作品選択に戻る

銀色の処女(シルバーメイデン)

23

 

 そこにいるのはセリオの格好をした知らないメイドロボ、綾香はそれを見てそう思った。

 だから、無意識につぶやいていたのだ。

「あなた、誰よ」

 綾香の記憶違いなどではなかった。それは、確かに綾香の知らないメイドロボだ。

「何をおっしゃるんですか。私はセリオですよ、綾香お嬢様」

 セリオは、少し途惑いながらも、そう答えた。

 客観的に見れば、どちらの反応がおかしかったかのかは一目瞭然だ。ただ、当の本人にしてみれば、 それは当然の反応だった。

「知らないわよ。私の知ってるセリオはそんなんじゃない!」

 綾香はそうはっきりと言った。

 私の知っているセリオ。それは、こんなどこか作り物のような人形じゃなかった。

 綾香にもはっきり分かったのだ。セリオが消えていくことが。

「早く元のセリオに戻りなさいよ!」

「ですが……本当に私はセリオなんです」

 セリオは、厳しい表情の綾香に救いを求めるように泣きそうな顔で言った。その表情が、綾香には とても腹立たしかった。

 それは、セリオの姿じゃない!

 今にも叫んで綾香はこの場から走って逃げたい衝動にかられる。

「私の知ってるセリオはそんな表情なんてしない!」

「綾香、落ちつけ」

「これが落ちついてられるもんですか!」

「いいから落ちつけって言ってるんだっ!」

 シンッと綾香がだまる。あかりも志保も浩之の声にあっけに取られた。付き合いの一番長いあかりで さえ、浩之が本気で怒鳴るのを目撃したのは数えるほどしかない。

「……いいから、落ちついてくれ、綾香。お前の気持ちはわかる。昨日の俺もそうだった。だが、 今はヒステリックになっているときじゃないだろ」

「そうだけど……」

 ちらっと綾香がセリオを見ると、セリオはおろおろとしてどう行動していいのかわからない ようだった。その反応は、本物のセリオの反応ではない。

 本物の反応ではないと、綾香は思っている。

「俺達のしなければならないことは、騒いだり、狼狽することじゃない。そんなことのために お前を残したんじゃないんだ。綾香には、手伝って欲しいんだ、セリオを、本当のセリオを助ける ために」

「私に?」

「綾香は、来栖川のお嬢様だろ。お前なら、なんとかこのくだらない実験を終らせることができるん じゃないかと思う」

「……多分、やれるとは思うけど……」

 綾香は狼狽して、そのことに今まで気がついていなかった……わけではない。

 綾香にとっては、セリオは親友でもあるが、浩之の心を奪い合うライバルでもあるのだ。しかし、 そのライバルを排除するのに、自分の権力を使うのは綾香は趣味ではなかった。

 セリオの実験をやめさせる。それは、結果的には自分の利益になるのではないのか? そういう 思いが、わざと綾香の頭から「この実験をやめさせる」という選択肢を削っていたのだ。

 もっとも、そんな有効な手を、浩之が思いつかないわけはなかったが。

「でも……それは……」

「本当は、綾香にこういうことを頼むのは筋違いかと思って今日は綾香を呼ぶつもりはなかったんだが、 さっきの綾香の様子を見て確信した。綾香、これが一番いい手なんだ」

「……」

 綾香にとって、セリオは大切な者だった。しかし、それ以上に……

「あ、あの……浩之さん、綾香お嬢様……」

 そして、その肝心な場面で、その2人にとっては偽物のセリオは口をはさんできたのだ。2人の 思う本物のセリオなら絶対にしない行動だった。

「で、ですから、私は本当のセリオなんです。今は感情プログラムの違いからお2人の知っている セリオとは違うように見えますけど、本当に……」

「偽物は黙っていて!」

 いままでになく厳しく、セリオはそう言った。

 そう、偽物と。

「そ、そんな……」

 綾香に一喝されたセリオは、驚くべきことに、泣き出した。

「私……ヒック……本当に、セリオなんです」

 驚くべきこと?

 違う、驚くべきことなどではない。人間なら、人間の女の子なら、親友にあそこまで言われたら、 泣かないことは、おそらくないのではないだろうか?

「本当に……偽物なんかじゃ……」

 そのセリオの泣く姿が、綾香にも、浩之にも滑稽に見えた。セリオは、泣いたりしない。目を 湿らすための涙腺のかわりになるものはついているはずだが、それは「泣く」という行為には つながらない。それを2人はよく知っていた。

 そして、滑稽どころか、それ以上に、2人の心をしめつける。もちろん、その「泣く」という 行為自体ではなく、2人の思う本物のセリオなら「泣く」ことなどしないという相違点による 不快感からだが。

 おぞましい姿なのだ、セリオが泣くなどという行為は。

「セリオの格好をして泣かないでよ!」

 綾香の口調は明らかにそのセリオを責めていた。今のセリオに対する心くばりなど、言葉のはしに さえない。

 それはそうなのだ、綾香にとって、今のセリオは自分の親友のセリオではないと信じている のだから。

「で、ですけど……ヒック、本当に、私……」

 まるでマルチ、そうはこの中にいたあかりや志保でさえも思わなかった。それとは、まず間違い なく明らかに違うものだ、ここにいるセリオは。

「信じてください、私、綾香お嬢様にそんなことを言われたら……」

 セリオは綾香の命令にも従わず、泣きつづけていた。いや、命令できるのは浩之なのかもしれな かったが、今は浩之もセリオを助ける気にはなれなかった。

 いや、浩之はそれを賢明に無視しているのだ。そこにいるのは浩之の知らない、作られた人格。 しかし、今その悲しんでいる姿を見て、助けてしまいたい衝動にかられる。

 浩之の「こまっている者を見捨てることができない」性格は、その不都合な時と場所でも働こう としているのだ。

 綾香を止めることはまだいい。だが、それはこの偽物のセリオを守ることになるのだ。それは、 浩之にとっては避けるべきことであった。

 それを分かっているのかどうなのか、セリオは浩之に救いを求めるように下から見上げるように 浩之を見つめる。

 落ちつけ、俺。こいつは、セリオじゃないんだ。それどころか、こいつはセリオを……

 セリオの姿をした『シルバー』は何も浩之には言わなかった。しかし、その目は、浩之に救いを 求めていた。

 浩之にはもちろん分かっている。このセリオの姿をした『シルバー』は、自分の知っているセリを 消してしまう悪魔だと。しかし、それでも浩之はそうやって助けを求める目を心からは放っておけない でいた。

 しかし、『シルバー』のその行動は、浩之の心を揺さぶることは可能であったが、同時に、綾香の 心をも必要ない方向にまでゆらしていたのだ。

 この偽物は、セリオを消すばかりか、浩之までも苦しめている!

 浩之が優しいことなど、ここにいる全員が知っている。知らないのは浩之本人だけであろう。 しかし、それだけに、その浩之の優しさを利用しようとする者はいない。

 それを、この偽物はしようとしているのだ。浩之は例えそれがセリオの偽物と知っていたとしても。 助けを求められたら断りきれない。まして、言葉に出さずにああやって目で訴えられたら……

「……綾香、それぐらいにしとくんだ」

 ……やっぱり。

 それはどこをどう見たところで綾香には美点であり、こんな状況でさえ憎らしく思うことはない。 でも、だからこそ綾香の感情をゆさぶる。

「確かに『シルバー』はセリオとは違うかもしれ……」

「浩之も偽物なんてかばわないでよっ!」

 綾香はそう叫ぶと、ダッと部屋を出て、玄関に向かった。もう、こんな場所にはいられない。

「綾香!」

 浩之は、綾香を追おうとして一瞬迷った。そして、あかりと志保に手早く言った。

「俺は綾香を追ってくる。しばらくここにいてくれ!」

「別にかまわないけど……」

 志保は、浩之のその剣幕におされてそう簡単に返事してしまった。いつもならヤックでもおごれと 言うのだが、どうも今はそういう場面ではなかったようなので自重する。

「じゃあ、頼んだぞ!」

 浩之はそれだけ言うと、走って玄関に向かった。丁度扉を開け、綾香が外に飛び出すところだった。

「待て、綾香!」

「放っておいてよ、浩之はあの偽物とでも一緒にいたら!」

 そう捨て台詞を吐くと、綾香は浩之の家を飛び出した。

「綾香!」

 浩之は急いで自分も靴をはくと、綾香の後を追った。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む