銀色の処女(シルバーメイデン)
「大丈夫だ……セリオ、心配することはないさ」
浩之にとっては、どうしようもない行動だった。
浩之は、『シルバー』を認めるわけにはいかなかった。それは、絶対に譲れないこと。何故なら、 『シルバー』を認めてしまった瞬間に、セリオが消えてしまうから。
だが、綾香の命令を『シルバー』が聞かなかったように、今の状態ではおそらく浩之がどんなに せまって見ても『シルバー』はセリオに戻ろうとはしないであろう。
まったく、そんなところだけ人間に似せなくてもいいだろうに。
親友に「偽物」呼ばわりされて、傷ついた女の子。『シルバー』の演じる役はそれだった。何と うまくできていることか。
ここでもし俺が「早く元に戻れ」と言っても、聞くわけがない。彼女は傷ついて、もし今の主人に まで偽物呼ばわりされてしまったら、泣くにきまっている。
そうすれば、セリオに戻る必要はなくなるのだ。泣いている間は男は何もできないのだから。
実に、よくできている。
浩之は拳を強くにぎりしめた。爪が、自分の手を血でにじませるにもかまわず。
『シルバー』を認める、その行為を、確かに浩之は苦しく感じている。それ以上に、そうやって 嘘をついて『シルバー』を安心させることを、とても苦しく感じていた。
浩之が浩之たるゆえん、それはすべて、それにかかっているとでも言ってよかった。信頼を、 裏切らない。どんなに無茶なことでも、どんなに苦しいことでも、信頼され、そしてその信頼を見た 瞬間に、浩之はその全能力を使ってその期待にこたえる。
それが、この浩之を作ってきた全て。
それを今、浩之自身の手で否定しなくてはならない。
表情に出すわけにはいかなかった。そうしたら何のために自分を殺したのかわからなくなって しまうからだ。
自分を、殺す。
その通りだった。浩之は、自分を殺した。
いくらセリオのためでも、いくら綾香のためでも、もしそれがあかりのためでも、自分を殺す ほどの価値がそれにあるのか?
セリオのために、俺は、俺をかけてもいいのか?
浩之はそう自分の心に問いただした。
俺はセリオのため、人のためではなく、自分のために今まで自分を通してきたんじゃないのか?
俺は、自分を殺して、満足できるのか?
だが、時間は止まらない。進んでしまった時間はもとには戻らない。言ってしまった言葉を、 もう一度訂正することもできない。
浩之は、反射的に、または熟考した結果、それを口にしてしまったのだ。
だから、浩之はきつく拳をにぎりしめる。その痛みが、自分をおさえつけてくれるように。
本当に、どうしようもない、それ以外にどうしようもできない選択だったのだ。
「綾香には俺が話をつけておいてやる」
「でも……浩之さんも私のことを……」
『シルバー』は不安そうな顔で浩之を見た。確かに浩之は『シルバー』のことをセリオではないと 言うニュアンスで言ったことがある。
しかし、それぐらいなら浩之にとっては言いくるめるのは簡単であった。
「俺にはセリオは変わったように見えたが、それでもセリオはセリオなんだろ?」
「は……はい!」
簡単だ、簡単なことなのだ。もう、俺は俺を殺した後なのだから。今さら、嘘を言うことが どれだけ苦しいか分からないが、それでも、つかないよりはましなのだ。
「綾香だってわかってないとは思わないが、何せ急だったからな。俺がもう少し説明しておけば よかったのかもな」
少し考えれば、浩之の言っていることは前と違うのに気付くはずであった。しかし、浩之には それを見破られない自信があった。
セリオなら、絶対に気付くことだ。だが、『シルバー』は絶対に気付かない。いや、気付けない。 何故なら、『シルバー』はそれを望んでいるから。
セリオなら、いくら自分がそれを望んでいたとしても、絶対にこんな嘘にはだまされない。しかし、 『シルバー』は違う。人間に近く作られているだけに、自分の望む方向に曲がって解釈できることが できる。
それは利点であって、けっして弱点ではないだろうが、今はその利点を利用するしかない。
例え俺がどれだけ苦しくてもだ!
「私の反応もいけなかったんです。もう少し綾香お嬢様に詳しく説明をしておけば……」
あんな状態だった綾香に何を言ってもおそらく意味はなかっただろうに、『シルバー』は自分の 都合のよいようにそれを解釈したようだった。
その『シルバー』の姿は、当然のように浩之の胸をしめつけた。
それでも、浩之は顔をしかめるわけにはいかなかったのだ。『シルバー』を説得して、セリオに 戻すまでは、泣き言など言えないのだ。
「それじゃあ、夕食の準備に入りますね」
「ああ、頼む」
『シルバー』は台所に行こうとして、浩之が後につてくるのに気付いた。
「どうしたんですか?」
「いや、セリオの料理を作る姿でも見とくかと思ってな」
「そんなことをしてもいいことありませんよ、浩之さん」
『シルバー』は照れているような表情をして、台所に立った。
浩之は『シルバー』の姿をこれ以上見たくはなかった。
だからこそ、浩之は『シルバー』を見ようと思った。その姿を見て、自分が苦しむべきだと 思った。
それは、『シルバー』をだましたことによる謝罪。
それは、殺した自分に対する弔い。
そしてそんなこと全ての、責任を取るための、最低限の行動。
『シルバー』を騙しているのに、自分が遠くから『シルバー』の姿を見ずに隠れているのを、 浩之は自分で許せなかったのだ。
だから、料理を楽しそうに作っている『シルバー』を見て、自分を苦しめるのだ。
それに、何の意味もないとわかっていても、浩之はそうする以外に思いつかなかった。
その行為が罪を軽くするわけでもないのに、その行為が誰のためになるわけでもないのに、 それを分かってもなお浩之は『シルバー』を見た。ただ自分を苦しめるだめだけに。
そして、一つだけ、気になることがあった。
浩之た確かに確信を持って嘘をついた。これなら『シルバー』を騙せると。
しかし、そのつもりがあっても、おかしいのではないか、と浩之は思い出した。その楽しそうに 料理をする『シルバー』の姿に、違和感を覚えたのだ。
……何故、楽しそうにできるのだ?
綾香との問題は、まだ決着していない。なのに、何故『シルバー』はあそこまで楽しそうなのだ ろうか?
それが、不安を隠して無理をして演じているのであれば、浩之も不思議には思わなかったのかも しれない。だが、『シルバー』の表情は無理をしている、というものではなさそうだった。
どうしてだろうか?
どうして、『シルバー』は綾香のことを気にせずに楽しそうにできる?
さっきまでの『シルバー』は、感情が先に立って綾香の命令も聞けないほどだったのだ。それが、 こんなに早くもとに戻るものなのか?
浩之の中の罪悪感が消えるわけではなかったが、浩之はそれを疑問に思った。
そんなことを『シルバー』本人に聞けるわけではないので、浩之はただじっと『シルバー』を 観察していた。
その、胸の痛みとともに。
その時間、キッチンには『シルバー』の歌う鼻歌が流れていた。
続く