銀色の処女(シルバーメイデン)
浩之の家についていかなかったのは、あかりにとってみれば綾香に気をきかせたわけでも何でも なかった。むしろ、逆だ。
セリオが浩之の家に住むのさえ許せない思いがしているのに、さらに女の子が遊びに浩之の家に 行くのをあかりが快く思うわけはない。
だったら、何で行かなかったのかといわれれば、それは、はやり気をきかせたから。
浩之に、自分がそういうことを気にしているのを知られたくなかったから、そして、浩之に世話 をかけさせないために、気をきかせて行かなかったのだ。
綾香さん本人はどう思っているのかは知らないが、あの私の返事を聞いたときの意外そうな顔は なかった。私がついてくること自体は、覚悟していたのだろう。
でも、私は綾香さんが思ってるような人じゃなかった。
浩之ちゃんを他の子と争うよりは、浩之ちゃんに全てをまかせる、私は。
だって、私がどう動いても、きっと浩之ちゃんは私のことを心配してくれる。だから、私はなるべく 浩之ちゃんが心配するように動いちゃだめ。
そう心の中で分かっていても、あかりの口からはため息がもれる。
やっぱり、本音は気になる。
「ただいま〜」
あかりは悶々としながら自分の家の玄関をくぐった。
「おかえり、あかり。何、若いみそらからそんなうかない顔して」
「お、お母さん……」
玄関にはあかりを待ち構えていたようにあかりの母、ひかりだった。
「何、あかり、浩之ちゃんとケンカでもしたの? 私も死ぬ前には孫の顔が見たいのに」
ひかりは自分のいいたいことをゆっくりとした口調でまくしたてた。
「何言ってるのよ、お母さん。私は浩之ちゃんとケンカなんかしないよ」
彼女こそ、あかりの実の母にして、浩之がこの世で一番恐れるひかりだった。ただ子供のころから 浩之が彼女に頭が上がらないだけだが。
浩之の天敵であるひかり本人は、その自覚があるのかどうかは分からなかったが、ともあれ あかりや浩之をよくからかって遊んでいた。
「痴話ゲンカなら早く仲直りしてね、私浩之ちゃんの子供の顔は見てみたいから」
「……お母さん、人の話聞いてる?」
「冗談よ、冗談。ま、きっと浩之ちゃんに他の女の子が近づいてきてるから気がきじゃないって ところかな?」
あかりはギクリとしたが、表情には出さなかった。自分の母が嫌になるほど鋭いのは、子供の ころからよく知らされていたから、今更驚くほどのことでもなかった。
「あかり、あなたも私が言うのも何だけど、お母さん似でかわいいんだから、自信持って他の女の子 から浩之ちゃんを守らなきゃだめよ」
「だからお母さん、そんなんじゃないって。それに、それって自分誉めてるんじゃない」
「あ、わかる?」
それは自分を誉めたことを言っているのか、他のことを言っているのか、いまいちあかりには 判別がつかなかった。
「でも、本当に、浩之ちゃんと何かあったの、お母さん、相談にのるわよ」
「何かあったって……浩之ちゃんの家にメイドロボが来ただけだよ」
「メイドロボ?」
「うん、試験機で、そのデータ取りのバイトだって」
あかりの言葉に嘘はない。それがあかりも面識のあるメイドロボだとか、それが最新鋭であるとか、 そういう説明はつけなかった。
「はは〜ん」
ひかりはくすっと笑った。
「それで、自分の仕事が取られるのが嫌なのね、あかりは」
「……」
完全に図星だったので、あかりは何も答えなかった。
「最近のメイドロボは高性能だからね。私達主婦じゃあもう太刀打ちできないぐらいのものもあるし、 旗色悪いわね」
そう言ってるわりには、ひかりにはまだまだ余裕があるようにも見えた。
「お母さんはメイドロボに仕事取られるとか思わないの?」
「うーん、そうねえ。私よりも料理が作れるメイドロボがいるとは思えないけど、もし同じ料理が 作れたって負ける気はしないわね」
「何で?」
あかりの問いに、ひかりは、にんまりと笑って答えた。
「私とメイドロボじゃあ、愛情が違うわ」
「愛情……」
「そ、愛情。夫や、子供や、お客さんに対する愛情。これだけはどんな高性能なメイドロボでも 私を超えることなんてできないのよ。あかり、あなたも同じ。メイドロボにはない、愛情が、あなたには 沢山そなわってるじゃない」
「……じゃあ、マルチちゃんみたいな子は?」
「あの子は……腕が足りないわね」
何度か遊びにきたあのおっちょこちょいのメイドロボを思いだしながら、ひかりは意地悪げに舌を 出して笑った。
「お母さん、いつもながら自信家だね」
「そうよ、これぐらいは強くないと、日本の主婦なんて勤まらないわよ」
ひかりはそう言って腕に力こぶをつくるポーズを取る。
さすがは、自分の母、そして浩之ちゃんの天敵、とあかりは心の中で母親に賞賛を送った。
ひかりの横を抜け、自分の部屋に向かうまでに、しかしあかりはそこまで楽天的には なれなかった。
皮肉なことに、ひかりの、あかりを元気づけようとした言葉で、あかりがある真実にたどり着いた ことだった。
愛情。
浩之に対する愛情なら、あかりは自信を持って言える。自分が、どれほど浩之に愛情を向けているか など、今更語る必要もない。
ただ、なら、他の子は?
あかりは愛情の大きさを比べることはしない。でも、程度ぐらいは判別する、つまり、他の女の子 も最上の愛情を浩之に向けているかもしれないのが問題なのだ。
他の子、つまり、セリオが。
私が浩之ちゃんに愛情を持つのは当然のことでも、セリオさんはどうなのだろう。
セリオさんも、もしかして、浩之ちゃんに対して愛情を持っていたら。
お母さんだって言ったじゃないか、マルチちゃんには「腕が足りない」って。つまり、愛情は 足りてるってことでしょ?
マルチちゃんが持てるものをセリオさんが持てない道理はないではないか。
私は……お母さんみたいに自信はもてない。
この顔にも、料理の腕にも、愛情だって、全部、他の子に負けてるんじゃないかと思えて しまう。
私が他の子に勝るもの……
そんなものなんて、あるの?
誇れる……
あった。
一つだけ、あった。
私が、浩之ちゃんに対して、他の子より勝っているもの。
私は、それを誇ってもいいといつも思っていたではないか。
ただ単に私が一人でそう思ってるだけかもしれないけど、それでも私にとっては、一番誇れる ことではないか。
浩之ちゃんの料理の好みを、一番よく知っている。浩之ちゃんのお母さんより、誰より。
そう、私は浩之ちゃんのことを誰よりも私はよく理解してる。小さいころからずっと一緒に いて、そして、ずっと浩之ちゃんを見てきたから。
時間というかけがえのないものを積み重ねてきた、その結晶が。
だから、私は浩之ちゃんを信じるしかない。
浩之ちゃんは、自分で人を好きになる。私があがいても、優しくしてくれても、結局最後は自分の 心に従う。だから、私はあがかない。
その時間という力にかけてみてもいいではないか。私が、浩之ちゃんを知っていて、そして 信用しているなら、それでも。
ぬぐいきれない不安をかかえても、私は待ってなきゃいけない。
それが、浩之ちゃんを知ってしまった私に与えられた、つとめだから。
だから、今は浩之ちゃんを信じよう。
あかりは、その不安を胸の中にしまって、部屋の扉を開けた。
続く