターがそんなこと言う訳ないでしょ」

「じゃあ、誉めてたっていったら納得するか?」

「ううん、しない。だって、祐一が入ってるし」

 だったら俺とマスターは真琴の中ではどうやって会話を成り立たせているのだろうか?

「祐一君と世間話をしていただけだよ、真琴ちゃん」

 マスターはそう苦笑しながら真琴にそう言った。

「ふーん、でも内緒話してるように見えたけど」

「おいおい、真琴、せめてマスターぐらいには敬語使えよ」

「いいんですよ、祐一君。真琴ちゃんは、そのままが一番わかいいですから」

「ほら、マスターもそう言ってくれてるじゃない」

 真琴は誇らしげに言った。こいつはのさばらせるととことんまでつけあがるのを俺はよく知っている。 後からマスターにも教えておこう。

「じゃあ、私仕事しなくちゃならないから、他のお客さんに迷惑かけないでよ」

「それはこっちのセリフだ」

 真琴はベーと舌を出すと、忙しそうに厨房に入っていった。

 しかし、変われば変わるものだ。

 あの真琴が、少なくとも表面上はちゃんと仕事ができているのだから。

 俺がそうやって真琴の消えていった厨房の扉を見ていると、マスターが話しかけてきた。

「真琴ちゃんのこと、心配ですか?」

「ええ……って、ええ?」

 マスターの不意打ちのような言葉に、俺は少なからず驚いてしまった。

「マスター、誰が真琴なんて心配しますか。まあ、マスターに迷惑をかけてないかは心配ですけど」

「隠す必要はありませんよ」

 マスターはおかしそうに笑った。こういうところはこのマスターも秋子さんの知り合いと納得してしまう。

「彼女、来た当初はおびえた子猫のようでしたし、祐一さんが心配するのも分かります」

「……」

「祐一さんも、どう言っても、一週間に一回はうちに顔を出すでしょう?」

「それは、まあ、真琴が失敗して迷惑かけてないか心配で……」

「まるで、祐一さんは真琴ちゃんのお兄さんですね」

「兄、ですか?」

 確かに、俺自身も、真琴のことをできの悪い妹のように見ている気もする。妹は、できが悪ければ 悪いほど兄にとっては心配なものだ。

「もっとも、真琴ちゃんは祐一さんのことをどう思っているのかは知りませんが」

「どうって……」

 マスターはそれだけ言うとそ知らぬ顔で仕事に戻った。

 真琴と、俺の、関係……か。

 そんなことは考えてもいなかった。というより、真琴の存在は特殊すぎで、そういう考えの範ちゅうには 入っていなかった。

 真琴は今でも水瀬家の居候をしている。居候というよりは、もう立派な家族の一員だ。

 俺はあの家から出て、舞と佐祐理さんのいる場所を選んだが、あれに一番反対したのは真琴だった。

 

「何でここを出てくのよ!」

「いや、別に出ていくわけじゃない。俺は、約束をはたしに行くだけさ」

「一緒でしょ、何でよ、あたし達みんな家族って言ったじゃない!」

「真琴……」

「祐一、あたしを置いて消えるんだ……」

「いや……だから、真琴……」

「……だめよ、真琴ちゃん、祐一さんをこまらせちゃ。祐一さんが選んだ場所だもの、私達は 笑顔で見送ってあげなきゃ」

「でも……秋子さん……」

「……すみません、秋子さん。でも、俺……」

「いいのよ、祐一君。祐一君がこの家を出ても、私達は家族じゃない。ねえ、真琴ちゃん?」

「……うん……」

 

 あのとき、結局真琴は秋子さんに説得されたけど、納得してはいなかった。

 真琴にとっては、やっぱり俺は家族なのだろう。その家族が消えることを、真琴が納得できる わけはない。だが、俺はそれでも舞と佐祐理さんのいるあの部屋を選んだ。

「はい、祐一。スパゲティーできたよ」

 真琴の声に、俺は現実に引きもどされる。

「お、おお、すまんな」

「お金払えば祐一だってお客さんだし、仕方ないでしょ」

 そう言って真琴はパスタの皿を二つ置いた。

「おい、俺は一個しか頼んでないぞ」

「マスター、休憩はいりまーす!」

「いいよ、今はそんなに忙しくないから」

 マスターの言葉にニッと笑うと真琴はつけていた狐のプリントのあるエプロンをはずして俺の 前の席に座った。

「というわけであたしは今から休憩」

 というと真琴はスパゲティーを食べはじめた。

 こいつは何を考えてるのか……。

 俺はそう思いながら、真琴と同じようにスパゲティーに口をつけた。

 ……いつもと比べると少しおいしくない。パスタはゆですぎだし、塩加減もいまいちだ。

 真琴を見ると、やはり真琴も難しい顔をしている。

「おかしいなあ、ちゃんとマスターのまねをしたのになあ」

 真琴の言葉からすると、どうもこのスパゲティーは真琴が作ったもののようだ。

「……下手くそ」

「あうーっ、で、でも、一応食べれるじゃない」

 それは俺も少し驚いていた。きっと真琴の作るものは食べれるものではないと思っていたのだが、 おいしくはないが十分食べれる。

「……真琴、お前、人を許可なく実験台に使ったのか?」

「だって、きっと祐一あたしが作ったって言ったら食べないじゃない」

 うむ、言われればそんな冒険などするわけがない。

「それに、だからこうやってあたしも一緒に食べてるじゃない」

 真琴は味を確かめるようにもう一度スパゲティーを口にする。

「ほ、ほら、マスターの作るのと比べるとおいしくないけど、十分食べれるし……」

「そういう問題か?」

「……だって、はじめは祐一に食べてもらいたかったし……」

「ん、何か言ったか?」

「う、ううん、何も言ってないよ」

 もちろん俺は聞こえていた。俺にはじめにねえ……。

「まあ、一応食べれるようだから許してやるが、今度からはちゃんと事前に言ってくれよ。断ったり しないからな」

「う、うん、そうする」

 その後真琴は黙って借りてきた猫のようにもそもそとスパゲティーを食べる。俺もスパゲティーを 食べる。まあ、きっと名雪が作るよりはうまいだろう。

 スパゲティーを食べ終えると、真琴は何も言わずに食器を下げようとした。

「真琴」

 ビクッと真琴が震える。

「な、何?」

「ごちそうさま」

 しばらく真琴は俺の言葉に呆けていたが、急に笑顔になって答えた。

「う、うん!」

 俺は、その笑顔を見て真琴の兄も悪くないかなと思った。

 

「ただいま〜」

「おかえり、祐一」

「おかえりなさい、祐一さん」

 夕方になって帰ってきた俺を2人が出迎えてくれる。

「今日はまた真琴ちゃんのところですか?」

 佐祐理さんが聞いてきたので、俺は別に隠すこともなく答えた。

「うん、あいつ、今日は自分でスパゲティー作って俺に食わせたんだよ」

「へー、そうなんですかー」

 佐祐理さんがいつも通り相づちを打つ。

 ぽか

 何か知らないが、急に舞が俺の頭を小突く。

「どうかしたか、、舞?」

「祐一、前に私の作ったもの食べなかった。不公平」

「そりゃあ、ねえ、佐祐理さん」

「あははーっ、舞、真琴ちゃんに嫉妬してるんですよー」

 ぽか

「そんなことない」

「てれなくてもいいのに」

 ぽか

「だから、そんなことない。祐一が不公平なだけ」

「不公平といわれてもなあ……舞、せめて見た目食べれるものを作ってくれ」

「……」

 舞のほほが少し赤くなる。はずかしかったようだ。

「……がんばる」

「じゃあ、今日の夕食はみんなで作りましょう。私が教えますから」

「お、それいいね。佐祐理さんが見てくれるなら、そんな変なものにはならないだろうし」

「……やろう、きっと楽しい」

 俺達3人は、台所に向かった。

「なあ、舞、佐祐理さん?」

「はい?」

「何?」

「俺達……家族だよな」

 その言葉で何を想像したのか知らないが、二人とも少し顔を赤らめて答えてくれた。

「もちろん」

「……はい、家族ですよ、私達」

 俺は、2人の言葉に、心が満たされる気がした。

「さて、じゃあ、はじめるか」

「はい、本気出していきますよ」

「うん」

 俺達3人は、そうやって夕食の準備をはじめた。

 

続く

 

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