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銀色の処女(シルバーメイデン)

29

 

 綾香はズカズカと研究所の中に入っていった。

「おや、綾香お嬢様、どうしました?」

 研究員の一人が綾香の姿を見つけてそう訊ねる。綾香は何度もセリオについてこの研究所に入った ことがあったので、研究員も綾香の顔を覚えていた。

 綾香は、その研究員を鋭い目つきでにらむと、きつい口調で言った。

「長瀬はどこ?」

 その綾香のいつにない剣幕に多少気押されながらも、研究員はこたえる。

「主任なら奥のテストルームにいますが……」

「そう」

 綾香はそれを聞くともうその研究員には目もくれずに奥に入っていく。

「あの、綾香お嬢様、奥は一応関係者以外は立ち入り禁止なんですが……」

 研究員の言葉は、綾香に無視されたというより、綾香の耳には入らなかった。

 その研究員も、他の研究員も、誰も綾香を止めようとはしなかった。綾香が会長の孫だと知って いたし、関係者以外立ち入り禁止とは言っても、ここには関係者以外は来ることがないのでそういう ことはあまり気にしていなかったのだ。

 もっとも、それは研究員達にとっては幸運なことであった。もし今の綾香を止めようとすれば、 綾香はそれを蹴り倒して、まさに言葉通り蹴って倒して、進むであろうから。

 奥に入るのは綾香も初めてだったが、テストルーム」と書いてあるプレートを探すのにはほとんど 時間はかからなかった。

「入るわよ」

 ぶしつけにそう言うと綾香はノックもせずにその部屋に入る。

 白衣を着たしがない研究員のような長瀬が、そのいきなりの訪問者に驚いた風もなく挨拶する。

「おや、綾香お嬢様、何か?」

 綾香は、その態度で、自分が怒鳴りこんでくることを長瀬が知っていたと感じた。綾香自身、 こんな厳しい表情をしていたことは記憶になかったからだ。そんな表情を見ても驚かないという ことは、長瀬にはそれが予想できたことになる。

「ちょっと話があるんだけど、いい?」

「ええ、かまいませんよ。少し待ってください」

 長瀬はパソコンを軽く操作して今やっている作業を終了させ、綾香の方を向いた。

「それで、ご用件は何ですか?」

「……セリオを使ってやってる実験をやめて」

 綾香は、ストレートに自分の要求を口にした。

「はあ、そう言われましても……しかし、何故そんなことを?」

「長瀬、私は冗談に付き合うのはけっこう好きよ」

 綾香は、やわらかくそう言ってから、目を細めた。

「でもね、今回は遊ぶ気はないの。これは命令よ、セリオを使った実験をやめなさい」

「はあ……」

 長瀬はいまいちはっきりしない表情で頭をぽりぽりとかいた。

「そう言われましても、私らも遊びでやっているわけはないんですが……」

「私の命令が聞けないの?」

「綾香お嬢様には私に命令する権限はないと思いますよ」

 のほほんとした表情のまま、長瀬は綾香の要求を退けた。この反応を要求を飲んだと思うほど 綾香はおめでたくない。

「つまり、私の要求は飲めない、てわけね?」

「はい、こればっかりは。しかし、どうしてそんなことを?」

 綾香は注意深く長瀬の表情を読んだ。が、どうも何を考えているのか分からない。

「理由を説明したら、要求を飲んでくれるの?」

「はあ、まあ、理由にもよりますが善処しましょう」

 長瀬はまるで政治家のようなことを言う。つまりまったく信用できないということだ。

「……あの『シルバー』は何?」

「何と言われましても、新しい感情プログラムですが……と言うより、綾香お嬢様が何で『シルバー』 のことを?」

「浩之に見せてもらったのよ、『シルバー』をね」

「しかし、セリオにはあれは藤田君以外には見せないようにと命令しておいたはずですが……」

「私が無理にセリオに頼んだのよ」

「そうですか、もっときつく言っておくべきでしたかねえ」

「そんなことはどうでもいいのよ!」

 のらりくらりとかわそうとする長瀬に、綾香は怒鳴った。

「長瀬、あんた、セリオをどうするともりよ!」

「はあ、どうするともりと言われましても、綾香お嬢様が何を言いたいのか私にはよく……」

 綾香は、ゆっくりと息を吸うと、感情を落ちつけた。このままでは長瀬を殴り倒してしまいそう だったからだ。

「長瀬にとってセリオは何なの?」

「セリオですか?」

 長瀬は微笑んで答えた。

「もちろん、娘みたいなものですよ」

 その長瀬の表情に、綾香は困惑した。長瀬が大根役者だとは思わないが、こんな演技ができるの であろうか?

 もしかして、長瀬は『シルバー』がセリオを消してしまうことなど少しも恐がっていないのでは ないのだろうか。ただの、普通の実験のつもりなのかもしれない。

 だったら、ここで長瀬に説明すれば、簡単にその実験をやめてくれるのではないか。

 綾香は甘い考えをする方ではなかったが、今の状況から考えるとその可能性も低くはなかった。

「セリオが、消えるかもしれない。ううん、あれはセリオじゃない」

「はあ?」

 長瀬はまった意味を理解していないようだった。もし長瀬のこの態度がが演技とすれば、 ハリウッドでさえ通用するだろう、綾香はそう思った。く

「『シルバー』が、セリオを消してしまうのよ」

「『シルバー』は単なる感情プログラムですが……」

 長瀬が困惑しているようだったので、綾香は、なるべく分かりやすいように説明した。

「今日、浩之が私達の知っているセリオじゃなくなるって言ってきたのよ。もちろん、私もはじめ はそんな話信じられなかったけど、セリオに頼んで、『シルバー』を見せてもらったわ。あんなの、 セリオじゃない」

「しかし、感情プログラムが違うんですから、少しぐらい違っても……」

「違う、あれは、セリオじゃない。あれは、セリオを消してしまうのよ、私達の知ってる、私の 親友のセリオを!」

「はあ……」

 長瀬は、その話を信じていないのか曖昧な表情を取った。

「しかし、そう言われても今更あの実験をやめるわけにもいきませんし」

「あの実験はセリオを犠牲にしてまでやらなくちゃいけないぐらい重要なものなの!?」

「犠牲にするつもりは少しもないのですが……」

 長瀬は、その穏やかな表情のまま続けた。

「もしセリオの犠牲が必要なら、迷いはいますいが、犠牲にするでしょうね」

「……」

 綾香は、その言葉で、分かった。

 長瀬は、嘘をついていると。

続く

 

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