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銀色の処女(シルバーメイデン)

34

 

 浩之のことを思い出した、長瀬はただそう言っただけだった。だが、それは綾香に取ってみれば 十分大きな意味を持っているように思えた。

「……それで?」

「藤田君がマルチと仲が良かったのは綾香お嬢様もご存知ですよね」

「ええ、マルチからも、セリオからも聞いてるわ」

「私達研究員は、マルチが経験したこと全てを完全に調べ切っていると思っていました。しかし、 一つだけ重要なことを忘れていたのです。マルチが、個人として誰と仲が良かったのか、誰といつも 一緒にいたのか、誰と遊んで、誰と学校から帰ったのか」

 それは初歩的なミスであった。研究員達は、環境のことを気にしても、その環境の中にいる 個人に対してまで気を向けていなかったのだ。

「調べてみても、そしてマルチ本人から聞いても、答えは明白でした。一番マルチが親しかった 人物、それが藤田君です」

「……つまり、浩之がマルチに心を持たせた最大の理由……と思ったわけね」

「断定はできませんが……」

「まあ、浩之ならそれぐらいはね」

「は?」

 長瀬の間のぬけた返事でも、綾香はその確信に満ちた表情を崩さなかった。

「浩之なら、メイドロボに、マルチに心を芽生えさせるぐらいやるわよ」

「綾香お嬢様もそう思いますか」

「思うわ。浩之ならきっと……」

 そう、綾香は確信している。浩之は、今まで綾香が知っているだけでもすごいことをいくらでも してきているのだ。もしマルチが心を持ったのが浩之のおかげだと言っても、あまり驚くに値しない。

 何せ、浩之は今の綾香の心まで独占しているのだ。それぐらい、やったとしても何ら不思議では ない。

「私も、それから何度か話してみて思いました。根拠はほとんどありませんでしたが、藤田君なら もしかしてマルチに心を持たせることを成功させたんじゃないかと」

 むしろ、長瀬の方がそのことを本気で信じていないのかもしれない。綾香は、本当にそう信じて いるのだから。

「それで、浩之の家にセリオを送ったの?」

「はい、もし失敗してももともと、試す価値は十分にあり……」

「私が聞きたいのは、それなら何で『シルバー』なんてものをセリオにつんだかってことよ」

 長瀬が話を続けようとしたところで、綾香は長瀬の話をピシャリと閉じ、本来の疑問を口にした。

「それは……別アプローチというやつです」

「何のことよ」

「もしマルチが普通に藤田君を主人として一緒に生活していた場合、マルチは心を持つと思い ますか?」

「そんなの話しあうことじゃないわ。考えたって分からないんだから」

 答えの出ていない不確定要素ばかりのことに答えを出せるほど綾香も怪物じみてはいない。

「ま、私は持つと思うけどね」

「研究員達は……いえ、私はそこまで藤田君を過大評価はできなかったんですよ」

「過大評価って……浩之がマルチが心を持った原因だって長瀬が言ったんじゃない」

「はい、藤田君は何かしらのことでマルチが心を持ったことに関係はしているでしょうが……」

 長瀬は、ため息をついた。

「それでは不安でした。もっと他の要因がからんでいた場合、それでは当然のように藤田君と 一緒にいさせても変化はない。だから、その要因となった最大の理由というやつを憶測する必要 があった。それで、一つ思いついたんですよ。あのとき、マルチは試験が終ったらハードから 入れ返られ、研究室のデータの中で永遠の眠りにつくはずでした。それを私はマルチに話していたし、 おそらく藤田君にも話していたでしょう」

「つまり、その『別れ』が、要因の大きな一つだと思ったわけね」

 綾香は、もちろん聡明だった。長瀬の言ったことで、おおまかな予想がついたのだ。

「はい、メイドロボと、それに関わる人の感情を大きく揺さぶる要因、それが『別れ』です。 それこそがマルチに心を持たせた大きな理由だと私は考えたのです」

「それで、その『別れ』とやらを自作自演してみたのね」

「自作自演?」

 長瀬は大きく首を横にふった。

「私にとっては確かに自作自演のことです。ですが、セリオにとっては違います」

「どういうこと?」

「セリオには……あのときとマルチと同じような環境になるべくしなければならなかったので、一つ のことを言い含めておきました」

「何よ」

「それは……」

 長瀬は、そこで言葉を止めた。

「……やめておきましょう。これを言えば、おそらく、いや、絶対に私は綾香お嬢様に怨まれて しまいますから」

「……遠慮することないのよ」

「遠慮ではありません。私は、綾香お嬢様に殴られても仕方ないことをしています」

「……」

「しかし、ここまで来て言わないわけにはいかないんでしょうね」

「……もちろんよ。それならなおさら聞いときたいわ」

「では、言います。藤田君の家にセリオを送るとき、私は一つのことをセリオに言い含めておき ました。それは、もしこの実験が失敗した場合、セリオは活動を停止してもらう、と」

 その言葉の意味に、綾香は半瞬思考を停止させ、次の半瞬で激怒した。

「それは……本当?」

 綾香は、長瀬に確認を取るだけの理性をむりやり作ったが、それも長瀬の返事しだいではすぐに 消えてしまいそうなものだった。

「セリオにそう言ったのは本当です。もっとも、実験が失敗したところで、セリオの活動を停止 するつもりなど本当はありませんでしたが。ここで重要なのは、セリオが、その実験はまず、というか ほぼ確実に失敗することを知っていたことにあります」

「……長瀬、セリオは、あんたにとって子供同然じゃないの?」

 綾香は拳をふるう気にはならなかった。ただ、長瀬の真意だけは知っておきたかった。

 長瀬が何故そんなことをしたのか。それがセリオをいかに苦しめるか分かっているはずなのに、 それを口にしたその本意とは。

 綾香が知りたいことは多かったが、長瀬には口は一つしかついておらず、また長瀬本人もあまり 早く言葉をつむぐ方ではなかった。

「はい、セリオは、私にとって子供同然、いや、子供です」

「だったら……だったら、そんなことをして平気なの?」

 もう、限界だった。もしこれで「平気だ」などと答えられたら、綾香はここで長瀬を殴り殺して いたかもしれない。

 そして、綾香はもう一つ心の中で激怒していることがあった。

 セリオ、何で私にそのことを言わなかったのよ!

 綾香はセリオのことを本当に親友だと思っていた。例えメイドロボでも、何でもよかった。

 セリオは綾香の親友、その真実を動かせるものなど、この世にはないはずだったのだ。

 しかし、セリオは自分が活動を停止させられるかもしれないことを、一度も綾香には言わなかった。 いや、あの様子では、浩之にだって言っていないと綾香は思った。

 どうしてよ、セリオ。どうして、私に言ってきれなかったの?

 その綾香の心の葛藤を知ってか、長瀬はしばらく時間をかけてから、綾香の心の激動がおさまる ことがないと判断して、答えた。

「もちろん平気ではありませんでした。しかし……」

 長瀬は、それをいいわけでも何でもなく、確信を持って口にした。

「それが、セリオのためだったんですよ」

 

続く

 

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