銀色の処女(シルバーメイデン)
「えーと……」
浩之の勢いに負けてまかされた志保であったが、何をしていいのか分からなかった。
「私ら、何してればいいんだろ?」
仕方ないので、とりあえずあかりに聞いてみる。
「……」
「あかり?」
あかりはうわのそらで、志保の言葉を聞いていなかったようだ。
「あかりってば!」
「えっ、え、えと、何、志保?」
「もう、何じゃないわよ。これから私ら何しようかって言ったの」
「……浩之ちゃんが帰ってくるまで待ってるしかないんじゃないかな?」
「……やっぱりそうなのかなあ? ああ、もう、今度絶対ヤックおごらせてやるんだから」
よく分からないことにまき込んだ浩之に対して、志保は報復を誓う。もっとも、もとはと言えば 志保が浩之の後をつけようとあかりに提案したのが原因なのだが、それは志保の中ではすでに関係の ない話になっている。
「あの……」
そこで、志保にはよく分からないのだが、セリオというメイドロボが話しかけてきた。
「私は、綾香お嬢様と浩之さんの後を追いたいのですが……」
「2人を追いかけてどうするのよ」
志保は、何の気なしにそんな質問をした。
「2人の誤解を解きたいので……」
2人の誤解を解く……ね。
志保には、その誤解さえ何なのかよくわからなかった。
単なるメイドロボが、丁度マルチのように表情を持っただけ、志保にはそう見えていたのだ。 だから、何を浩之や綾香が騒いでいるのかいまいち分からなかったのだ。
「大丈夫だって、ああいうのはヒロにまかせておけばだいたいうまくいくから」
志保はとりあえずここでこのかわったメイドロボに騒がれるのも嫌だったので、そう気楽そうに 口にした。その言葉に嘘はない。ヒロは今まで、恋愛事以外の全ての問題を最後には解決してきた男 なのだ。たかが女の子のヒステリー一つどうにかできないわけがないと志保は考えていた。
「それより私が知りたいのは、なんでヒロも綾香もあんなにさわいでたの?」
「それは……どうも、私がセリオではないと誤解しているみたいなんです」
セリオは困った表情をして志保に説明した。
「セリオって、あんたのことなんでしょ?」
「はい、私のことです。ただ、今は感情プログラムを『シルバー』という試験用のプログラムに 変えているので、別人に見えても仕方のないことなのですが……」
「別人ねえ……ねえ、あかり。あんたはこの子知ってるんでしょ?」
「う、うん、一応」
「んじゃあ、やっぱりもとのこの子とは似ても似つかないの?」
「……うん、全然違うよ。セリオさんは、すごく無表情だから」
「まあ、メイドロボって無表情なものだと思うけど……って、マルチは表情多いか」
「この『シルバー』は、マルチさんの感情プログラムに近いプログラムがされているはずです」
「そのわりには何かわざとらしいわね」
志保は、自分の感じたままを、何を考えるでもなく口にしていた。
「……え?」
しばらく、セリオからの返事が遅れたような気がしたが、志保はとりあえず気にしなかった。
「いや、マルチの感情プログラムに近いって、のわりにはなんかわざとらしく作ってあるなって」
「わざとらしく……ですか?」
「私はそう思うけど。あかりは?」
「私は……別に」
「うーん、あかりが気付いてないんなら、私の気のせいかな?」
志保は、そのメイドロボと会話を続けていて、こう思ったのだ。
違和感、とでも言ったらいいのだろうか? 作り物めいたものが、その表情、口調、仕草から 見て取れるのだ。まるで演技をしているような感じがして、志保はどうも居心地が悪かった。
もしこれがマルチと同じ感情プログラムを作ろうとしているのであれば、できそこないも いいところ、と志保は思った。
「私はてっきり、なんかわざとらしいから、そっちの方でヒロや綾香が疑問を持ったのかと思った わよ」
「私は……そんなにわざとらしく見えますか?」
セリオは真剣な顔でそう聞いてくる。志保としては、何も考えずに口にした言葉にセリオが 過敏に反応したので、これはふれられたくない話題なのかと思って、話題をにごすことにした。
「あかりが気付いてないんなら多分私の思い違いよ。ほら、私らって初対面でしょ?」
何か知らないが浩之や綾香は深刻に考えているようだったが、志保にとってみれば、セリオは 単なるメイドロボなのだ。わざわざ話を親身になって聞く気はおきなかった。
しかし、セリオは何故か食い下がってきた。
「何か不自然に感じたことがあるならぜひ詳しく教えてください」
「詳しくって言っても……」
「今はこの感情プログラムの実験中なので、人からの意見はなるべく多く取っておきたいのです」
志保は、そこでまた何か違和感を感じた。
「えーと……」
言葉を濁すふりをして、志保は一生懸命その違和感の理由を考える。
なんか、どっかひっかかるのよね……
セリオの行動、表情、口調は、確かに人間にそっくりであった。もしセリオの耳がメイドロボの ものでなかったら、町を歩いていてもそれがメイドロボだとは気付かないだろう。しかし、今目の前 にしてみると、どうもセリオを「人間」と間違うことができそうになかった。
なんでだろう? 今さっきの言葉にも違和感感じたし……
ここまでくれば、いくらあかりが気付いていないからと言っても、それを自分の気のせいとは 言い切れなくなっていた。
何かあるのよねえ、でも、あかりが気付いてないって……
志保は、チラリとあかりの方を見る。あかりは、やはり志保とセリオの会話を聞きながらも、どこか こころあらずと言った感じであった。
あかりは、確かにセリオが変わってしまうことは嫌な気分だったのだが、それよりも気を取られる ことが今はあった。
浩之が、飛び出して行った綾香の後を追っていってしまったことだ。
綾香がああいう行動を取れば、浩之がその後を追うことはあかりにはもちろん分かっていた。 浩之の優しさを一番最初に受けたときから、あかりは浩之が優しいということを疑ったことは一度も なかったし、実際浩之は優しかった。
だが、だからこそ、浩之の優しさを知っている人間は、浩之に甘えてはだめなのだ。それを、 あかりは全世界の中で一番よく知っている。
だから、綾香の行った行動でさえ、あかりには浩之にわざとそういう姿を見せたようにしか 見えなかった。
綾香が、おそらく浩之を狙っているのはあかりも薄々気付いている。でも、それでも綾香は 浩之の理解者の一人、そういう行動を取るとは思ってもいなかった。
そういう綾香に対する憎しみ……というよりは浩之の優しさに甘えるその考えに対する憎しみを、 あかりは密かに心の中に芽生えさせていた。
しかし、それとは逆に、あかりは浩之が綾香を追うのを止めなかった。もしかしたら、この後 綾香が勢いで浩之に告白するかもしれない危険性を考えても、それでもあかりには浩之を止めれ なかった。
あかりはよく分かっているのだ。ここで浩之を止めることが、浩之に対する一番の裏切りだと。
浩之を信じるあかりには、浩之の優しさを、その魅力を、止めることなどできないのだ。
そして、あかりは何も言わずに浩之を見送った。
もちろん、綾香と浩之の仲が親密になるということは、またそれとは別の感情なので、あかりの 心は葛藤にあけくれていた。
セリオさんが変わってしまったことに、綾香さんが傷つくのは私にも分かる。その傷を見て、 浩之ちゃんが放っておかないのもわかる。でも、浩之ちゃんがその後綾香さんにどういう感情を 持つかだけは分からない。
あかりは、浩之に関しておそらく一番この世の中で、これは浩之本人もあわせるかもしれない レベルで、知っていたが、浩之の恋愛感情だけは、どうしても分からなかったのだ。分かっている ことといえば、からかわれたことは多々あったが、今まで本当に恋人がいたことは一度もなかった ことぐらいだ。
だから、どうしてもそのことを考えると、志保の言葉もあかりにはうわのそらになってしまって しまうのだった。
そんな、あかりの心境の変化を全て志保が理解しているわけではなかったが、とりあえずは志保 にもあかりが浩之のことを考えているのはわかっていた。というよりこれ以外にあかりがうわのそらに なることなどありえないのだから。
うわのそらか……
そのあかりの態度が、どこか今も志保にはひっかかった。いや、あかりの態度が、ではなく、その あかりのうわのそらの態度が、何かを志保にひらめかせかけたのだ。
あかり、ヒロと綾香が一緒にいるのを気にしてるんだろうなあ……
志保にも浩之のことは気にはなったが、どうしても現状をいまいちつかみそこねている上に、 今目の前に何かひっかかるものがあって、とりあえず後まわしにしていた。
私は、このひっかかっていることが何なのか考えている……あかりは、綾香の後を追ったヒロの ことを考えている。
ヒロは、このセリオとかいう子のこととか、今は綾香のことを考えているだろう。綾香は、セリオ のこと、もしかしたら、浩之のこと……
私……あかり……ヒロ……綾香……
セリオは2人の後を追いかけたと言っていた。そして、今は自分の行動がわざとらしいと私に 言われて、それを気にして私にしつこく聞いてくる。
……あれ?
どこかで自分の思考は整合性を欠いているように志保には思えた。
何かが変だ。どこか、おかしな場所がある。
志保は、もう一度考えた。
私……あかり……ヒロ……綾香……セリオ……
……セリオ?
セリオは、2人のことを心配して、私は、今このひっかかりが気になって、あかりはヒロのことが やっぱり気になって、綾香はセリオのことで飛び出して、セリオは自分の感情プログラムについて 私に訊ねてきて……
……どうしてだろう。
志保は、のどまで出かかっている思考をまとめた。
セリオは、そう、セリオだ。セリオは、2人のことを心配して、私に感情プログラムの質問を している。
違う、違う、これじゃない。2人の心配をして……
……心配をして?
そう、そこだ。違うのはそこ。
後を追いかけようとしたいと言ったのを、私が止めて……。止めた後、セリオは私が「わざとらしい」と言ったのを気にして。
セリオが気にしたのは、2人のこと。やっている行動は、自分の感情プログラムについて。
わかった。
志保は、どうどうめぐりに近い思考の結論にたどりついた。
間違っていたのは整合性じゃない、必然性でもない、行動だ。
続く