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銀色の処女(シルバーメイデン)

12

 

 まあ失敗とは言えないが、大成功、というわけでもなかった。

 つまりは、そういうことだ。

 綾香は、浩之の家に遊びに行ったことをそう自己評価した。

 浩之の家に行くことはできたし、これと言って問題を起こしたわけでもない。

 でも、ちょっとは上機嫌になれるのよね。

 綾香はただ浩之の家に、それも二人ほど邪魔がいて、遊びにいっただけなのに、自分がとても 上機嫌になっているのに自分自身で苦笑した。

 それも、鼻歌などを歌いながら屋敷の中を歩いていたりする。

 一歩前進……とまでは言わないけど、半歩前進ぐらいはしたよね?

 考えてみれば、今までどうして浩之の家に遊びに行こうと思わなかったのだろう。夕方をすぎればまず浩之は家にいるし、親も家にはほとんどいないらしいのに。

 チャンスなど、いくらでもあったではないか。

 たかが家に遊びに行く、という行為に、今までそこまで重要性を感じなかったからだと言えなくもないが、遊びに行った今は、今までそうしなかったことを悔やむ気持ちで一杯だった。

 要するに、綾香は浩之の家に行けただけで楽しかったのだ。

 ……にしても、乙女やってるわね〜、我ながら。

 自分の中にあるうきうきした気持ちを止めることはなかったが、綾香はそう思った。

 好きな男の子の家に数人で遊びにいっただけでもこんなに楽しいのだ。これでは一人で遊びに 行ったときにまともにしゃべれるかどうかも怪しいところだ。

 一人で遊びにいく……か。

 セリオが今はいるから遊びに行っても一人で、というわけにはいかないけど、そのうち私一人だけで遊びに行こう。

 それを考えただけで、顔が少しゆるんでくるぐらいだった。

 そんなことを考えていたので、今日はトレーニングにも身が入らなかった。

 うーん、このごろ、どうも浩之のことばかり考えてるなあ。

 綾香はそれが悪いこととは思わなかったが、ただ悶々と考えてるだけなのも、自分らしくないかなとか思っていた。

 まさか、自分がこういう勇気のない方だとは思わなかったのよねえ。

 好きな男の子ができれば、自分はさっさと告白してしまうものだと綾香は信じていた。

 だが、浩之には自分の気持ちを言ったことがない。一緒にいると楽しいし、このごろは一人に なれば浩之のことばかり考えてるのに、どうしても「告白する」という言葉が思いつかないのだ。

 そういう「好き」とかいう言葉を口に出すのができない性分なのかもしれない。臆病という言葉 は、どうひねっても自分には合いそうになかったから。

 ……いっそのこと、浩之から言ってくれれば簡単なのに。

 ここまで顔がよくて、性格も明るくて、家も金持ちな女の子など他にいないだろうに。

 と、廊下の向こうから、それと少し違うだけの条件を持った女の子が歩いてくるのに綾香は 気付いた。

 ……顔がよくて、性格は大人しく優しくて、家も金持ち。見事なまでの条件よね。

 廊下の向こうからゆっくりと歩いてくるのは、綾香の姉、来栖川芹香だった。お風呂に入って きたのだろう、パジャマを着ていて、その黒く長い髪は濡れていた。

 芹香は、ゆっくり歩いて綾香に近づくと、いつもの小さな声で綾香に語りかけた。

「……」

「え、お風呂に入らないのって? 今から入るわ」

「……」

「いいわよ、今さらお風呂に一緒に入る年でもないじゃない」

「……」

「ううん、別に姉さんと入りたくないわけじゃないけど。それに、もう姉さんお風呂入ってきたん でしょ?」

 こくん

「じゃあ、また今度ね」

 芹香は少し残念そうだった。もっとも、綾香にとってみれば、何故一緒にお風呂に入りたい などと姉が言い出したのか、よく分からなかったが。

「……」

「え、私そんなにうれしそうな顔してる?」

 こくん

 この人、変なところで鋭いのよね。

 綾香はそう心の中で思ったが、もしかしたら自分が思っているよりも顔に出ているのか とも思った。

「……」

「いいことあったのって言われてもね……」

 綾香は、少し困った。芹香は、自分の大切な姉ではあるが、一応はライバルの、しかもかなり 強敵の部類の、女の子だ。

 それより何より、自分が浩之の家に遊びに行ったから上機嫌だと言ったら、いくら世間にうとい 芹香とは言え、自分が浩之のことを好きなのがばれてしまうだろう。

 だからと言って「何もない」で通せるとも思えない。

 正直に言うべきだろうか。この姉だ、もしかしたら気付かない可能性もある。

 さすがにそれは甘い読みだろうと思いながらも、綾香は言った。

「今日、浩之の家に遊びに行ったのよ」

 さて、自分の姉はどう出るだろうか。最悪、宣戦布告の言葉になる可能性もある。

「……」

「うーん、別に何をしたってわけじゃないけどね、楽しかったわ」

「……」

「え、何だ。マルチから聞いてたの?」

 こくん

 芹香は、綾香のその問いにうなずいた。

 そう言えば、マルチが浩之の家に遊びに行ったことを芹香に言わないわけがないわよね。

 綾香は、力が抜けるのを感じた。複数で行ったと言えば、芹香が邪推することもなかろう。

「……」

「ごめんごめん。でも、私も今日の学校帰りに急に思いついただけだし、セバスチャンだって 姉さんが浩之の家に遊びにいくのを許すわけないでしょ?」

 芹香はうらめしそうな顔で綾香を見る。もっとも、それはすごく微妙な表情の変化だったので、 分かるのは綾香とセバスチャンと、後は浩之ぐらいだろうか。

「……」

「無理にでも遊びに行きます? あんまり無茶しちゃだめよ、姉さん。まあ、いっつも逃げ回ってる私が言うのも何だけどね」

「……」

「分かったって。今度みんなで浩之の家に遊びに行くときは必ず姉さんも呼ぶから」

 芹香は、めずらしく、今度は自分を呼んで欲しいと、もう一度綾香に念を押してから部屋に戻っていった。

 その濡れた髪が美しい後姿を見ながら、綾香は大きく息をはいた。

 姉さんが念を押す場面なんて、初めて見たわ。

 それだけ、浩之のことが好きなんだろうなあ。

 綾香自身、芹香のために何度か身をひこうかなどと考えたこともあったが、結局芹香には秘密の まま浩之を狙っている。

 というのも、少し芹香は他の女の子が浩之を見る目とは違うような気がするからだ。

 言うなれば、最高の友達として芹香は浩之を見ているのではないか。そんな気が綾香には するのだ。

 そして、もし私が浩之と結婚して、浩之が自分の弟になったら、それはそれで喜ぶのではないか。そう思ったりするのだ。

 甘い考え、と言われればそれまでだが、とにもかくにも、芹香が自分から浩之にアタックするとは考えられない。

 つまり、浩之がかなり積極的に姉さんにアタックしないかぎり、二人がくっつくということは なさそうなのだ。そして、今のところその気配はない。

 最大のライバルの一人でありながら、綾香は姉を放っておいてもいいのではと思っていた。

 それは、姉と争いたくないという気持ちが無理やりに生んだ考えかもしれなかったが、今のことろはその考えはあっている気もする。

 ま、男と女の関係なんて、いつどうなるかわかんないけどね。

 と、綾香は自分も信じていないような言葉を考えたりするのだった。

 やれやれ、私ともあろうものがこんな恋煩いをするとはねえ。

 綾香は、さしてかいてもない汗を流すために、お風呂場に向かった。

 

 芹香はベットに入ると、枕もとにおいてある本を開いた。

 その本は、いつもの例にもれず魔術のことが書いてある本であった。

 ただし、それは恋愛成就のための魔術の書かれた本であり、さらに芹香はその本をもう何度も 読み返していた。

 そして、この本が枕もとに置かれているのは、とても良い隠し場所だったからだ。

 しおりのはさまっている部分を開く。そのしおりが大切なのだ。

 それは、しおりではなかった。

 一枚の、写真が本にはさまれていた。

 芹香は、少しきょろきょろとまわりを見渡してから、もちろん誰もいない、その写真を見た。

 眠たそうな目をした浩之がその写真には写っていた。

 もちろん隠しどりなど芹香にできるわけがない。芹香はもっと賢い手で堂々と浩之からこの写真 をもらったのだ。

 浩之の写真が欲しい、と真正面から言う勇気は芹香にはなかったが、いい方法はあった。

 ある幸福のおまじないに、その人の写真が必要だったのだ。

 芹香は幸福のおまじないに写真が必要なのを浩之に言い、そうやって浩之に写真を持ってきて もらったのだ。

 もちろん幸福のおまじないはかけたし、一度儀式が終ればその写真は必要なくなる。でも、芹香は写真を返しますとは言わなかった。

 少し後ろめたい気はしたが、そのまま、うやむやにして写真をもらったのだ。

 浩之も別に何も気にした様子もなかったので、芹香はその写真を手に入れることに成功した。

 そして、毎晩芹香はこの写真に向かって言うのだ。

 おやすみなさい、浩之さん、と。

 それは、芹香にとってとても重要な儀式。どの魔術書にも書かれてはいなかったけれど、自分の 心が温かくなる儀式。

 そして、芹香は今日も幸福な気持ちで眠りにつけるのだ。

 また明日、浩之が自分に話しかけてきてくれるのを願いながら。

 

続く

 

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