銀色の処女(シルバーメイデン)
「それが、『心』です」
長瀬は確信があるようにその抽象的なものを口にした。
「おそらく、心を持てば、セリオは鋼鉄病の苦しみから逃れられることができる」
「……それを、セリオは分かっているの?」
「はい、私はセリオには教えていませんが、おそらくセリオも同じ意見でしょう」
長瀬はそう言うが、だったらおかしな話だ。
「……心って何?」
「は?」
長瀬は、とぼけているというわけではなく、本当に綾香が何を言いたいのか分からなかったよう だった。
「心って何よ」
「心というのは、人とメイドロボとの差を呼びます。決して、作り物では埋められない差。研究者 の誰もが、それよりうまくあてはまる言葉を思いつかなかったのです」
「人とメイドロボの差って……私には、全然ないような気がするわ」
「それは、もちろんそういう風に思われるように研究を重ねてきましたからね。ただ、完全にメイド ロボは人とは違うものです。これは、言わば創造主である私達研究者全員が一致している答えです」
しかし、それでは説明がつかなくなるのを、綾香は知っていた。
「おかしいじゃない、だったら、何でマルチだけ心を持ったの?」
「……それがわかれば私達の苦労もないのですが……」
長瀬は苦笑した。綾香が疑問にしていることは、結局研究者がやはり全員疑問に思っていること なのだ。
「……とは言え、まさかマルチを分解して研究するわけにもいきませんし、これは絶対数が極端に 少ないことと、おそらくハードの問題ではないだろうことから、されることはないでしょうが…… 一時期はマルチを分解して……という案が出たぐらいです」
「マルチも、長瀬にとっては大切な娘なんでしょ?」
あまりにひどい方法を口にする長瀬を、綾香が非難する。
「もちろんです。実際、分解などしていません。しかし、そんな話が出るほど、マルチが何で心を 持ったのかが分からないのです」
「……もう一個質問してもいい?」
「どうぞ」
おかしいのだ、長瀬はおそらく嘘をついていない。綾香はそう感じている。にも関わらず、話は まとを得ていないし、不明瞭な場所や、矛盾が沢山あるのだ。
「マルチが心を持ったって、どうやって調べたの?」
「それはもちろん、多くの実験の結果です。こと感情面に関してだけは、マルチは他のどの実験中の メイドロボよりもはるかに高いポイントをあげました。つまり、感情を持っているということです」
「……他のメイドロボに感情はないの?」
「一応はあります。しかし、それはデータとしてでしかなく、能動的に起こる『感情』というものは ありません。結局は、研究され、なるべく自然に作られただけのものです」
「マルチは、違うんだ」
「はい、マルチは違います。マルチには、感情プログラムとしてインプットされていないはずの 感情がありました」
「……それって何?」
それが、マルチが今この世界で一番貴重なメイドロボと考えられる所以であった。それが見つから なければ、おそらくマルチは、活動を停止してメインコンピュータの中で半永久的に眠りについていた はずなのだ。
「……恋愛感情です」
予測していた答えだった。普通に考えて、メイドロボに必要のない感情、それは怒りでも悲しみ でもなく、人を、その個人を個人として愛する感情なのだ。
開発者達は、いや、つまるところ人間は、メイドロボを対等の立場の者として見ていないのだ。
だから、そんな感情は必要ないのだ。
「……セリオにも、恋愛感情はないの?」
「はい、ありません。この世界で、恋愛感情を持つメイドロボはマルチだけです」
綾香は、その言葉にほっとする自分に気がついていた。
セリオが今後どうなるのかはわからないが、とにかく、少なくともセリオが恋敵になることは ないのだ。
もしいくらセリオを浩之が気にいったとしても、セリオは浩之のことを主人としか見ない。 浩之は、そんな女の子を無理やり自分のものにはできないのだ。
一人、敵が減ったわけだ。
綾香としては、これで心おきなくセリオを助けることができる。そう考えていた。もとより そんなことは半分以上忘れていたことだが、それでもすっきりできるのは悪くないことだった。
「でも、だったら恋愛感情をつければ……」
「もちろん、その実験は行いました。そして、結果できたのが『シルバー』です」
「えっ?」
半分忘れかけていたその言葉に、綾香は驚く。
あの『シルバー』が?
綾香には、どうしても単なる失敗作にしか見えないあの感情プログラムが、恋愛感情を入れられた メイドロボだとは、すぐには信じられなかった。
「『シルバー』は、一応は恋愛感情を入れた感情プログラムの最終系です。しかし、結果はあの 通り、恋人どころか、普通に会話をしていてもどこか違和感を感じるものになってしまいました」
おそらく、マルチに恋愛感情があると分かった時点から、かなりの実験がされたのだろう。 ということは、それはほぼ完璧のはずだ。
「まあ、だからわざわざセリオに乗せて藤田君や綾香お嬢様に別れの危機感をあたえるために使った のですが……効果は絶大だったようですね」
「悪趣味だけどね、ほんとに」
あの『シルバー』が恋愛感情を持った感情プログラムなら、つまり心は恋愛感情ではきまらない ということになるだろう。セリオも持っていないようなものがあの『シルバー』にあるとは綾香にも 考えられなかった。
「私達はあの実験から、単にマルチが心を持った結果として恋愛感情を持ったものだと判断しました。 そして研究は重ねられ……結局、まだ心を持つメイドロボは新しくは作られていません」
おそらく、来栖川の総力をあげてその実験は行われたのだろう。何せ、メイドロボの利益は 今や来栖川グループの中でもトップだ。
そして、鋼鉄病の回避や、これからのお客のニーズに合わせるには、どうしても心が必要なの だろう。
だから、こんなにも長瀬はそれにこだわる。
綾香は、そう考えていた。そして、何の気なしにそれを口にした。
「そうよね、心が今からのメイドロボには必要になるだろうしね……」
長瀬の反応は、綾香が思っているよりも大きかった。
「違います。いや、もちろんそうなのですが、私は本当に望んでいることは……」
「本当に望んでいること?」
「……セリオに、幸せになってほしい。だから、今回の実験にセリオを選んだのです」
それは、本当の父親の言葉だった。綾香は自分では分かっているつもりだったが、長瀬がマルチと セリオを『娘』と呼ぶのは単なる比喩だと思っていたのだ。
しかし、それは違った。長瀬にとって、セリオは、本当の娘なのだ。
それが、ロボットであろうとどうであろうと、関係がないのだ。
「実験がうまくいくとは限りません。もし、うまくいったとしても、さらにもう一度やって心が 生まれるかどうか、やはり疑問です。しかし、だからこそ、一番可能性の高い実験は、セリオに やらせたかった。もし、この実験が失敗して、そしてこれからも失敗を続けて、私は首になって この研究所からいなくなっても、セリオが心を持っていれば、彼女が邪険に扱われることは、少なくとも 心を解明することができるようになり、それを量産できるまでは、ない」
「……」
綾香は、セリオの親友だと自負していた。しかし、それと同じように、やはり長瀬も、自分を セリオの父親だと自負しているのだ。
「あの2人には、マルチとセリオには、幸せになってほしい。これは父親のわがままですか?」
綾香は、首を横にふった。
続く