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銀色の処女(シルバーメイデン)

14

 

 浩之にとって長い時間も、わずかばかりではあるが、ゆっくりとすぎていった。

 そう、ひどくゆっくりと。

 特にお風呂にお湯を落すのも終り、セリオが居間に帰ってきてから。ほんの少しの時間であった が、浩之には永久にも思えた。

 その間、浩之は何度も自分に言い聞かせた。

 今目の前にいるセリオは、確かに俺の知っているセリオとは似ても似つかないが、確かにセリオ だ。それに、時間さえくれば、セリオはいつものように戻るのだ。

 何故、俺はそんなに恐がる。心配する必要も、恐がる必要もない。

 何度も、何度も、それを呪文のように頭の中で繰り返しても、やはり浩之の中から不安は取り除けン なかった。

 そして、いくら時間がゆっくりと過ぎていると感じても、時間は確実に過ぎていっていた。

 1時間たったかたっていないか程度まで我慢した浩之であったが、もう限界だと悟った。

 もう、これ以上は待っていることができない。セリオが、まだ存在していることを確かめたい。

「セリオ、『シルバー』からすぐに前に戻ることができるんだろ?」

「はい、もちろんできますよ」

 セリオは何の疑問も持っていないような声で浩之に言った。その言葉の意味は、ほんの少しでは あるが浩之を落ちつかせた。

「今すぐできるんなら、ためしにやってみてくれないか?」

「はい、わかりました」

 セリオはそう笑顔で答えると、目を閉じた。

 わずか一分ほどであったが、この30分足らずの時間の中で、浩之にとっては一番長く感じる 時間でもあった。

 もし、目を開けてもセリオが前に戻らなかったら。そんな、根拠のない不安が、浩之を襲うのだ。

 テレビの音は、浩之にはひどくうるさい雑音に聞こえた。耳に痛いぐらいに。

 そして、セリオの沈黙が、それ以上に耳に痛かった。

 早く、早く目をあけてくれ、セリオ。

 言葉にこそ出さなかったが、浩之は祈る思いだった。

 ゆっくりと、セリオの目が開く。

「……セリオ?」

 浩之は、恐る恐るセリオに話しかけた。

 セリオは、その声に反応して浩之の方を向く。セリオの話では、メイドロボは人と話すときには その人の目を見て話す、そう言っていたのを思い出した。

 そして、セリオは当然のようにいつもの、無愛想、いや、無表情な顔のまま口を開いた。

「このように、一分ほどで感情プログラムの変更が可能です」

 何の抑揚もない、いつものセリオの声であった。

 表情などかけらも感じられない、でも、人の目を見て話すセリオ。

 浩之は、やっとほっとため息をついた。

「どうかしましたか、浩之さん」

「あ、いや、別に大げさなことじゃないんだが、このままセリオが戻らなかったらどうしようってな」

 浩之は、それを言うつもりはなかったのだが、つい安心してそれを口に出してしまった。

 しかし、セリオはその言葉の意味を完全には理解しなかったようだ。

「感情プログラムの入れ替えにトラブルが起こらないように、研究室では何度も実験はされています ので、トラブルが起こる可能性はとても低く、問題にはなりません」

 そういう意味ではないと浩之は心の中で思ったが、それを口にする必要もないかと思い、セリオの 言葉を聞き流すことにした。

「まあいいや、ついでだから今日はこれで『シルバー』のテストは終ろうか」

「はい、一日に必要なデータはまだ取れていませんが、急ぐ必要もないと思われます」

 セリオのその抑揚のない声は、浩之を安心させた。いや、それはただその前に不安材料があった からで、セリオの声に力があるわけではなかったのだが。

「で、聞きたいんだけど、『シルバー』に変わっている間の記憶は今のセリオにはあるのか?」

「はい、もちろんです。感情プログラムは別のを使っていても、記憶プログラムは同じものですから」

「てことは、『シルバー』に変わっても今のセリオとは違いはないのか?」

「違いがない、と言われれば、違いはもちろんあります。例えば、お食事を食べていただいたときに、 「美味しいですか?」とは今の私なら聞かないでしょう。ああいう部分は、多分に『シルバー』の 影響です」

 セリオの言葉は、浩之が本当に聞きたいところからは少し外れているような気がしたので、浩之は 質問を変えた。

「いや、俺が聞きたいのは、『シルバー』が動いてる間も、セリオは俺の知っているセリオなのかな、 と思って」

 セリオは、しばらく考えてから答えた。

「浩之さんの知っている私が、どういう定義なのかは私には理解ができませんが、感情プログラム が変わろうと、私はセリオです」

「……そうか、わかった。ありがとう」

「いえ」

 セリオはそっけないとも取れる返事をしたが、その方が浩之にはよかった。

 正確に言うと、そっけなくも取れる返事をする方が、浩之の知っているセリオに思えて、安心 できるのだ。

 セリオが言った言葉は、それなりに浩之を安心させはした。

 感情プログラムが変わろうと、私はセリオです。

 そう、感情プログラムが変わろうと、それはセリオだ。

 本人がそう言っているのだ。確かに、行動の部分で少し変化はあるが、それはあくまでそうするように とプログラムされた結果であり、セリオが消えてなくなるわけではないのだ。

 それに、セリオも言っていたではないか。感情プログラムの入れ替えにトラブルが起こることは まずないと。

 それは俺の単なる杞憂だ。不安がることなどなかったではないか。

 ただ、それでも心に何か引っかかっていた。

 セリオの言葉にしたがって、自分が無理やり納得しようとしているのではないのか。

 不安を打ち消すために、無理にでも自分を安心させようとしているのではないのか。

 浩之は、やはりどこか不安を打ち消せないでいたのだ。

 それは、セリオが『シルバー』のテストを終えるまで続くのであろうか。

 だったら、何と辛い日々になるだろう。

 浩之は、そういう覚悟もしなくてはならないのかと思い、重い気分になるのだった。

 こうなることを予測して、長瀬主任は俺に注意を呼びかけていたのだろうか?

 でも、そのわりにセリオの無表情の顔は浩之を安心させた。

「浩之さん、気になったのですが、お風呂にお湯をはったままでいますが、お風呂に入らないのですか。 お湯がさめてしまいますよ」

「お、忘れてた」

 浩之は、セリオのことが気になってお風呂に入るのを忘れていた。

 時計はまだ9時にもなっていなかったが、お風呂に入った後にゆっくりとくつろぐもの悪くない だろう、と浩之は思った。

 そして、浩之はどちらかというと成長していない方であった。

「セリオ、一緒にお風呂に入るか?」

 そして、セリオの反応はしごく当然の反応だった。

「はい、分かりました。、お背中を流しましょうか?」

「……こういう冗談はセリオには通じなかったんだったな」

 浩之の言葉を聞いていないのかセリオは言葉を返した。

「私達は老人の介護もできるように、防水加工もされています。お風呂に入ることも可能ですが」

「……悪かった、セリオ。俺の負けだ」

 浩之は、すぐに負けを認めた。

「やはり冗談だったんですね」

「当たり前だろ、いくら俺だって女の子に一緒にお風呂に入ろうとは本気では言えないさ」

「いえ、嘘にならなくてよかったと思っただけです」

「は?」

 セリオの言っている言葉の意味が浩之にはよく分からなかった。言っている言葉が難しくて分からない ことはあったが、単純に言っていることが分からなかったのはこれが初めてだった。

「いえ、何でもありません」

 セリオはしれっと言った。もちろんそんな表情はしていなかったのだが、浩之にはそ感じられた。

「それで、お背中流しましょうか?」

「いや、いいって。んじゃ、ちょっくらお風呂に入ってきますか」

 浩之は、よっこらしょとおじさんくさい掛け声をしながら立ちあがった。

「それでは、ご一緒します」

 セリオの冗談に、いや、多分冗談なのだろう言葉に、浩之は顔をしかめた。

「……そういう冗談は、一体どっから覚えたんだ?」

「ほとんどは綾香お嬢様からです」

 セリオの言葉は、それが冗談だというのを肯定していた。もちろん、冗談でなければ浩之はよけい こまっていたのだが。

「……綾香らしいって言えば綾香らしいかもな」

「問題があると感じられるなら以後この類の冗談はやめますが?」

「いや、いい。気にしないでくれ」

 浩之は、どこか苦笑しながらそう答えた。

 

 棘は、ゆっくりと、人々にささっていく……

 

続く

 

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