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銀色の処女(シルバーメイデン)

 

 セリオの予測通りというか、浩之は学校で少し時間をつぶして、これはマルチの掃除を手伝って いたのだが、家に帰る道を歩いていた。

 浩之の横にはマルチとあかりがいる。3人にとってはそんなに珍しくない光景だ。

「へー、じゃあ一応マルチもまだ試験機として使われてるんだ」

「はい、そうなんです」

 マルチは何がそんなに嬉しいのかはわからなかったが、いや、この子はいつも嬉しいのだ、 笑顔で答えた。

「それならマルチちゃんは何を試験をしてるの?」

 あかりはごく普通にそれを訊ねてみた。

「それが……」

 マルチはさっきの笑顔はどこへやら、しゅんっとして答えた。

「私、よく分からないんです」

「ははは、マルチらしいや」

 浩之は、そんなマルチの愛らしい仕草を見て笑った。

「確か昔俺がマルチにメイドロボの仕組みを聞いたときにもあんまりうまくは答えられなかった んだよな、マルチは」

「はい……」

 ますますしゅんとするマルチを見て、あかりも笑う。

「で、でも、今回は本当に詳しく教えてもらえなかったんです」

「またまた、研究室のやつらがマルチがちゃんと覚えられないのを分かってておしえなかったんじゃ ないのか?」

「浩之ちゃん、その言い方はひどいよ。マルチちゃんは本当に教えてもらえなかったんじゃないかな」

 あかりが浩之をたしなめるが、もちろんどちらも冗談だ。

「うう、すみません、あかりさん」

 しかし、やっぱりマルチには冗談は通じていないようだった。もちろん、それはセリオに対して 冗談が通じていないのとはまた別の意味であったが。

 セリオは、冗談を言われれば、それが冗談であると認識できれば冗談を返すこともできるし、 冗談を覚えることはできるが、零から自分で冗談を言うことはできない。

 それに対して、マルチは冗談を言えない。これは、メイドロボとかそういう部分のことでは なく、どうも性格上の問題のようだ。

「感情プログラムのテストをするとしか聞いてないんです、本当です」

 マルチは必死になりながら浩之に説明、いや、浩之を説得している。

 浩之は、これ以上マルチをいじめるのも悪いと思って普通に答えた。

「感情プログラムのテスト?」

「はい、私が詳しく聞こうとしたら、「知らなくても問題ないから」と言って教えてもらえませ んでした」

「ふむ……もしかしたら、企業秘密ってやつかもな」

「キギョウヒミツ……ですか?」

「そう、企業秘密だ。マルチ、お前の体には地球を一回転させるほどの秘密が隠されていて、 それを研究員が隠しているのだ!」

 ガーンッ、と、まさに漫画的表現がよく似合うリアクションをマルチが取ったので、浩之と あかりは思わず吹き出しそうになった。

「そ、そうなんですか?」

「ああ、間違いないな。マルチに教えると、誰に教えるか分からないだろ?」

「そ、そうですね。そんな秘密が私に……」

 そこで、耐え切れずに浩之は吹き出してしまった。

「ぷっ、ははははははは、冗談だよ、マルチ」

「え?」

 しばらくの間、マルチは浩之の言った言葉を理解できないようだった。

「何だよ、地球はほっといても一日に一回転してるさ。マルチ、お前企業秘密って何か分かって るのか?」

「そ、それがよく……」

 またしゅんとするマルチに、二人はやはり笑った。

「だめだよ、浩之ちゃん。マルチちゃんこまってるじゃない」

「そういうあかりだって止めなかったじゃねえか」

 軽く言い合いをする二人を、マルチはほんの一瞬だけ、何とも言えない笑顔で見つめた。

「ん、どうかしたか、マルチ?」

「何でもないです。それで、キギョウヒミツって何ですか?」

「ああ、企業秘密ってのはなあ、ほら、例えばセリオには最新鋭の機器とかプログラムとかが 搭載されてるだろ。あれはまあ言わば企業、ここでは来栖川重工の資産なわけだ。それを他人に 知られると、企業としては大損害だろ」

「はあ……」

 予測通りというか、マルチはよく分かっていないようだった。

「まあ、特許は取ってるだろうから問題はないだろうが……って、マルチ、分かってるか?」

「は、はい……よくわかりません……」

 泣きそうになりながらマルチが答えたので、浩之は苦笑しながらマルチの頭をなでてやった。

「まあ、企業秘密なんて分からなくても生きてはいけるだろうしな。それに、マルチのいいところ はそんなところにはないだろうしな」

「私のいいところ……ですか?」

「ああ、なあ、あかり」

「うん、そうだよ、マルチちゃん。マルチちゃんのいいところは私達がよく知ってるから」

「あ、ありがとうございます〜」

 うれし泣きをするマルチを、やはり二人は苦笑して見つめた。そう、まるで手のかかる子供を 見るように。

「しかし、感情プログラムのテストって、マルチってほとんど感情に関しては人間と同じなんじゃ ないのか?」

「私もそう思うけど、どうなの、マルチちゃん」

「はい、えーと、知っていると思いますけど、私とセリオさんは同時期に作られて、私はより 人間の方に近いように、セリオさんはより高性能にというコンセプト作られました。これも、実は 私は最近教えてもらったことなんですけどね。だから、一応セリオさんよりも感情プログラムに 関してだけは私のプログラムの方が研究室の皆さんに手間をかけてもらってると思います」

「それって、俺の質問の答えにはなってないと思うが」

「えーと、それは、正直なところ、私自身では分からないことなんです。もちろん、研究室の皆さん は間違いなく最高のものを私に乗せてくれています。私にはそれで十分どころか、もったいないです」

 こんな感覚を持つこと自体、マルチの感情が人間と同じだということの証明ではないか。

 そして、マルチは、並の人間よりも、よっぽどやさしくて、綺麗な心を持ってるじゃないか。

 浩之は、自分の質問が愚問だったのを自覚した。

「あと、マルチが知っているのかは知らないが、セリオは何のテストでうちに来てるんだ?」

「さあ、私も教えもらってはいませんけど、セリオさんなら何でもちゃんとこなしてしまいますし、 何も問題ないと思います」

「ま、確かにセリオは有能だな。マルチとは大違いだ」

「ほら、浩之ちゃん、また」

 あかりのフォローは間に合わずに、またマルチはしゅんとしてしまう。これだけ見てみても、 本当に感情の起伏の激しい子だった。

「はい、セリオさんはとてもすごくて、私なんてお料理の一つもろくにできなくて……」

「だから言ってるだろ、マルチ」

 浩之は、マルチの頭をなでる。

「俺の言い方も悪かったが、マルチにはマルチにしかないよさってのがあるんだ。セリオと比べる 必要なんてないんだよ」

「は、はい、ありがとうございます、浩之さん」

 マルチは顔を赤らめて自分の頭をなでる浩之の手にしばらく身をまかせていた。

 あかりは、そんなマルチと浩之を見ながら、少しだけ心の中で不思議に思った。

 マルチちゃんが頭をなでられているのを見ても全然嫉妬心がわいてこない。セリオさんが浩之 ちゃんと一緒に暮らすのを聞いただけであれだけ嫉妬したのに。

 むしろ、頭をなでる浩之ちゃんのあの優しい笑顔を見るのが嬉しくさえある。

 おかしな話だった。

 セリオとマルチ、どちらが浩之のことを好きかと聞かれれば、あかりは迷うことなくマルチを 指差していただろう。

 むしろ、問題外だ。マルチが浩之のことを好きなのは、見ていれば当然わかることだ。それに くらべて、セリオは浩之に愛情の欠片さえ見せていない。

 でも、セリオには嫉妬した。

 違う、むしろ、変なのは、マルチちゃんに嫉妬しないことだ。

 あかりはそれだけは不思議だった。いくら言葉を取り繕っても、あかりは浩之に近づいてくる 女の子に大なれ小なれ嫉妬する。もうどうしようもないことだ、自分は、それだけ女の子に好かれる 人を好きになってしまったのだから。

 それなのに、あかりはマルチにだけは、嫉妬をしなかった。あかり本人も気付いていたし、その 自覚もあるが、理由が本人にはわからない。

 もしかしたら、これこそが、マルチちゃんの持つ最新鋭のプログラムの能力なのかもしれない。

 だが、そう考えても、頭をなでられて嬉しそうに顔を赤らめるマルチから、そんなことは考え 出せないような気がした。

 と、そこで、遠くから声が聞こえた。

「おーい、浩之ー!」

 それは、綾香の声だった。

 

続く

 

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