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銀色の処女(シルバーメイデン)

35

 

 心?

 その抽象的な言葉を聞いて浩之が感じた感情はは疑問と言うより、どちらかと言うと 怒りに近かった。

「セリオには、心がないと言うのか?」

「はい、私には心がありません」

 セリオの言葉は一語一句明確で、どう聞いても聞き間違うことは不可能のようであった。 本人がそれを胸がはりさけそうな気持ちで言っていたとしても。

 そしてそれぐらいのことは、浩之にだって痛いほどわかっていたとしても。

「どんなによくできていても、私の感情プログラムは単なるプログラムにすぎません。マルチさんの ように、心を持っているわけではないのです」

 信じられないことだが、もしかしたらセリオは『心』という一点においてのみ、マルチに嫉妬 しているのではないか?

 浩之はふとそんな考えが頭に浮かんだが、当然それは信じられる内容ではなかったので、 頭の片隅に追いやった。今はもっと重要な話をしているのだ。

「私は単なるロボットで、それは人を幸せにすることなんてできないのです」

 セリオにも、言うのを躊躇させるようなことがある。今がまさにそれだった。

 自分が、心を持たなければ機能を停止させられること。そしてそうなれば、浩之はただ残される こと。

 何より、自分には心などないこと。

 セリオも、『シルバー』が失敗作でしかないことは知らなかったが、むしろどうでもいいことで あった。どちらにしろ、どちらにも心などないのだから。

「幸せにできるとかできないとかそういう問題じゃないだろ。俺は、セリオと一緒にいたい。 セリオと生活して、セリオと……」

「いいえ、そういう問題なのです、浩之さん」

 セリオにもし表情があるのなら、そのとき力なく笑っていただろう。

 主人の心を無視しても、結局はそういうことなのだ。

 

 ひどい矛盾。

 

 その言葉を、セリオは思いついて、やはり表情には出せなかったがいくらかの感情を吐き出した。

 それはひどい矛盾。そう、ひどい矛盾もいいところなのだ。

 メイドロボは、主人の命令を聞かなくてはいけない。しかし、それは主人を幸せにつながる こととは限らないのだ。

 今この瞬間のように、メイドロボは、いつも主人の命令と、主人の幸せとの二択をせまられる のだ。それを自分で決める力もないくせに。

 セリオは、もう一つ、重要なことを知っていたから。それが、選択肢を作るのだ。

「浩之さん。メイドロボは、体がロボットなのを除けば、いえ、子供をうめないことを除けば、 男の方にとってまさに理想の女性です。何に対しても従順で、年を取る事はなく、家事も完璧に 近い。しかし、愛する人としては、不充分どころか、有害でさえあるのです」

「……どういうことだ?」

 セリオの言葉は唐突だったので、浩之にはセリオの真意が瞬間にはつかめなかった。

「……これは極秘です。しかし、言わなければ浩之さんは納得してくれないでしょう」

 それは、国家機密にも匹敵することだった。

「メイドロボは多くの家庭に普及しました。それと同じく、実験も多く行われています。それを 調査して分かったことです。メイドロボを愛した人間の方が、何かしらの精神的障害を被った割合は 38.9%になります」

「えっ?」

 浩之は間抜けた声でセリオに問い返していた。

 セリオの口から出される言葉の内容は、驚くべきものであった。

「主従関係を維持している場合はほとんど問題はありません。老人が子供や孫のかわりに、という 場合は、12.7%。壮年の人間の方が子供のかわりにという場合は20.5%。死んだ妻や恋人 のかわりという場合は6.1%。そして、恋人としての場合は、実に83.7%にのぼります」

「……待ってくれ、セリオ。それはどういうことだ」

 浩之の言葉にも、セリオは話を止めなかった。

「さらに調べた結果、恋人としての場合において、残りの26.3%の人間の方は、恋人という 名前を使っていますが、性欲処理の道具としてしか使っていませんでした。そして……メイドロボを、 単なるロボットの私達を、一人の人格として、愛してくださった方が、何かしらの精神的障害を 被る可能性は……」

 その続きを言ってしまった瞬間に、完全にセリオは夢をかなえることができなくなる。そう 分かってはいたが、結局のところ、セリオには関係ないのだ。それをセリオが知っているかぎり、 セリオは主人に不利になることなどできないのだから。

「100%です」

 セリオの声は抑揚がなく、無慈悲にさえ聞こえた。しかし、無慈悲なのは彼女ではない。 彼女は、浩之のために、その身を削っているのだから。

「症状は多彩ですが、主に不安感が消えない、情緒不安定になる、不眠症になるなどの軽い症状 から、幼児後退などの重度の精神病まであります」

「……」

「中には自殺をした方もいるようですが、原因がメイドロボとは言い切れません」

 セリオにはそんなことはできない。主人に害を与えてしまうことなど。

 いや、他のメイドロボだってできない。そんなことは望んでいないはずだ。主人の、人間の役に たつということが、メイドロボの望みなのだから。

 矛盾なのだ、それは結局。

 人のためになりたいと思うメイドロボは、結局人を傷つける。

「私には、そんなことは耐え切れません」

 セリオに残された最後の手段、それは、浩之の愛を利用して、自分の身を守り、自分の夢をかなえ ながら、浩之と幸せに暮らすこと。

 しかし、それには多くのものが欠如していた。

 セリオには、その考えが浮かばないことと、もし浩之とこのまま住んでいたなら、浩之に害を 与えてしまうことが明確なこと。

 セリオには、道は多くあるように見えて、選択肢などない。

「そうやって精神的障害を被った方のことを『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』 と呼んでいます」

 その美しい鋼鉄の拷問器具に身をゆだねた人間達は、当然のように、傷つくのだ。

 そして、その美しい拷問器具達は、それを望まないのだ。

「もし、それでも私をそばにおいてくださるなら、私のことを単なるメイドロボと思ってください。 決して、対等の、愛する者ではないと言うことをいつも意識してください。そうしなければ、私は……」

 私は、どうせ少しの間しか一緒にいませんが、それだけでも幸せですから。

 その言葉を止めたのは、セリオの中の何だったのだろうか?

 浩之があきらめ、セリオをメイドロボと扱うことが、結局は一番みなが幸せになれることなのだ。 セリオはそう思っていた。例え、幸せを感じる時間が一番自分が短いとしても……

 幸せがないよりは、何倍もよかったし、浩之が幸せになってくれることは、何億倍も嬉しかった。 だからセリオはそういう選択を続けるのだ。

 例え、浩之に理解されなくても。

 少しだけ、ほんの少しだけ、セリオは計算間違いをしていた。

 それはごく微量だが、それが事態をひっくり返すことも、ままある。

 と言うより、浩之はいつもその計算違いによって、全てをなしてきたと言ってもいいのだから。

「……原因は、わかっているのか?」

「はっきりとは。しかし、おそらくは、私達に心がないせいだと思います」

 心?

 浩之は、またその言葉に頭の中をかき回された。非常に、不快だった。

「心だって? セリオ、心って何なんだよ」

 浩之には分からない。セリオが、何に向かって『心』という言葉を使っているのか。

「心って何なんんだよ、セリオ」

「それは……」

 セリオも、その続きを言えない。

 浩之はふと思った。セリオは、もしかして誰からか与えられた知識を、自分の知識として 言っているだけなのではと。

 だから、本当は、その言葉の意味することを、分かっていないのではないのだろうか。

 浩之にはわからない。何もわからない。

 だったら、俺がそれを教えてやればいい。

 分かるのはただ一つ。

 セリオに、心があるということだけだった。

 

続く

 

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