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窓のある部屋
4:わがままばかりの芸術家

 

「あ、こっちです、祐一さん」

 ベンチに座って待っていた栞ちゃんは、俺の姿を見ると立ちあがって手をふってきた。

「おまたせ、栞ちゃん。待った?」

「私もさっき来たばかりです」

 栞ちゃんはそう言ってから俺の手を取った。

「じゃあ、いきましょう、祐一さん」

「ああ、そうするか」

 俺は栞ちゃんに手をひかれるまま歩きだした。

 

 話は、2日前にさかのぼる。

「ねえ、相沢君。栞に会ってやってるれない」

「え、栞ちゃんに?」

 栞の姉である香里は、毎日毎日「祐一さんに会いたい〜」と叫ぶ栞にほどほどこまりはてている そうだ。

「でも、俺もあんまり暇じゃないんだが」

「人助けだと思ってやって欲しいのよ。どうせ、一度や二度他の女のコとデートしたからって、 どうなるわけでもないんでしょ?」

「デートってなあ……」

 もちろん、俺は栞ちゃんに会いたくないわけではなかったが、このごろレポートもたまっているし、 食事は舞と佐祐理さんと一緒にとることにしているからなかなか一人の時間がない。

 真琴のつとめる喫茶店にも、高校生のころと比べたら行く回数が減ってしまった。

「付き合えるとしても半日ぐらいだけど、それでもいいか栞ちゃんに聞いてみてくれ」

「恩にきるわ。あの子、うるさくてうるさくて」

 その妹のわがままを聞いてやる香里も、かなり甘い姉だとは思うが、多分そんなことを言ったら 香里が嫌がるだろうなと思って言うのをやめた。

 

 そして、今日は栞ちゃんに付き合ってあげることになったのだ。

「それで、栞ちゃんどこに行くか決めてるの?」

「はい、少し歩きますけど、いいですか?」

「ん、別にかまわないよ」

「じゃあ」と言って栞ちゃんは腕をからめてきた。

「お、おいおい、栞ちゃん」

 まるで無邪気な子供のような態度に、俺の方が少し驚いてしまった。

「え、どうかしましたか、祐一さん」

「いや、腕組むのは……」

 俺が少しひいているのを見ると、栞ちゃんはズイッと顔を近づけて訊ねてきた。

「腕組むの、嫌ですか?」

「え、いや、そういうことじゃないけど……」

 俺は思わずたじろいだ。

「嫌なんですね、クスン」

「い、いや、嫌なんてことないよ、すごく嬉しいよ、いやほんとに」

 実は舞と佐祐理さんの顔が浮かんだので少しひいてしまったのだが、考えてみれば、別に デートとかではないのだから何も後ろめたい気持ちになることもないのだ。

 慌てる俺を見て、栞ちゃんはクスッと笑った。

「冗談です」

 そう言ったが、結局栞ちゃんは俺の腕を放さなかった。

「あの、それと、このかばん重いんですけど……」

 そう言って栞ちゃんは手に持っている大きなかばんを俺に見せた。

 栞ちゃんは絵を書いており、その道具を持って歩いているのだろう。

「重いんですけど……」

「そりゃたいへんだね」

「だから、重いんです」

「……」

「……」

「俺が持とうか?」

「はい、ありがとうございます」

 そう言って栞ちゃんはまた天使のような笑顔をする。

 

 栞ちゃんは、一言で言えばわがままだ。

 病気が治っていなかったころには、そんなにわがままではなかったのだが、病気が治った反動だ ろうか、このごろはかなりわがままになっている。

 でも、わがままと言っても、別に鼻につくわがままではない。甘えれるところは存分に甘える だけのことだ。

 むしろ、栞ちゃんに甘えられることが、俺にとっても、おそらく香里にとっても、けっこう 気持ちのよいことだ。

 頼られることによって、自分の存在意義が増してしるように感じられるのだ。

 栞ちゃんが、そのことを自覚しているのかは俺にはわからなかったが。

 

 今、俺と栞ちゃんはゆっくりと山に向かう坂をあがっている。

 栞ちゃんは、何のかんの言っても、体力はない。

 まあ、1年近くも病気で学校にもいけなかったのだから、体力も落ちようというものだが、 一年たってもあまり体力が増えていないところを見ると、もとから非力なのかもしれない。 もっともその華奢な腕で怪力でも恐いが。

 少し栞ちゃんの額に汗が浮かんできているのを見て、俺は足を止めた。

「栞ちゃん、ちょっとここで休むかい?」

「まだ大丈夫……と言いたいですけど、はい、つかれたので休みましょう」

 俺は近くにあった自動販売機からジュースを買ってきて座って休んでいる栞ちゃんに渡した。

「ほい、ジュース」

「ありがとうございます、祐一さん」

 と、今度は缶が開けれずに俺を救いを求めるように見る。

「祐一さぁん」

「はいはい、まったく、世話がやけるな」

 俺は苦笑しながら缶をあけてやる。

 栞ちゃんは、ジュースを両手で持って飲む。俺もその栞ちゃんの横で自分のジュースを飲む。

 しかし、こう見ると、俺の知り合いの女の子の中で栞ちゃんが一番女の子らしいかもしれない。

 非力だし、仕草も女の子らしい。それに、人に「頼る」ことを知っている。

 佐祐理さんも確かに女の子らしいと言えないこともないが、どこか「女の子らしい」というには 抵抗を感じる。舞も、本当の姿はともかく、いつもの行動は女の子らしいとは言えない。

「どうかしましたか、祐一さん」

 俺が横目で栞ちゃんを見ているのに気付いたのか、彼女はそう聞いてきた。

「ん、かわいいなって」

 俺が軽く冗談のつもりで言うと、栞ちゃんは真っ赤な顔をして俺を背中を叩いた。

 バシッ!

「ブッ!」

 俺はその痛みに飲みかけていたジュースを吐き出した。

「も、もう、祐一さんったら、恥ずかしいじゃないですか」

 栞ちゃんは舞い上がって俺に起こった惨事には気がついていないようだ。

 し、しかし……痛い。

 誰だ、今さっき栞ちゃんが非力だなんて言ったやつは。

 ひりひりと痛む背中には、おそらくかなり鮮明にもみじが描かれていることだろう。

「は、はは、ごめんごめん」

 俺は引きつった笑顔を浮かべた。

 とりあえず、それで俺は一つ学んだ。冗談は、なるべく控えようと。

 

 ついた場所は、町が見渡せる丘の上だった。

「ここ、眺めがいいでしょう?」

「ああ、そうだね」

 栞ちゃんは、僕が持ってあげていたかばんの中から絵を書くための道具を取り出した。と言っても 取り出したのはスケッチブックと鉛筆だけだが。

「今日は、ここの風景を画くのに付き合ってもらったんです」

「ふーん、で、俺は栞ちゃんが絵を画いている間は何をしてればいいんだい?」

「……」

「……」

 栞ちゃんはしばらく考えて、てへっと舌を出した。

「考えてませんでした」

「おいおい」

「冗談です。ただ、一緒にいて欲しかったんです」

「一緒に?」

「はい、一緒に」

 そう言うと、栞ちゃんはスケッチブックを開いて腰を下ろし、風景画を書き始めた。

「祐一さんが一緒にいてくれると、絵がうまく画ける気がするんです」

「ということは、もとは絵をうまく画けないんだな」

「……そんなこと言う人嫌いです」

「冗談だよ」

 俺は笑って、栞ちゃんに言われる前にそう言った。栞ちゃんも、クスッと笑う。

 意外というか、何というか、栞ちゃんの絵はけっこううまい。風景画は得意なのだそうだ。

 ただ、人物画は苦手ならしい。

「……祐一さん、大学、面白いですか?」

「ん……まあね。あんまり近くの友達は変わらないけど、面白いかと言われると面白いかな。そういう 栞ちゃんは学校生活は面白くないの?」

「私は……もちろん、面白いです。でも」

 一瞬、栞ちゃんの鉛筆の動きが止まる。でも、視線は町の方に向いたままだった。そして、また 鉛筆は動きはじめた。

「祐一さんと一緒にいる時間が短くなったことだけが、残念です」

「栞ちゃん……」

「わがままだってわかってます」

 シュッシュッ、とスケッチブックの上を鉛筆がこする音が続く。

 栞ちゃんは、無言になった。俺も、それにつられて言葉を止める。

 シュッシュッ

 その音が、沈黙をいやに重いものにしていた。

「私、わがままですから、病気が治るまでは普通に学校に行けたらいいなって思ってるだけ だったのに、今度はそれがかなうと、もっと多くの望みを言っちゃうんです」

 相変わらず、栞ちゃんは僕と目を合わせない。

「こうやって、祐一さんが横にいてくれて、私が絵を画いてる時間が、私はすごく楽しいんです。 これは、やっぱりわがままですか?」

 そう、栞ちゃんは、やっぱりわがままだ。

「それぐらいのわがままなら、聞いてあげるよ。もっとも、俺も頻繁には時間が取れないけどね、 たまには時間を作るよ」

 そして、こうやって栞ちゃんのわがままをつい聞いてしまう俺も、やっぱり甘いのかもしれない。

「……よかったです」

 栞ちゃんは、やっと俺の方を向いて笑った。

「じゃあ、たまには付き合ってくださいね。私、楽しみにしてますから」

「ああ、分かったよ」

 栞ちゃんはその後、嬉しそうに絵を画いていた。俺は、そんな栞ちゃんを、ただ横からぼうっと 見ていた。こういうのも悪くないかと思いながら。

 

 家に帰ると、すでに時間は21時をすぎていた。

 俺は、朝帰りするサラリーマンよろしくそっと扉を開けた。

「おかえりなさい、祐一さん」

「おかえり、祐一」

 俺は、ちょっと頭の方に血管が浮き上がっていそうな二人に迎えられた。

「ご、ごめん、二人とも。本当は連絡でもいれようかなと思ったんだけど……」

 俺は手に持っていたケーキの箱を前に突き出した。

「ほ、ほら、おわびにケーキ買ってきたし……」

 俺は内心どころか外からもわかるようにびくびくしていると、二人ともクスッと笑った。

「祐一、すぐご飯だから早く入って」

「じゃあ、お料理あたためますね」

 俺があっけに取られるのをよそに、二人はいつも通りに戻った。

 二人は、俺が帰ってくるまで、夕食を待っていてくれたことを、次の瞬間理解した。

 俺は靴を脱ぎ捨てると、ケーキの箱をテーブルに置いてから、料理を温めようとしている二人に 後ろからそっと抱きついた。

「ごめん、二人とも。俺を待っててくれたんだ」

「祐一が女の子とデート行っててもね」

 びくぅっ

 俺は舞の言葉に後ろに飛びずさった。

「な、何でそのことを……」

「今日、ちょうど香里さんに会って、聞いたんですよ」

「ふ、二人とも、香里と面識があったの?」

「ええ、前に祐一さんと一緒に歩いていたのを見かけたそうです。大学で声をかけられました」

 そういう佐祐理さんの声は、少しも笑っていなかった。顔が笑顔なだけに、よけいに恐い。

「いや、ほら、香里に頼まれて……」

「栞さんって子、かわいいらしいですね」

 さ、佐祐理さん、目が恐いです。

「私達を待たしておいて、祐一は女の子とデートなの?」

 い、いかん、舞は今にも泣き出しそうだ。こ、ここは……

 俺は覚悟を決めた。怒っている佐祐理さんと、泣き出しそうな舞、この二人を相手にどこまで 耐えれるかわからないが、俺に逃げ道はない。

 まあ、これも惚れた、そして惚れられた弱みだろう。

 

 

「きゃ〜、もう、祐一さんかっこいい〜!」

 ぼすぼすぼす!

 栞の腕の中のぬいぐるみにボディーブローがきまっている。このごろ、何かと言えば栞の攻撃を うけて、もはやそのぬいぐるみがもとが何の形をしていたのか私には分からなかった。

「ちょっと、栞。少しは落ちついたらどう?」

「ねえねえねえ、お姉ちゃん聞いて。祐一さんって、やっぱりやさしいの」

「あ、そう」

 私のそっけない言葉にも、栞はまったく動じた様子はない。

「『それぐらいのわがままなら、聞いてかげるよ』……あー、もうっ!」

 ぼすぼすぼすぼすぼす!

 きっとぬいぐるみが悲鳴をあげれるなら、もう悲鳴もあげれなくなって血を吐いているだろう。

 感きわまった栞のパンチの射程外に逃げながら、私はため息をついた。

 どこで間違ってこんな妹になったのだろうか?

 昔は、わがままでもなく、少し変なところはあったけど、おとなしい子だったのに。

 親は変わった栞を放任しているが、私から見ればすでに見捨ててるようにも見える。

「いーなー、お姉ちゃん。祐一さんと一緒の学校いけて」

「うらやましいでしょ」

「あ、お姉ちゃん、祐一さん狙っちゃだめだからね」

 私が嫌味たっぷりに言ったので、栞は敏感に反応したようだ。

「悔しかったら飛び級制度でも使って大学に来ることね」

「うーん、飛び級制度か……」

 栞は本気でそれを考えているようだ。おしだまった。

 しかし、こんな妹のわがままを聞いてやるなんて、何て私も甘いのかしら。

 私は、それもまたよいかなと考えていた。せっかく、妹が生きているんだから、甘えるだけ甘えで くれても、私はいいと思った。

「うーん、でも、私そんなに成績よくないし……」

 しかし、こんな妹の将来を、不安に感じる私だった。

 

続く

 

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