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銀色の処女(シルバーメイデン)

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 どう動いたとしても不幸になるしかない状況において、人間はどう動くのだろうか?

 何をやっても無駄なときに、人間はどうするのだろうか?

 彼女達は、メイドロボ達は、こうするのだ。

「やはり、私は研究所へ帰ります」

 その言葉に浩之も綾香も長瀬もセリオの心意をはかりかねた。

 はかりかねもするはずだった。ここでセリオが研究所に帰ったとしても、何も解決しないのだ。 それどころか、問題は余計に大きくなる。

 研究所に帰る、それは浩之との決別を意味していると言ってもいい。鋼鉄病の研究のために セリオの助力が必要というなら分からないでもなかったが、それもない。

「……セリオ、俺と一緒にいるのは嫌か?」

 最初に口を開いた浩之が、自分本位のことを言い出したのは、むしろ当然であったのだ。問題が 解決しないのなら、せめて一緒にいたいと思うのは当然のはずだ。

「浩之さんに仕える、いいえ、浩之さんと一緒に過ごすことは、私にとってはとても、身に余る ような幸福なことです」

「だったら、一緒にいよう。病気の理由のめどがたったんだ。解決されることもあるかも……」

 浩之にも、分かっている。いや、今まで理解したくなかったにすぎないのだ。つまり原因は 人間とメイドロボの差、『心』なのだ。それは、メイドロボ達が上な限り、人間がメイドロボに 合わせるしかない。

 人間であるということを捨てて、メイドロボを認める。心から。そうやって、やっと問題は 半分解決するにすぎない。

 メイドロボにはそれが可能だったかもしれないが、そうやってメイドロボを認めないといけない のは人間なのだ。それが限りなく難しい。

 解決策はあるかもしれないが、それはまだ遠い先の話だ。いや、おそらく長瀬はそれこそ死にもの 狂いでそれを解決しようとするはずだ。メイドロボを下げるのではなく、人間を上げるための努力を して、メイドロボを対等と、いや、人間以上と思えるような世界を目指して。自分でも完全に信じて いないもののために。

 しかし、それが成功したとして、それはいつの話だろうか。5年後? 10年後? それとも もう浩之達が死んで、世代の変わったころ?

 答えはこうだ。セリオと一緒に暮らしていたなら、鋼鉄病が解決する前に浩之は発病し、 多かれ少なかれ被害を被る。

 それにセリオが耐えれるだろうか? それは難しいと浩之も思った。人間の幸せを望む彼女達に、 人間の苦痛は辛すぎる。

 しかし、それでもなお、浩之はセリオと暮らすことを望んでいた。それは人間の単なるわがまま であり、こう言っているかぎり、浩之はメイドロボ達に近づけないとしても。

 人間は感情で動くものであり、それを止める術はないのだ。

 せめて、セリオが病気の原因がわかったことで安心してくれるほど無知であれば。浩之はそう 思わずにはおれなかった。

 浩之には、精神病を患ってでもセリオを生活する覚悟はある。時間はかかっても、メイドロボを 対等に見る努力もする。

 しかし、セリオにはそこまでの覚悟があるのか、それは浩之にも分からなかった。セリオが研究所 に帰ると言わなければ。

 セリオには、それだけの覚悟がない。浩之との生活と、浩之の苦痛とを天秤にかけたとき、彼女は 迷いながらも、浩之の苦痛を取り、身を引くつもりなのだ。

 しかし、それは浩之の望むところではない。確かに浩之はセリオと一緒にいれば精神病を患う かもしれないが、それでも浩之は幸せなのだ。

 苦痛を取り去ることと、幸せにすることは一致していない。そして、セリオをここで帰せば、 浩之はおそらく一生後悔するだろう。

 だから浩之はセリオを止めようと、口を開いた。

「それで俺が幸せに……」

「浩之さん」

 無機質な、感情のないセリオの声は浩之を止めた。

 浩之さんに抱きしめられて、どれだけ嬉しかったのか口にしたい。ほんの少しだが、頭をなでて もらった時間は何物にもかえがたい時間だったことを浩之さんに教えたい。

 しかし、そんなことはできない。

 セリオは、知っている。自分に恋愛感情は組みこまれておらず、後天的に得たものだとしても、 自分は浩之を愛している。

 そして知っている。浩之の心を自分から切り離すのには、問題が必要なのではないことを。 今必要なのは拒絶。

 ほんの短い間悲しんでも、人間は立ち直れる。それをセリオは知っていた。人間は、メイドロボ よりもよほど頑丈に作られているのだから。

 しかも浩之さんは、人間の方の中でもおそらくかなり優れている方だ。私が目の前から消えても、 自分で、そして今までこの方に助けられ、惹かれた方々のはげましによって、そう長い時間をかけずに 立ち直れるはず。

 だから、ここは拒絶。問題なら、浩之さんは乗り越えて来てしまう。私が浩之さんを拒絶して 初めて浩之さんはあきらめることができる。

 セリオは、気持ちを整えた。整える必要のあるのは一つだけだ。浩之を愛しているという気持ち だけ抑えてしまえばいいのだから。

「もし、自分ではどうしようもないことが起きたら、浩之さんはどうしますか?」

 今、私は少しの間浩之さんを傷つけるかもしれない。それで私はどうしようもなく傷つき、使い ものにならなくなるかもしれない。

 それでも、私はメイドロボですから、私は、人間の方を優先させます。

「……どうにかしてやる、それで全員幸せになるんだ!」

 子供じみた言葉、今までそれをその手で実行してきていなかったら、誰も信じないような言葉。 だが、その子供じみた言葉を実行し、成功させてきたからこそ、多くの人が浩之に力を貸すのだ。

「現実的ではありません」

 セリオは、だからこそそうやって否定するしかない。これ以上浩之の持つ力に流されるわけには いかない。それが浩之を傷つけても、それでもかまわない。

「どうしようもないときに私達の取る行動は決まっています。要因が自分達の存在にあれば、私達は 消えるだけです」

「だからそれじゃあ俺もセリオも幸せに……」

「私が今研究所に帰ることが、一番正しいのです」

 次に言う言葉は、セリオの心をひどく痛めつけるだろう。自分でそれを自覚して、セリオは浩之を 拒絶した。

「私は、浩之さんの苦しむ姿を見て我慢することができません。私達は、主人の苦痛を見ても大丈夫 なようには作られておりませんので」

 嘘だった。メイドロボは、必要なら、どんな苦痛にでも耐えてみせる。主人が苦しむ姿さえ、 必要と感じれば耐える。もちろん平気なわけではない、がそれが主人のためなら、メイドロボはそれに 耐え、自分を傷つけていく。

 だからセリオは自分を傷つけた。自分自身のため、というセリオ達メイドロボにとっての一番の 苦痛であり罪悪に耐えてでも。

 浩之さんはこの言葉で分かってくれる。浩之さんと一緒にいることを私が苦しいのだということ を。その言葉の意味を理解してくれる。

 でなければ、嘘を言った意味がない。それを拒絶だと思ってくれなければ、罪を犯した意味が ない。

 浩之さんは傷ついて、それでも私の拒絶を受け入れるだろう。

 この嘘の拒絶にさえ浩之さんが気付いてしまったら、私には残された道はないが……そのときは、 どうするのだろう?

 それ以上のことはセリオは考えてなかった。セリオにとって、それは最後の切り札であり、 その後には何も残されていないのだ。

 そして、浩之は、セリオの方を見て、言った。

「……分かった、セリオ。研究所に帰ってもいいぜ」

 浩之の言葉に、セリオは悲しかったがほっとした。

 

続く

 

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