銀色の処女(シルバーメイデン)
「それが、セリオのためだったんですよ」
長瀬はゆっくりと、いやに確信を持って言った。
「セリオが苦しんでも?」
「はい、どうせセリオが苦しむことは避けられないのです。だったら、セリオのためになるように 苦しむ方がましでしょう」
「ちょっと待ってよ」
綾香は長瀬の言葉に疑問を持って口をはさんだ。
「セリオが苦しむことが避けられない?」
「はい、避けられないんですよ、それだけはどうしても」
セリオでさえ避けれない苦しみ。そんなものがあるのだろうか?
あるとしたら、その苦しみは、綾香の目には長瀬が作っているようにしか見えなかった。
「長瀬がセリオに実験が失敗したら機能を停止させるなんて嘘言わなかったら、苦しむことなんて ないじゃない」
よしんば、もしそれがあったとしても……
「セリオと、セリオの友達が、もちろん私も含めてよ、乗り切れないわけないじゃない」
綾香の自信はここでも強固だった。それに、綾香にはもちろんどんな苦しみだって乗り越える 自信があった。それが、親友のこととなれば、力を貸すことなどおしむつもりもない。
「無理です」
無情と言うよりは、諭すような口調で長瀬は言い切った。まず長瀬と言う人物は物をはっきりと 言い切る人物ではないのだが。
「無理です。いくら綾香お嬢様や藤田君が力を貸したとしても、セリオはその苦しみからは逃れる ことはできないんです」
綾香はそう言われたところで納得する気はなかった。
「何よ、その苦しみって!」
セリオと、その友達達でさえ逃れることのできない苦しみ。
そんなものが、本当にあるなんて、綾香は思っていなかった。
「それは……存在に対する不信感です」
「はあ?」
長瀬の言葉に、綾香は間の抜けた声を出してしまった。
存在に対する不信感。
まるで、思春期の子供のような悩みではないか。
「そんなので、セリオが苦しむの?」
綾香は長瀬の危機感がバカらしくなってきた。
人には確かに多かれ少なかれ、どうして生きているのかなどというどうしようもない疑問が生まれる こともあるが、綾香はそんなどうしようもない疑問に囚われるには前を見すぎる。そんなことに囚われて いる暇があるのなら、やらなければならないこと、しなければいけない思考が、山のようにある。
しかし、長瀬は真面目に答えた。
「綾香お嬢様がバカにしたい気持ちは分かりますが、これは本当です」
「でも、何でそんなバカげた考えで?」
少し長瀬に押される格好になったが、綾香はそれを聞いてみた。
「人間には、これと言って明確な理由がなくても、生きることは可能です。しかし、彼女達、 メイドロボ達は違います。彼女達は、明確な目的があって動いています」
メイドロボに明確な生きる目的?
綾香は、それに何か非常にミスマッチなものを感じた。人間が持っていなくて、メイドロボが それを持っているという何か矛盾を感じるものに、どうしようもない不自然さをもよおす。
「そんなの……」
しかし、綾香にはそれを否定することはできなかった。今まで、嫌になるほど知ってきたでは ないか。セリオが、メイドロボが、もしかしたら人より、『人らしい』ことを。
彼女達が、人間よりも、『心』が優れているかもしれないことを。
だから、綾香は否定する言葉を止めて、長瀬の言葉に同意を示した。
「……セリオは、何って言う生きる目的を持ってるの?」
「人間の、主人のためとなること」
きっとそうだと思った。
「素敵な生きがいね」
「まったくです」
だから、綾香はセリオの親友になったのだ。彼女を理解できるからこそ。
「それで、どうしてセリオは苦しむの?」
むしろ、生きる目的があると言うのは、その人物を疲労させることはあるが、反対に活気つけ させることの方が多いのだ。むしろその目的に障害があった方が、より強くなれる。
「それって……大変なことなんだろうけどね」
それなら苦しむ必要なんてない、とは綾香も思わない。しかし、それはどんなことをしても 避けれない苦しみだとは思えなかった。
むしろ、綾香や、きっと浩之もセリオに幸福をもらっているはずなのに。
「綾香お嬢様が不思議に思うのも仕方ないかもしれません。セリオは、多くの人を幸せにして きました。きっとこれからも多くの人を幸せにしてくれるでしょう」
「だったら……」
「しかし、それが、彼女にはできないのです。誰のせいでもない、彼女の、セリオの、メイドロボと いうことが」
長瀬は、大きくため息をついた。
「『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』という言葉をご存知ですか?」
「……知らないわ」
「……失礼、そうでしょうね。これは我来栖川グループの中でも極秘中の極秘です。知っている者は さて10人か20人か……」
「何よ、それって」
「……メイドロボを、一人の人格として愛してしまったものに起こる精神病を総合してそう読んでいます。 私ら、と言ってもほとんどいませんが、研究者達は簡単に『鋼鉄病』と読んでいますが」
長瀬はそれを何でもないように言ったので、綾香も理解するまでにしばらく時間を要した。
精神病? メイドロボを愛してしまった者に起こる?
「……くわしく、教えて」
「これを人に教えたなんてことがわかったら私の首が飛びますよ」
「いいのよ、どうせ言わなかったら私が全力で吐かせるから」
綾香の瞳が怒気をはらむ。綾香は必要となれば、その拳を暴力として使うことさえいとわないのだ。
「……抵抗するのはやめておきましょう。綾香お嬢様は本気のようだ」
長瀬は、どうせ言わないつもりはなかったのだろうが、ゆっくりとそれを説明しだした。
それを聞くうちに、綾香の顔色は青く変色しだした。
長瀬は、それをちらっと見ただけで、話を途中で止めようとはしなかった。
話が全て終るころには、綾香は手で口を押さえて蒼白な顔のまま立ち尽くしていた。
「じゃあ……セリオは……」
「そうです、このままでは、セリオが幸せになることはない。セリオは、ずっと苦しみから解放 されることはないんです」
「……避ける方法は?」
「はい?」
「その精神病を起こさなくする方法よ!」
「……ありません」
「そう……」
それを何故今までだまっていたのかということに対する非難の声は今の綾香にはなかった。 それが人間にどれだけ害になることとか、それをひた隠しにしている来栖川グループのことも、 どうでもよかった。
ただ、セリオの今まで感じてきた苦しみを思って、悲しかった。
「セリオはそのことを、知ってるの?」
「はい、セリオはその自覚があります」
「何で教えたの」
「……」
「何でだまっておいてあげなかったのよ。セリオがそれを知ったら苦しむことなんてわかってた じゃない!」
「……」
それを黙っていたからと言って何が変わるわけではなかったのを、綾香も知っていたが、それでも 言わずにはおれなかった。そして長瀬も、その言葉に一言もいいわけなど言わなかった。
「……唯一、その症状を起こさせないための要因と考えられるものがあります」
「っ!」
綾香は、その瞳を上げて長瀬を凝視した。
「それが、『心』です」
続く