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銀色の処女(シルバーメイデン)

30

 

 長瀬は嘘をついている。

 綾香は確信した。確信はしたが、どうして長瀬が嘘をつくのかその理由がわからなかった。

 分かったことと言えば……

「長瀬、あんた、演技うまいわね」

「はあ、それはほめられてるのでしょうか?」

「嘘をつくのがうまいってのかほめ言葉ならね」

 やはりさえない顔をした長瀬の反応は曖昧だった。

「でも、その言葉は言っちゃだめだったわ。私には分かるもの、なめないでよ、これでも私はセリオ の親友なのよ」

「もったいないお言葉ですよ、セリオには」

 それは、謙遜する父親にも見えた。いや、セリオにとってはどうか分からないが、長瀬はセリオの 父親のつもりなのだ。

 だったら。

「父親が、子供を殺すわけないものね。とくに、セリオのようなかわいい子供ならなおさら」

「ええ、セリオはとてもかわいいですよ」

 長瀬は、的外れな返事をする。しかし、綾香にはその長瀬の口調自体が演技だということがもう ばれていた。

「長瀬、一体、何がしたいの?」

「何と言われると……セリオの新しい感情プログラムですか?」

「そうよ、あんたを見ていると、一体何のつもりであんなことしてるのか全然分からないわ」

 綾香は、どこか拍子抜けしていた。

「どういうこと? 確かに、私も浩之もセリオが消えちゃうと思ったのに、それって嘘なの?」

「私は一度もセリオが消えるなどと口にした覚えはありませんが」

「逆説的に言えば、セリオが消えないなんて一言も口にしなかったじゃない」

「まあ……そうですね」

 長瀬がどういうつもりかは綾香にも分からなかったが、とりあえず、目の前に穏やかな表情で 座っている長瀬に腹がたったのは確かだ。

「で、本当のところはどうなの?」

「どうとは?」

「セリオは、消えたりしないの?」

「そうですね……消えるというのがどういうことかはわかりませんが、私達の概念から言えばセリオは 消えません」

「あんたたちの概念って?」

「少し説明が長くなりますがいいですか?」

「かまわないわ」

「では、説明しましょう。我々の中では、消えるということは、データの消去を意味します。 セリオは、メイドロボです。しかも試験用に作られたものです。まあ、性能が普及型に劣っている ことはありません。むしろ、記憶系や、感情系は普及型の比ではありません。その普及型より 秀でている場所が、記憶データの部分です。この記憶データが消えると、セリオは消えたことに なります。しかし、セリオは実験用の機体であり、記憶データはすべてセリオの中でバックアップ が取れるようになっており、そう簡単なことでは記憶は消えたりしません。もしセリオの体が 何かの事故で壊れてしまっても、記憶データが入った部分が無事なら、体を入れかえることに よってセリオは復活できます」

「バックアップって、研究所でバックアップを取るとかできないの?」

「もちろんそれは取ってあります」

「……てことは、新しい機体に記憶データを入れたら、セリオが2人になるの?」

「そういう事態は、セリオではおこりえません」

「何で?」

「少し難しくなりますが、今セリオが藤田君の家にいますね。もし、ここで新しい機体にセリオの 記憶データを入れて藤田君の家につれていったとしましょう。そしたら、何がおこると思いますか?」

「えーと、セリオが2人に増える?」

「そうです、もちろん、現実にはそういうことが起こります。しかし、それは同時に起こりえない ことなのです?」

「はあ?」

 綾香は、長瀬の言葉の意味がわからずに、首をかしげた。

「ここからは概念の話です。現実がどうとか、そういうことを考えていてはおそらく理解できない でしょう」

「……いいわ、一応話して」

「それでは……まず、物質はどんなに酷似したものがあっても、まったく同じものがあっても、 同じ『存在』があることはありません。現実世界では、存在は増えも減りもしません。形を変えても、 どうなっても、存在だけはかわりません」

「でも、それだったらセリオだって存在は二つに増えてるじゃないの」

「確かに、体も記憶情報も存在を増やすことは可能ですが、一つだけ増えていないものがあります」

「何よ?」

「私達が認識する、『セリオ』です」

「認識するセリオって?」

「私達人間の意識、認識能力では、セリオは二つに増えたことになります。よって、セリオと、 セリオの記憶データを持った新しいセリオは同時に存在できないことになります」

「でも、存在できるんでしょ?」

「今までの理由により、セリオはニ体存在できません」

 綾香はこめかみを押さえた。

「でも、存在としては増やすことが可能なんだから、それはまったく別の存在じゃないの?」

「いいえ、セリオと同じ姿をした機体に、セリオの記憶データを入れると、それはセリオになります。 少なくとも、人はそう認識します」

「それって……人間の認識は、現実に勝るってこと?」

「いいえ、現実として、同じ物が存在できないように、人が認識しているだけです」

「……ごめん、よくわかんない」

「つまり、人が認識して、その事象が起こるのではなく、その事象が存在して、それを人間が認識 するのです。つまり、人が『現実に同じ存在はありえない』と認識しているかぎり、その存在は 人に認識されるという存在定義を満たしていないので、存在できません」

「……じゃあ、やっぱり人が認識できたらその二つの存在は存在できるの?」

「前にも言った通り、同じ存在は同時に存在できないので、存在できません。もし同じ存在が同時に 存在した場合、現実はその片方、または両方を変異させます」

 長瀬はじょう舌になって説明したが、綾香には何のことだかさっぱりわからなかった。

「まあ、現実にはセリオからバックアップを取ってからは、その記憶情報は違うハードですごすので まったく違う存在になってしまい、そんなことはおきないんですがね」

「……勢いで聞いちゃったけど、それって『シルバー』に関係あるの?」

「ないことはないでしょう。綾香お嬢様や、藤田君は『シルバー』をセリオとは違う存在として 認識しているのですから。その認識が、セリオを変異させている可能性だってあるんですよ」

「……じゃあ、あれは、『シルバー』がセリオに取ってかわるのは、私達のせいなの?」

 それが自分のせいかもしれないと聞いて、綾香は少しだけ不安になった。もっとも、おおまかには 不安などなかった。綾香には、もう分かっているのだ。

「違いますよ、もちろん」

 長瀬は、綾香が知っているのを知ってか知らずか、それをさらりと口にした。

「安心してください、人の認識には、現実をねじまげる力はありません。あれは、綾香お嬢様の せいでも、藤田君のせいでもありませんよ。」

 もちろん、本当に安心したのは、長瀬のこの言葉を聞いてからだったが。

 もう分かっていたのだ、長瀬は、セリオを消すつもりなどまったくないと。それどころか、 本当に、『シルバー』は、セリオを消したりしないと。

 セリオは、消えたりしないと。

 

続く

 

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