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銀色の処女(シルバーメイデン)

13

 

 違和感などという生易しいものではなかった。

「どうかしましたか、浩之さん」

 何も言ってこない浩之を、セリオが心配そうな顔でのぞきこむ。

「……いや、だいぶん変わったと思ってな」

「はい、『シルバー』は、より人間の方に近づくために作られましたので」

 とセリオは笑顔で答える。

 しゃべっている言葉は、前のセリオと変わりはなかったが、口調も、そして表情もセリオとは 似ても似つかぬものであった。

 より人間に近い……

 つまり、より声に抑揚を持たせ、表情に変化をつけたのだろう。

 が、それにしてもだ……

「それじゃあ、夕食の準備をします。浩之さん、何かリクエストはありますか?」

「あ、セリオにまかせる」

「はい、分かりました」

 そう、それはまるで新婚のお嫁さんのように明るい声だった。表情も、マルチと同様、どこも 違和感などない。

 それでも、浩之はどうも調子が狂っていた。

 『シルバー』という新しい感情プログラムは、おそらくは無表情な顔や、感情のこもってない 声に感情をいれただけのものだと浩之は思った。

 口調はまだしも、しゃべっている言葉はセリオそのままだし、やっている行動にも変化はない。

 だったら、何で長瀬のおっさんは何か含んだ物言いをしたんだ?

 単に感情を表面に出すだけのプログラムなら、わざわざ浩之の家で実験、しかも一日数時間だけで いいとまで言っている、する意味がない。浩之は、ある程度のことは覚悟していた。

 だが、それは単にもとのセリオを知っているから変に感じる程度のものでしかなかった。

 ある意味、あの無表情さがセリオの売りなのだから、わざわざ変える必要もないとは思うが、 まあ商売のことは浩之には分からないので文句をつける部分でもなかろう。

 セリオはエプロンをつけて、これは浩之の母のものだが、昨日浩之に承諾を得て使わせてもらって いる、台所で楽しそうに料理を始めた。鼻歌まで歌っている。

「……なあ、セリオ。お前って、どこで鼻歌なんて覚えたんだ?」

「綾香お嬢様が時々鼻歌を歌うので、そのときに」

 綾香が鼻歌、これはまあ十分マッチしている。

 ……しかし、セリオが鼻歌、というのはどうもミスマッチのような気がしてならない。

「お邪魔なら、止めますが」

 セリオは調理の手を止めて、申し訳なさそうに浩之にそう聞いた。

「あ、いや、別に邪魔じゃないから、気にしなくていいぜ」

「はい、ありがとうございます」

 セリオは笑顔でそう答えると調理を再開して、また鼻歌を、今度は少し小さな声で歌いだした。

 ……作りは細かいけどなあ……

 いいと言われても、やはり邪魔になっているのではと考え、鼻歌の音を小さくする心配りはいい。 でも、それぐらいなら前のセリオでもできたろう。鼻歌を歌うかどうかは別にしてだ。

「食事ができるまで少しかかりますから、テレビでも見ておいてください」

 セリオは今度は調理する手を止めることなく浩之に言った。

「あ、いいって。ここでセリオの料理する姿見てるから」

 その浩之の言葉を聞くと、セリオは手を止めて振り返った。

「私の料理を作る姿なんてみても面白くないですよ」

 セリオは、どこかてれたようにそう言うと、さらに何故か気合いをこめて調理を再開した。

 こういう態度は前のセリオにはみえなかった行動だ。これが感情プログラムのせいだとすれば、 さすがにわざとらしい気もする。

 セリオの動きは、さすが手際がよかった。たまに浩之はあかりの料理を作る姿を見ることがあるが、 セリオの動きはあかりに劣っていない。いや、あかりがセリオに劣っていないのだろうか。

 来栖川重工の最新のメイドロボ、その性能は、見ての通りすごいものだ。セリオは、はっきり 万能と言ってもいい。

 でも、だからこそ不思議だった。セリオに表面的な感情を持たせてどうするつもりなのだろうか?

 もし、表情を持ったメイドロボが作りたいなら、マルチを使えばいいだけではないのか。

 浩之はもちろんメイドロボに対してそんなに詳しいわけではないが、ただ高性能にするだけなら、 ノウハウさえあれば感情プログラムを作るよりも簡単に思えた。

 それを、わざわざセリオに持たせようとする考えがどうしても分からない。

 だいたい、大量生産されたHM−12型、マルチは感情というもの自体が組みこまれていなかった。 つまり、それは感情というものが、商品的には役にたたないと考えられたからではないのか?

 セリオは、楽しそうに料理を作っている。これははたから見ても分かる。表情は嬉しそうだし、 鼻歌を歌う場面は「楽しい」場面にきまっているからだ。

 それは悪いことではない。でも、そうやって表面の感情を作ることに何が意味があるのだろうか?

 はたから見れば、浩之はぼけっとしてセリオを見ていただろう。だが、浩之は何も考えていない わけでは決してなかった。

 しばらくすると、料理が出来上がり、セリオはそれをテーブルにならべ、ご飯をよそった。

 浩之の前に置かれているのは、レバニラ炒めとドレッシングのかかったサラダ、それにご飯だった。

 いかにも食欲をそそる匂いであったし、浩之は何故か昼にあれだけ食べたのにそれなりにお腹が 空いていた。

「いただきま〜す」

「はい、どうぞおあがりください」

 浩之は手に箸を持ったところで、セリオがじっと自分の姿を見ているのに気がついた。

「ん、どうかしたか、セリオ?」

「いえ、別に何でもないです」

「そうか?」

 浩之は、とりあえず気にせずにレバニラ炒めに箸をのばして、それを口に入れる。少し辛く作って あるレバニラ炒めはかなり美味しかった。

「美味しいですか?」

 おどおどと、セリオが聞いてくる。

「ああ、うまいぜ」

 浩之はその証明とばかりに、ご飯をかきこむと、バクバクと食べるのを続けた。

「よかった、そう言ってもらえて」

 セリオは、浩之が食事に気を取られてこちらを見ていないのにかかわらず嬉しそうに笑った。

 そして、浩之は半分は料理に気を取られていたのだが、半分はそうではなかった。

 そう、その言葉などは、まるで人間そっくりだ。

 セリオが、「美味しいですか?」などと聞くわけがない。まるで、別の人間、いや、メイドロボ だと考えてもいいだろう。

 では、セリオは?

 今まで、俺が見てきたセリオはどこに消えたんだ?

 そう、感情プログラムは、セリオ本体ではなかったのか。それが変われば、当然、それは俺の 知ってるセリオではなくなるのではないのか?

 浩之は食事を続けながらも、ずっと考えていた。

 彼女は、今俺の目の前で笑っている彼女は、セリオなのか?

 メイドロボに「記憶」というものがあるなら、その「記憶」が残って、「感情」が変わったとして、 それは本当にセリオのままなのか?

 不安、いや、浩之は、どこか恐かった。

 いくらメイドロボと言え、セリオは浩之とはそれなりに親しい友達のようなものだ。

 その親しい友達がこの世から消えてなくなる、という恐怖は、浩之を思う以上に混乱させていた。

 ちらっと浩之は時計を見る。まだ、長瀬主任から電話があって1時間もたっていない。だが、 早くもとのセリオに戻って欲しかった。

 早く時間が過ぎればいいのにと思いながら食事をしていると、すぐに食事を終えてしまった。

「ごちそうさま、セリオ」

「おそまつさまでした」

 セリオは笑ってそう答えると食器を片付けはじめた。

 ……セリオという名前には反応するんだよな。

 一応、このメイドロボはセリオだということになる。でも、それは、本当に浩之の知っている セリオなのかどうかは、分からなかった。

「なあ、セリオ?」

「はい、何でしょうか?」

「今日は夕食の献立をお前にまかせても困らなかったな」

「はい、昨日節約した料理がいいと聞いたので、昨日のうちに一応献立は考えておきましたから」

「なるほどな、じゃあ、食べたいものがあったら言うから、献立はセリオにまかせるわ」

「はい、わかりました。まかせておいてください」

 浩之は昨日の自分の会話をセリオが覚えているかどうかを聞きたかったのだ。

 「記憶」は同じものらしい。でも、今もそれは本当にセリオなのか?

 それを判別する方法など、浩之にはなかった。

 ただ、時間がすぎるのを待つだけだった。セリオに言えば、感情プログラムはすぐに直せると 聞いている。だったら、そんなに心配することではないのではないか。

 それでも、不安だけが、浩之の心をしめていた。

 律儀に長瀬主任に言われたように1時間の間それに付き合う必要もないのではないかとも思ったが 『シルバー』のテストをするために自分の家にセリオがいるのだから、せめて言われただけは付き合わなく てはと浩之は思っていた。

 それから、ほんの30分足らずであるが、浩之にとっては非常に長い時間となった。

 テレビをつけてみても、どうしても画面のバラエティー番組に集中できない。その番組が面白く ないだけが原因ではないことを浩之は知っていた。

 セリオは、今はお風呂をわかしにいっている。

 本当はシャワーだけでもよかったのだが、今の誰か分からないセリオを手元に置いておくことを 浩之はいやがったのだ。

 耳をすますと、テレビの音に隠れるようにお風呂場の方から音が聞こえる。

 早くこの時間が過ぎればいいのに。

 浩之は、心からそう思った。

 杞憂にすぎないのだろうが、それでも、セリオがいなくなるのが恐くて仕方なかった。

 時計を見る。あれから、まだ5分もたっていない。

 今夜、いや、後30分足らずは、浩之にとって長い時間となりそうだった。

 

続く

 

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