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銀色の処女(シルバーメイデン)

26

 

 浩之は一人家に向かって歩いていた。

 綾香とはすでに別れ、一人で歩きながら、浩之は考えていた。

 『シルバー』は一体何のために研究されているのか。

 浩之にはそれが売り上げ目的のために研究されているとは思えなかったのだ。何故なら、浩之は 少しも『シルバー』に価値を見出せなかったから。

 マルチほどの感情プログラムを作るのなら、わからないでもない。しかし、『シルバー』は不完全 すぎる。人間に、似ていない。

 浩之の足は自然に早くなっていたが、歩く速度を浩之は意識的に落した。

 どうしてもひっかかることがあるのだ。それが、のど元まで出ているのに、浩之はその最後の 答えを自分で出せない。

 俺には考える時間が必要だ。俺の中でくすぶっている何かを、導きださなくては。

 『シルバー』の、いや、『シルバー』の行動のおかしい部分を浩之は考えた。

 セリオがおかしかったのは、嘘をついたから。セリオは、確かに『シルバー』と自分は同一人物 だと言った。

 しかし、現実はどうだ。セリオと『シルバー』の行動は違った。綾香の行動が、それを証明して くれた。

 セリオは綾香の頼みを命令よりも優先させたのに、『シルバー』は綾香の命令を無視した。

 矛盾している。セリオにとって綾香は命令よりも優先されるべきものなのに、どうじて同一人物 である『シルバー』は綾香の命令を実行しない?

 それはつまり、『シルバー』にとっては綾香よりも自分自身を優先させたのだ。

 浩之の思考のロジックはうまくまとまりそうになかった。どこかをはめれば、どこかに矛盾が 生じてしまうのだ。

 これは、現実に起こったこと。現実は、矛盾など起こさない。どれほど理不尽であろうとも。 どれほど現実的でなかろうと。

 現実は、真実を一つしか作らない。

 しかし、そこに真実はあるのか?

 浩之は、セリオを心配してはやる気持ちを押さえて、歩みをできる限り遅くしながら、 家まで歩いた。その迷路を解くために。

 

「ただいま」

 浩之はしかしその謎を解明できないまま、家についた。

 そして、おそらく3人がいるはずであろう居間に足を運んだ。

「すまなかったな、3人とも」

 浩之が部屋に入ると、3人が3様の表情で浩之を見た。

 あかりは、心配と安心半々という表情。

 志保は、どこかさめた表情。

 そして、『シルバー』は、不安げな表情。

「綾香さんは?」

 あかりは、浩之の後ろに綾香の姿を探したようだった。

「ああ、綾香は帰らせた。何とかあいつも落ちついたみたいだったしな」

 落ちつきすぎて、恐いぐらいだったと、浩之は心の中で思った。実際、綾香は冷静に『シルバー』 を消すために手をつくすのだから。

「あの、綾香お嬢様は私のことを、許してはくれないのでしょうか?」

 その不安げな表情をかかえたまま、『シルバー』は浩之におずおずと訊ねた。まるで怒られた 後の犬のようだと浩之は思った。

「あ、ああ、まあ、とりあえずは言い聞かせておいたが……」

 浩之も、返答に少しこまった。まさか、今からお前のことを消すために作戦を練っていたとは 言えない。だから、言葉を濁すことにしたのだ。

 しかし、もちろん言葉を濁したのだから、『シルバー』が安心するわけもなく、ますます 不安そうな顔をする。

 表情はよくできている。マルチまでとは言わないが、メイドロボには見えないな。

 浩之は、ふとそんなことを思った。

「今日はすまなかったな、あかり、志保」

「ううん、私は別にいいけど……」

「まあ、私には何のことだかわかんないし」

 浩之と同じように言葉を濁すあかりはともかく、志保は何かあきれているようだった。しかし、 浩之にとってはそれはどうでもいいことだった。第3者の志保には多くを求めていない。

「もうけっこうな時間だから、2人とも今日は帰るか?」

「そうね、私も急いで帰らないと親うるさいし」

「私も、今日は帰るね」

 志保はともかく、あかりは自分に気をきかせたのだろう、と浩之は考えた。

 もちろん、それもあるのだが、あかりが帰るのを選んだのは、セリオが今は自分の障害には ならないと思ったからという理由もあるのだ。

 今のセリオは、浩之の心を乱すだけの存在だ。いくら浩之がやさしかろうとも、セリオが消える ことを嫌がる浩之にとって『シルバー』は障害でしかない。

 『シルバー』からセリオを守れたなら話は別だが、今のところあかりにできることはないのだ。 浩之の手助けをすることも、他の女の子に浩之を取られないように努力することも。

「じゃあ、返るわ。ヒロ、また明日ね」

「ああ、またな」

「おやすみ、浩之ちゃん、セリオさん」

 2人は、浩之に手をふると家から出た。浩之は2人を玄関まで送ることもせずに『シルバー』と 向き合った。

 『シルバー』に聞きたいことは、沢山あるのだ。

 だが、浩之は言葉を出せなかった。ただ、セリオの顔をみつめるだけ。『シルバー』は、そんな 浩之の顔をやはり不安そうに見るだけであった。

 聞かなければいけないこと、考えなければならないことがまだまだ沢山あるのにも関わらず、 浩之はその不安そうな顔を見ていてふと思ったことがあった。

 『シルバー』は、一体何がそんなに不安なのだ?

 記憶は共有されているかもしれないが、ほぼ間違いなくセリオと『シルバー』は別の人格だ。 ならば、綾香にどう言われようと『シルバー』には関係ないではないか。

 だったら、何を不安がっているのだ?

 その単純な答えを浩之はさほど時間もかからずに当然のように思いついた。

 『シルバー』は、自分を偽物と呼ばれて不安になっているのだ。

 綾香の行動も、そして俺の行動も、『シルバー』を不安がらせるには十分な行動ではないか。 その人格を完全に否定しようとしているのだから。

 それならどうすればいい?

 簡単な話だった。その不安を消してやることは、浩之に取っては簡単なことだった。

 すごく簡単で、そして、できないことであった。

 不安を取り除くためにしなくてはいけないことは、『シルバー』を認めること。『シルバー』の 存在を否定しないこと。

 『シルバー』を、セリオと呼ぶこと。

 そうすればおそらく『シルバー』は警戒を解くだろう。だが、それは浩之にはできないことな のだ。

 『シルバー』をセリオと呼ぶこと、セリオと認めること自体は、嘘をつけばいいだけである。 もちろん本当に認めることはできないが、嘘なら簡単だ。

 だが、問題はそこではなかった。

 『シルバー』に嘘をついて自分への警戒を解くという手が、浩之にはどうしても許せなかった のだ。

 浩之は、例えまわりからどう見られようとも、自分を貫いて生きてきたのだ。そして、嘘をついて 安心させて、その気持ちを利用するなど、浩之の行動ではなかった。

 しかし、浩之はそれを思いついてしまったのだ。

 今『シルバー』にもとに戻れと命令しても、聞き入れられる可能性は低い。それは、綾香の取った 行動からわかっている。まずはその不安を取り除かなくてはならないのだ。

 ……できない。

 ……俺には、それだけはできない。

 あかりは、浩之の優しさを利用することをとても嫌がるが、それ以上に、浩之は自分に向けられた 信頼を裏切ることができないのだ。信頼されてしまったら、もうそこで浩之の手は終る。

 浩之のジレンマは他人にとってはどうでもいいことであったから余計に浩之に取っては解消しよう のない規制であった。

 今、セリオを取り戻すために自分を殺すか。

 ただ、自分のために今はセリオを殺すか。

 究極の選択、浩之にとってはまさにそれだった。浩之の全てをかけるのか、それともその友人を 裏切るか。

 浩之は、震えを押さえながら、ゆっくりと口を開いた。

 今目の前にある『シルバー』の不安そうな顔を、二度と忘れないだろう。そう浩之は心の中で 思った。

 そして、口に出した。

「大丈夫だ……セリオ、心配することはないさ」

 浩之は、自分を殺した。

 

続く

 

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