銀色の処女(シルバーメイデン)
「起きてください、浩之さん」
明るく、優しげな声が浩之の耳に届く。
浩之はその聞きなれない声で目をさました。
自分を起こすのはあかりときまっている。しかし、その声はあかりではなかった。
「誰だ?」
浩之は眠たい目をこすって起きあがった。
「おはようございます、浩之さん」
自分に向けられる笑顔に、浩之は記憶がなかった。
いや、顔や声には記憶があった。しかし、表情や口調には記憶がなかった。
目の前には、エプロンをつけたセリオの顔をした女の子がにこやかな顔をして立っていた。
「よく眠れましたか?」
「……」
浩之は、ねぼけた頭で、彼女が誰なのかを一生懸命考えていた。
「浩之さん?」
その女の子は、不思議そうな顔をして浩之をのぞきこむ。
しかし、その親しげな声には、少しも記憶がない。彼女の口調からして、自分のことを彼女は よく知っているようだったが、どうしても思い出せない。
浩之は、その女の子に訊ねた。
「君は、誰だ?」
「私はセリオです」
その女の子は、その質問を予測していたように答えた。
「私は、浩之さんのよく知っているセリオです」
「……違う、君は俺の知っているセリオじゃない」
女の子は、ふふふっと笑った。
「そんなことを言っても無駄ですよ、本当のセリオは、私なんですから」
「そんなはずない!」
浩之は、女の子に向かって怒鳴っていた。
「俺の知っているセリオは、そんなんじゃない!」
しかし、怒鳴られてなお、女の子は笑ったままだった。
「何で笑う!」
浩之の言葉にも、女の子は笑ったままだった。とても無邪気な笑いが、よけい浩之を不安にさせた。
不安?
そう、不安。浩之は、不安でならなかった。その確信にも似た恐怖に。
「本物のセリオはどこに行ったんだ!」
「だから、私が本当のセリオなんですよ、浩之さん」
「そんなわけ……!」
自分をセリオといいはる女の子は、そっと手を浩之の顔にのばした。
つめたい手だった。
「これが私の本当の姿なんです、浩之さん。今までのセリオが、偽物だったんですよ」
セリオは、とても嬉しそうに笑ってから、言った。
「ほら、偽物だったセリオは、あそこで壊れてますよ」
セリオは、浩之の顔をゆっくりと部屋のすみに向ける。力が強いわけではなかったが、浩之は それに抵抗する力がなかった。
部屋のすみに、ぽつんとそれは転がされていた。
「今まで浩之さんをだましていたんですから、あれぐらいは当然ですよね」
セリオは、実に楽しそうに、そして優しく浩之に言った。
手足はもげ、その傷から何かがたれていた。その傷口は、人間のものではなく、浩之の見たことの ない機械がバチバチと陳腐な音をたてていた。
胸には大きな穴があいており、そこから他の傷と同じように液体が流れ出していた。
そして、ひどく綺麗なまま引き千切られた顔は、無機質に浩之の方を見ていた。
「偽物は、ああいう運命にあるんですよ、浩之さん」
偽物のセリオの残骸から目を離すことのできない浩之の耳の横で、セリオはまだ笑っていた。
「さあ、お食事の用意ができてます。顔をあらって、歯をみがいて、テーブルについてください。 トーストとベーコンエッグとサラダです。腕によりをかけて作りましたからきっとおいしいですよ。 あ、偽物の残骸は私がちゃんと後で掃除しておきますね。あんなものを部屋に置いておくのも何ですし。 それから今日は学校が終ったら一緒に買い物にいきませんか。近くのスーパーが安売りで……
……
……
……
浩之は、目を覚ました。
激しくて、不快な鼓動が浩之の全身を駆け巡っていた。
異常とも思える量の汗はシャツを浩之の体にべっとりろ貼りつけていた。
のどが、痛い。
浩之は痛いほどに渇いたのどをおさえた。口の中もからからだった。
でも、浩之はのどの渇きを潤すより、時間を知るために時計を見るより、部屋のすみを見る方 が大切であった。
大切ではあったが、浩之は無意味な恐怖に駆り立てられ、それができずにいた。
ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ
火花の散るバチバチという音と同じぐらいに陳腐な音が、浩之の体の中に響いていた。
恐くなんてない、あれは、嘘だ。
早く、部屋のすみを見てみればいい。それが嘘だったことがすぐにわかる。
嘘なんだよ、何を恐がってるんだ!
浩之は、怒りにも似た感情で部屋のすみの方を向いた。
そこには、本物のセリオが、倒れているなんてことはなかった。偽物が倒れているわけでも なかったし、とにかく、そこには何もなかった。
浩之は人知れず安堵の長いため息をはいた。
「……何やってんだか、俺は」
そして、気持ちが落ち着くと、浩之は自分の行動がとても滑稽に思えてきた。
不安だったのはわかるが、あんな夢を見て、さらにそれに踊らされるとは。
自分が夢を見ることさえ珍しい、いや、その内容を覚えていることなど、さらにめずらしい ことだ。
浩之は、時計を見た。
時計は、4時をすぎたあたりをさしていた。
そこで、浩之はそこで初めて外が真っ暗なのに気がついた。
……のどが渇いたな。それに、気持ちが悪い。
浩之は水でも飲んで、シャワーでも浴びようと思ってベットから立ちあがると一階に下りた。
パチッ
浩之が台所の電気をつけると、そこにはセリオがイスに浩之の方を見ながら座っていた。
「わっ!」
浩之は驚いて、大声をあげたが、セリオは落ちついたものだった。
「申し訳ありません、浩之さん。驚かせてしまったようですね」
セリオは、反省しているのかどうかよくわからないその無機質な口調で浩之にあやまった。
「い、いや、俺の方も悪かった。でも、こんなところで何やってるんだ、セリオ」
「眠っておりました」
「は?」
セリオは、簡単な説明を始める。
「充電にはそこまで時間がかかりませんから、充電が終わった後は音と光に反応するセンサーだけを 動かし、省電力モードに入ります。人間の方で言うと、眠っている状態です」
「で、台所?」
「はい、イスに座れた方が良いので」
しかし、こんな暗闇の中、台所にいなくてもいいのに、と浩之は思った。
「ってことは俺はセリオを起こしちまったのか?」
「いえ、眠っているとは言え、人間の方のようにそれを妨げられるのが不快というわけではありませんし、 気にしないでください」
セリオは、淡々と浩之に言った。本当にどうでもいいことなのかもしれない。
「それよりも、浩之さんはこんな時間にどうしたんですか。まだ起きるには早すぎるような気が しますが」
「あ、ああ、ちょっと目がさめて、のどがかわいたし、汗もかいてたから、水でも飲んでシャワー でも浴びようかなって」
「それならば飲み物を入れます」
セリオはすくっと立ちあがると手早くガラスのコップに氷を入れ、冷蔵庫に入れてあった麦茶を ついで、浩之に手渡した。
「どうぞ。ゆっくりと飲んでください、一息に飲むとお腹を壊すかもしれません」
「ありがと、セリオ」
浩之は手渡された麦茶を、セリオに言われたようにゆっくりとのどを潤すように飲んだ。
その間、セリオは何をするでもなくただ浩之の前につったっていた。
「っふう、ありがとう、セリオ」
「いえ」
セリオはコップを浩之から受け取ると、すぐに軽く洗っておいた。
濡れた手をタオルでふくと、セリオは浩之の方を向いてから訊ねた。
「お風呂にはいるんですか?」
「ああ、汗かいちゃったみたいなんでな」
「熱かったんですか?」
「いや、そういうわけじゃないが……」
「それでは、風邪でもひいているのですか?」
セリオは、無表情のまま、浩之に近づいた。
「失礼します」
そう言うと、セリオは浩之のおでこに手をあてた。
「あ……」
「……熱は平常のようですね、少し脈拍が早いような気もしますが、さっき私が驚かせてしまった からでしょうね」
セリオの手は、暖かいというほどでもなかったが、つめたくもなかた。
「どうかしましたか、浩之さん」
「ん、あ、いや、手が別につめたくないなと思って……」
「はい、普通に活動していれば放熱のために体は熱を持ちますし、手はそれなりに暖かくなるように 設計されていますから」
「へ〜」
「例えば、介護をする場合、介護する方もつめたい手では嫌でしょうし、そういうことは考えて 設計されています」
浩之は、どこかほっとした。セリオの手が、つめたくないことに。
そして、それと同時に、夢のセリオを思い出してしまった。
笑っているセリオではなく、壊れてしまっているセリオを。
不自然に、ひどく綺麗なままの顔を。
浩之は、ある衝動にかられた。
セリオを抱きしめた。抱きしめて、その鼓動を、その体を暖かさを感じたい。
壊れてしまったセリオの姿が、浩之にどうしようもない感情を生んでいた。
セリオの存在を確かめたい。
しかし、その衝動は、理性によって押さえられた。
だいたい、浩之はその衝動に一つ不自然な部分がある、と思った。
セリオの体はそれなりに温かいだろうが、鼓動は感じられないはずだ。セリオは、体の中に 心臓が埋め込まれているわけではないのだから。
彼女は、人間ではなく、メイドロボだ。それを、いかにも人間であるかのようになって欲しいと 思うのは、単なる自分のわがままではないか。
だから、浩之はセリオを抱きしめたりはしなかった。
そのかわり、唐突とも思えたが、セリオの頭をなでてみた。ちょうどマルチにするのと同じように。
「浩之さん、どうしました?」
浩之は、セリオの言葉に答えずにセリオの頭をなでた。セリオも、それ以上は何も聞かずに、 浩之にされるがままでいた。
ほんの30秒ほどだったろうが、浩之はセリオの存在を感じて、何とか落ちつくことができた。
「さてと、んじゃシャワー浴びてくるか」
「はい、タオルは外に出しておきますので」
そのことには何も説明をしない浩之に、セリオは別に何を言うわけでもなく、いつも通り無表情 なまま仕事をこなしていた。
浩之はお風呂場に入ると、おもいきり熱いシャワーを浴びた。
何かを流せればいい、とでも思っているように。
続く