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銀色の処女(シルバーメイデン)

25

 

 綾香の足は、当然のように速かった。浩之は何とか綾香においていかれないように全力で 走った。

 しかし、もし見失ってしまっても、探すのは無理だとは思わなかったが。

 俺の予想があたってるなら、もう少しだ。

 綾香は、河原の方に向かっていた。浩之もそれに途中で気付いたのだが、綾香がもしそこでも 止まらなかった場合のことを考えて、無理をしてもついて走っていた。

 でも、本当は浩之には確信があった。

 綾香は取り乱しているようでも、どこかちゃんと考えている。俺が綾香の後を追うことは、 それによって、セリオに聞かれたくない話をすることを可能にするための行動。

 もっとも、場所に関しては、浩之の単なるカンではあるが。浩之と綾香の絆が強いのは、河原 だったからだ。そして、セリオとの絆も。

 天才というのは、ただ才能だけではないのだ。一つ一つの行動が、理にかなっている。綾香は、 あんな場面でさえ、無意識に理にかなった行動を取れる。綾香は、天才だから。

 そして、結果的に、綾香の行動は浩之が考える通りとなった。

 綾香は、河原まで来て立ち止まった。

「あ、綾香……」

 浩之は肩で息をしながら綾香に近づいた。綾香も、肩で息をしているが、走り出す気配はない。

「……セリオは?」

 綾香は、振りかえるとセリオの姿を探した。その表情は、あまり傷ついた女の子、という表情 ではなかった。

「セリオは俺の家にいると思う」

「そう、それならよかったわ」

 綾香は、セリオに追いかけて欲しいとは、少しも思っていなかったのだ。むしろ、今はセリオが いない方がよかったのだ。

 綾香は、浩之が思うように全てを意識的にやったわけではない。本当は衝動にかられて浩之の 家から飛び出したのだ。ただ、あんなセリオと、その偽物をかばう浩之の姿が見たくなかったから。

 しかし、そのときは頭から抜けていたのだが、あんな逃げ方をすれば、浩之は何があっても自分を 追いかけてくるだろうと走り出してすぐに気付いた。

 浩之の優しさを逆利用するのは気がひけたので、すぐに走るのをやめようかとも思った。だが、 考えてみればこれは絶好のチャンスなのだということに、すぐに気がついた。

 ここまでのあかりの心配は、ほぼ完全に正解だと言えよう。しかし、綾香にとって絶好のチャンス なのは、別に浩之を手に入れるためのチャンスなどではなかった。

「偽物本人に聞かれたらやりにくいことだしね」

「綾香、お前やっぱり……」

「当たり前じゃない、あんな偽物に、セリオを奪われてたまるもんですか」

 セリオが変わってしまったことに対する憤りや、不安、怒り、そんな感情でその場から逃げる 女の子、その後を追う男。これ以上の迷彩もないだろう。

「あの偽物を消す作戦を、ここでなら2人で話せるじゃない」

 その迷彩に気がつけたのは、当の浩之だけであった。あの後他の人にも追いかけられていたら やっかいなことになるので、綾香は全力で走っていたのだ。綾香の全力についてこれる女の子はいない だろうという考えからだ。

 ただ、それでもセリオなら難なくついてこれていたろう。相手は人間ではなく高性能のロボット だ。だから、セリオのプログラムを騙す必要があった。違和感ないようにあの場から飛び出さなくては ならなかった。

 『シルバー』がどこまで人間に近く作ってあるかは知らなかったが、少なく ともそれをごまかすことのできる舞台が、そのときにそろっていたことを綾香はすぐに気付いて、 そしてそれを利用した。

 浩之が追ってこない? そんなバカげた考えは、綾香は考えていなかった。

「やっぱり演技だったのか」

「失礼ね、あんな場所にいたくなかったのは確かよ。セリオの偽物なんかと一緒にいたくなかったし、 だいたい、浩之も偽物をかばうことないじゃない」

「それはそうなんだが……」

 綾香は怒ってみせたが、浩之は言葉を濁しただけであった。そんな浩之を見て、綾香は表情を ゆるめる。

「ま、浩之に女の子にきつい態度取れって方が無理だとは思うけどね。私もそんな無茶な注文は するつもりないわよ」

「別に女全てにやさしくしてるつもりじゃないんだが……」

「まーね、私には優しさが足りないわよ」

 綾香はクスッと笑った。もちろん、そんなことはなかった。浩之の優しさは、本当によく受けて いる。でも、浩之はそれを指摘されるのを嫌がるのだ。ここは、冗談としておいた方がいい。

「俺もあれがセリオじゃないって分かってるんだがな……で、やっぱり綾香もあのセリオは偽物 だと思うか?」

「当然じゃない、あんな男にこびるような頭の悪い女じゃないわよ、セリオは」

「ひどい言いようだな」

「当たり前よ……セリオは、私にとっては親友よ」

「……」

 その言葉の意味を浩之は痛いほど分かっていた。それだからこそ、綾香はセリオのためにここまで 怒ることができるのだ。

 たかがメイドロボ、なんて言葉は、もう綾香にも浩之にも通じなくなっていた。今、2人は一人の 親友のために動いているのだから。

「とりあえず、浩之はなるべくあの『シルバー』を出さないようにしておいて。1日2日ぐらい ならセリオも実験の引き伸ばしをしてくれるでしょ」

「それはいいが、綾香はどうするんだ?」

「私? 私は、長瀬にかけあってみるわ。セリオにあの実験をさせないように」

「できるのか?」

「だめだったら会社から私が買い取るわ。まかせてよ、うちの親は子供には甘いから」

「頼んだ、俺には何もできないが……」

「何もできないわけじゃないのよ、浩之には、私が話をつけるまで『シルバー』を見張っててもらわ なくちゃいけないんだから」

 今は浩之はセリオの主人、浩之さえ強固な姿勢を取れば、それだけ抑制力として働くのだ。

「……綾香、話をつけてくれるんなら、長瀬のおっさんに聞いておいて欲しいことがあるんだが……」

「何?」

「あの『シルバー』は、何の意味があったのか、聞いておいて欲しいんだ」

「意味って?」

 浩之は、セリオが消えるという嫌悪感と他に、もう一つだけどうしても不思議なことがあった。

 あの『シルバー』には、一体どういう意味があったのか、それがどうしてもわからない。

 一度、マルチでさえ感情をつけられずに売り出されたのだ。それは、感情がメイドロボにいらないと 判断したからではないのか。そして、何故今になって、しかもそれをセリオでやろうとしたのかが今も 浩之には理解できなかった。

「あの『シルバー』に、意味があるのか?」

「そんなこと私に言われたって知らないわよ」

「綾香の意見でいいんだ。別にセリオが別人にならなかったとして、あの感情プログラムに意味は あるのか?」

「……ない、と私は思うわ。セリオうんぬんを置いておいても」

「俺もそう思う。じゃあ、何で意味がないものを、わざわざ研究してるんだ?」

「長瀬と私らの考えが違うんじゃない?」

「本当に違うと思うか?」

「そんなこと言われたって、私は長瀬じゃないもの」

 浩之は、綾香が浩之の言わんとしていることを分かっていなかったようなので、首をふった。

「違う、綾香。そうじゃないんだ、長瀬のおっさんと、俺や綾香が絶対同じところがあるんだ」

「同じところ?」

「ああ、同じところがな。綾香はセリオのことを親友と思ってるだろ?」

「もちろんよ」

「じゃあ、同じようにセリオと長い間付き合ってきた長瀬のおっさんは、セリオに情はないのか?」

「あ……」

 綾香も、浩之が言わんとしていることに気付いた。

「おっさんも俺達と同じようにセリオのことは大切な人の一人のはずだ。何せ自分の娘と言っても 過言じゃないからな。じゃあ、何で長瀬のおっさんはセリオが変わることが平気なんだ?」

「……確かに、おかしいわよね」

「だろ? だから、長瀬のおっさん本人にそれを聞いてきて欲しいんだ」

「……わかったわ、聞いとく」

 綾香は神妙な顔をしてうなずいた。

 しかし、浩之は本当はまだ気になることが一つあった。

 『シルバー』を俺以外に見せてはいけないと命令されているとセリオが言ったとき、綾香はセリオに 頼み、セリオはそれを承諾した。しかし、『シルバー』は、綾香が戻れと命令しても、結果的にそれを 無視して『シルバー』のままだった。

 セリオの行動は、明らかに変わっているのだ。綾香に言えば、おそらく『シルバー』は偽物だから あたり前だと言うだろうが、浩之はそうは思わなかった。

 セリオは、確かに感情プログラムは違うが、それはセリオ本人だと言っているのだ。綾香や俺が 『シルバー』は偽者だと思ってはいるが、どうしてセリオは嘘をつく必要があったのだ?

 行動が、確かに違うのだ。同一人物であるとセリオが言っているのにもかかわらず。

 浩之は、その不安を、綾香には話さなかった。まだ、自分の中で確信が取れてないこともあったが、 それ以上に、何か恐怖にかられて。

 浩之と綾香は、その後少し話をして別れた。二人とも心の中にもやを作ったまま。

 

続く

 

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