銀色の処女(シルバーメイデン)
浩之の家に入ったとき、綾香が気付いたのはまず浩之とセリオの距離だった。
まるでセリオを守るように、浩之が立っていた。距離も、かなり近い。浩之は親しい間柄には 遠慮はしなが、それでもある程度人とは距離を取るタイプなので、すぐに気がついた。
……もう、手遅れなの?
ふと浮かんだその言葉を、綾香は心の奥に閉まった。そう、今はそんなことを言うときじゃない。 今必要なのは、セリオを助けること。
そのために、浩之の助力が必要なら、綾香は今は引き下がる気でいた。
もちろん今は、ということだ。親友のために下がるなんて綾香の趣味ではない。
「コーヒーをお作りしましょうか」
「あ、ああ……」
セリオはこんな場面でそんなことを言い出した。浩之や綾香、長瀬でさえ少し意外な顔をする。 こんな場面で言う言葉ではないような気がしたからだ。
しかし、セリオは落ちついた表情でコーヒーを入れる。
3人にはわかっていた。セリオが落ちついた表情をしているのは、ただそういう表情しかできない だけのことであり、そして、理由はわからないが、セリオが気を紛らわせたいと思っているのでは ないかと。
メイドロボにとって人に何かをするという行為は一番落ちつける行動なのだから。
コーヒーを沸かすコポコポという音が静かすぎる浩之の家の中に響いていた。その間、4人は 何も話さない。
「どうぞ」
セリオは3人分のコーヒーをそれぞれの前に置いた。セリオは3人の砂糖やミルクの入れる量は 心得ていた。
3人はコーヒーでのどのかわきを潤した。セリオは飲み物が飲めないので飲まなかったが、 気分的には飲んで落ちつきたいところであった。
「……では、話をはじめますか」
長瀬は、今から紙芝居でもしようかという感じで話しだした。
「まずは、何が聞きたいかい、藤田君?」
「……全部だ」
長瀬はフウッとため息をついた。
「全部と言われても、何から話してよいものか……」
「分かった。そうだな……まずはセリオを俺の家に住まわせた理由から教えてくれ」
「うむ、妥当な本題だね」
長瀬はそう言うと、しばらく頭の中で何か考えているようだった。
「藤田君、君は自分の家にセリオが来たことに特別な意味があると思ったのかい?」
「ああ、そうだが、それがどうかしたか?」
「いや……それが本当なら、君はすごい自意識過剰か、または非常に聡いね。この場合は自意識過剰 、というわけでもなさそうだが」
ほめられているのかけなされているのかいまいち浩之には判別がつかなかった。
「君がそれに気がついたのはいつのことだい?」
「だいぶ始めからだな。気付いた理由は、俺の知識のなさだ」
「ほう……」
長瀬は興味深そうに浩之の話を聞いた。
「最初は、俺にメイドロボの知識がないのに、何でテストをうちでするのかってね。まあ、予備知識 がない方がいいのかとかも思ったが、そこではたと気がついたんだよ。何で俺にそのテストについて 報告なり何なり頼まなかったのかってな。おかしいじゃないか、テストすんのにそのテストしてる 家のやつに何も結果について聞かないってのは」
「そんなことで?」
「そんなことってわけじゃないだろ。『シルバー』がどう見たってだめくさいと感じる前から、 きな臭いものは感じてたんだよ。『シルバー』がどう見ても失敗作だと思ってからは、確信に近かった けどな」
「……やはり、『シルバー』が失敗作なのはすぐにわかったかい?」
セリオが、おそらく驚いたのだろう、長瀬の顔を見る。長瀬は何を考えているのか分からなかった が、セリオの視線を軽く受け流した。
「ああ、簡単に分かったぜ。と言うか、あれはわざとにしか俺には見えなかったが……」
「正解だよ、藤田君」
長瀬は浩之をことをみくびっていたわけではないが、まさかここまで分かられているとは少しも 思っていなかった。
「藤田君、君は頭のまわりが速いね。その通り、『シルバー』は単なる失敗作の感情プログラム だし、それをわざわざ見せつけるようにしたのも全て計算のうちだよ」
「……で、その理由は?」
「まず今回のことは、一つの目的のために私が計画したことだ。その目的は……セリオに、心を 持たせること」
「……それで?」
その言葉に、ピクンと浩之は反応したが、長瀬に続きを促した。
「セリオから心については詳しく聞きましたか?」
「ああ、聞いた」
「それでは説明しよう。まず、マルチは心を持っている。何故マルチが心を持つようになったのか 理由がどうしても私達には分からなかった。そして調査の結果、要因と思われるもので残っている のは、藤田君、君だけになったんだよ」
「俺が要因?」
「ええ、もっと早く私は気がつくべきだった。学校の話をするマルチはいつも藤田君のことを口に していたのに、それまで気がつかなかったのは私の落ち度だね」
「俺が要因って……別に俺は何もしてないぜ?」
「何もしていないでも、何かの要因を作った可能性は非常に高かった。それで、私はセリオを藤田 君の家へ送りこんだんだよ。なるべく、マルチのときと同じ環境を作って」
ここで、長瀬は次の言葉を言うかどうか迷った。しかし、考えてみれば一番恐い綾香に言って しまっているので、もう恐いものはないと考えて、口を開く。
「その環境というのは、『別れ』」
「……そうか、そういうことか」
長瀬が何を考えてセリオに『シルバー』を持たせたのかが、浩之にはすぐに分かった。
「つまりおっさんは、故意に俺にセリオとの間に別れの感情を植え付けようとしたんだな……まてよ、 ということは……」
「セリオには、今回の実験が失敗したら、機能を停止させると言い含めておいたんだよ。セリオが、 この実験の成功度が低いと分析するという予測も考慮してね」
「……セリオ、何でそれを言わなかったんだ」
長瀬の予測に反して、浩之は長瀬に詰め寄るのではなく、セリオにつめよっていた。
「……セリオ、私にも言わせて。何で言ってくれなかったのよ。それを聞いたら私……」
「……申し訳ありません、お二人に心配をかけさせたくなかったので」
セリオは、深々と頭を下げた。しかし、それでは2人とも引き下がらなかった。
「そういう問題じゃないだろ。俺も綾香もセリオの力になりたいんだよ」
「そうよ、私達親友でしょ!」
真剣な顔の2人を見比べて、セリオは前よりももっと深々と頭を下げた。
「本当に……お2人ともありがとうございます」
もしセリオの涙腺が感情のためについていたとしたら、セリオは感きわまって泣いていただろう。 しかし、セリオの涙腺はただ眼球をうるおすためだけについている。
「それでおっさん、それは本気でやるつもりなのか?」
「もちろん、それは本気じゃない。セリオに別れの感情を植え付けるための方便だよ。それに関して はどういいわけをしても私のやり方があってるとは言えないね、自分でも」
「それでもしなければならない理由があったってわけか?」
「ああ、そういうことになるね。私は……どうしてもセリオに心を持って欲しかった。セリオの 父親として、セリオには幸せになってほしかったのだ。あんな鋼鉄病などにセリオの幸せを壊される のは嫌だったんだよ」
「……俺もセリオに幸せになって欲しいのは一緒だよ。だから、おっさんにわざわざここまで来て もらったんだよ」
「……というと?」
「見つけたんだよ、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』の原因を」
長瀬が表情を険しくするのを、3人は初めてみた。
続く