銀色の処女(シルバーメイデン)
望んでいなかったと言ったら嘘になる。
期待がなかったと言えばそれも嘘だ。
浩之の家に来ることになって、セリオは少なからず期待していた。
いや、期待とは少し違うかもしれない。それは、単なる夢。
こんな主人を持って、可愛がられ、そしてお世話をしながらすごしたいという、純粋なる夢。
それを実現させるために、何の努力もしない、単なる眠って見る夢。
期待はしたかもしれないが、そのために動くことを許されていない。そして、もし許されたと しても、動くわけがない。
メイドロボというのはそういうもの。自分からは決して、何も手にいれようとしない。
でも、もし望まれてその夢をかなえなければならなくなったら、私は……
私は、拒絶することができない。
主人の命令には逆らえないのだ、メイドロボは。
だから、私は浩之さんの体を、本当は放してはだめ。本当は、この主人のなすがままにされなくては いけない。
そして、それを私も望んでいるのだから。
でも……
それでも、私は……
セリオは、浩之の体を、ゆっくりと自分から放した。
そして、言ってはならないことを口にする。
「申し訳ありません、浩之さん」
「……そうか。いきなりすまなかったな、セリオ」
浩之は、あっさりと引き下がった。拒絶されて、それで自分を見失うような浩之ではなかった。 それでは、セリオのためにならないから。
そう、浩之はセリオを一言も責めなかった。命令もしなかった。セリオは、主人の言葉に逆らう というやってはいけないことをしているのに、怒りもしなかった。
「本当に……うれしかったです。私はメイドロボですが、それでも、うれしかったです」
セリオは、無表情のまま、彼女はしたくてそうしているわけではない。セリオは、表情を作る ことができないのだ。
「いいんだ、セリオ。気を使わないでも。俺もあせりすぎたんだ」
浩之のやさしい口調が、セリオにはよけいに痛かった。彼女にとって、浩之が悲しむことこそが、 もっとも苦しいことだから。
浩之を悲しませない。そのためなら、自分の、たかがメイドロボ一体の夢など、取るに足らない ものだ。
そうセリオは思っていた。しかし、結局、目の前にころがっているすぐ手にできる夢を全て 捨てきるなど、メイドロボにさえできないの
浩之の言葉には、応えられない。だから、次の言葉は、反則だったかもしれない。しかし、セリオ には言わずにおれなかった。
セリオは、悲しくなるほど無表情で、浩之に笑いかけた。
「私は、浩之さんのことを愛しています」
浩之に全てを納得してもらった上で、自分でない他の、人間の女性と結ばれてほしい。
そうセリオはその、本当なら言ってはいけない言葉を言ってしまったことに理由をつけたが、 それは単なるいいわけでしかないのかもしれない。
「ですが……」
次の言葉など、言いたくなかった。そのまま、浩之に身をあずけてしまいたかった。そうすれば、 ただのメイドロボは、夢をかなえれるのだ。
「ですが……」
壊れたレコードになれたら、どれだけ楽だったろうか。それは次の言葉を言わなくてもいいいのだ。 ずっと、同じことを繰り返してればいいのに。
セリオは、そのほんの少しの間の夢で、満足するしかないのだ。
彼女は、主人のためのメイドロボなのだから。
「ですが……だからこそ、浩之さんは、私を愛してはだめです」
「……何でだ、セリオ?」
「私はメイドロボです。それ以上の理由が必要ですか?」
明瞭な声に比べ、言葉の意味は少しも明瞭ではなかった。
「……ああ、そんな言葉じゃあ納得できない」
さっきまで潔くあきらめていた浩之だが、その言葉を聞いて、納得できなかったのか、そう口を 開いた。
「私は人間ではありません。浩之さんには、人間の女性の方が似合うでしょう」
「……セリオ、本当に、そう思っているのか?」
「……私は、メイドロボです。主人の幸福を望まないわけはありません」
「お前を俺が愛したら、俺は不幸になるって言うのか?」
その言葉に答えたなら、セリオは、存在意義を失うかもしれなかった。しかし、答えないわけには いかない。自分を愛して、浩之が幸せになるわけがないのだから。
「……はい、私を愛せば、きっと浩之さんは不幸になります」
自分が役にたたないと口にすることは、メイドロボとしては自分の否定に他ならなかった。セリオ のように、その能力で人の助けをする有能なメイドロボならなおさらだ。
それも、主人の、いや、浩之のためと思えば、苦にならない。
いや、もちろん苦しい。苦しいが、優先されるべきものの順番を、セリオは知っているだけなのだ。
「それでも、俺がセリオを愛したいと言ったらどうする?」
「そのときは……仕方ありません。研究室の方に話をつけて浩之さんの家からでるだけです」
夢は、所詮ははかないもの。浩之さんのためなら、私は……
「納得……してただけませんか? 私は、まだ浩之さんの家で働いていたいのです」
「……納得できるわけないだろう!」
浩之は、ガシッとセリオの肩をつかんだ。
「何でだ、セリオ。俺のことを愛していないってんなら納得もする。でも、愛してると言われて、 引き下がるわけないだろ!」
「……やはり、口にしたのは失敗でしすね。しかし、私も、それを言いたかった」
こんなときでさえ、セリオは浩之から瞳をそらそうとはしなかった。
そらしたくもなかった。
セリオは、少しでも長く、浩之と一緒にいたかったのだから。だから、それは必要なことだった。
「言わずにはいれなかったのです。私も、浩之さんのことを愛しているのですから」
まさか、そんな言葉を、自分自身が本心で使うとは、セリオも思っていなかった。しかし、 使っても、それは後悔しか残さない。
その言葉と、まったく反対に進まなくてはいけないのだから。
「浩之さんが私を愛せば、きっと浩之さんは苦しみます」
「そんなことどうでもいい。俺は、セリオを愛してるんだ!」
「……ありがとう……ございます」
涙腺は、セリオの感情に連結していないので、涙を流すことはないが、もしセリオが泣けるの なら、今その瞬間泣いていたろう。
しかし、セリオは泣けないし、その無表情な顔から気持ちを読む作業は全て浩之に まかせているのだ。
「しかし、だめなんです。どうしても」
私は、人間ではないから。
「私には、心がありませんから」
続く