銀色の処女(シルバーメイデン)
綾香は浩之の心意をはかりかねた。
確かに、綾香も下がった。下がるしかなかった。セリオに、あそこまではっきり言われたら、 綾香でも自分の意見を貫き通すことはできなかった。
しかし、浩之は違う。浩之なら、例えどんな障害があっても、それを平気で乗り越えていく。 綾香はそう信じて疑わなかった。ある意味、そういう浩之の姿に惚れたと言っても過言ではなかった からだ。
実際、ささいなことから大きなことまで、浩之の「力押し」を綾香は見てきた。それはとても わがままかもしれないが、そのときの浩之はとても魅力的だった。
しかし、その浩之が、綾香よりも先にあきらめた。それは、綾香にとっては驚くに値すること だった。
「浩之、どうして、セリオを行かせたの?」
セリオが研究所に帰ることによって、綾香は取り残された浩之を得るチャンスにめぐまれはした。 しかし、それを生かそうとする気持ちは綾香にはなかった。とくに、親友のセリオを差し置いてという 気持ちではなく、譲られたという感情の方が優先され、浩之を落すのを嫌がったのだ。
そして綾香はこんな浩之を好きになったわけではないのだ。
浩之なら、何をしたってあきらめないって思ったのに。
それを口にするかどうか綾香は迷った。今まで、それを何度見ても、浩之本人にはそれを言わな かった。それを言わないことはある意味不文律だと思っていたのだ。
そして浩之の心意が読めない今、綾香は浩之の言葉を待つしかなかった。
「……精神病になるぐらいは、俺は覚悟してた」
だからこそセリオに「大丈夫だ」と浩之は言ってきたのだ。もし鋼鉄病を避ける方法が 見つからなくても、一緒に暮らすつもりでいた。
しかし、それには一つの条件があった。
セリオが、自分と生活することを最優先させること。
その条件さえそろっていれば、例え何があっても浩之はセリオを引きとめただろう。
しかし……
「セリオは、俺を拒絶したんだ」
セリオは、自分が人間が苦しむのに耐えれないと言った。もしこれが、「人間の方が苦しむのは 嫌」だったら、浩之はもっと強くセリオを引きとめていたろう。
「でも、それぐらいで……」
綾香の言葉は、おそらくそっちの方が当然だったのだろう。しかし、浩之にはそれを否定 しなくてはならない確かな理由がある。
「俺はセリオと暮らしたかった。でも、セリオがそうじゃなかったら、それを強制することなんて できないんだよ、俺には」
しかし、下がれないのは綾香も一緒だった。
「それぐらいの理由であきらめるなんて、浩之らしくないじゃない!」
今ここでセリオをそのまま返したら、もう二度と会えないかもしれない。綾香はそうさえ思って いた。しかし、自分ではセリオを止めることはできない。
浩之にたよるしかないのだ。親友を助けることができるのは、浩之しかいないのだから。
「俺だって……あきらめたくなんかない」
「だったら、セリオの首に縄つけたって引きとめればいいじゃない!」
綾香には、それもできない。それははがゆかったが、それができるはずの浩之がそれをしない のが、綾香にはどうしても許せなかった。
いや、浩之なら、きっとできるはずなのだ。だから、綾香は今ここで浩之を動かさなくては いけないのだ。それが、綾香が親友のためにできる唯一の行動。
「そんなことできるかよ!」
「できるわよ!」
「無理なんだよ、今回だけは!」
浩之は、綾香に背を向けた。
「無理だ、無理なんだよ。俺だって、自分ならどんなことだって力押しできるって思ってたさ。 精神病なんて、恐れてもいなかったさ。だけど……セリオに、相手に拒絶されてもまだあきらめない ことなんて俺にはできないんだよ!」
浩之の、それは単なるエゴだった。
どんなに嫌がられても、浩之は自分の思ったことは必ずやってみせた。それは感謝の言葉を 求めているわけではなく、それが浩之にとっての正しいことだからだ。
しかし、今回だけは違った。浩之は、最後の最後まで「自分のため」という理由を貫き通せな かったのだ。
セリオを大切に思うあまり、セリオの拒絶を跳ね除けることができなかったのだ。
「それじゃあ、セリオが幸せにならねーじゃねーか!」
ここで自分がセリオを見捨てても、やはりセリオは幸せにはなれないのかもしれない。しかし、 明らかにセリオが苦しむことはできない。
綾香が浩之の行動をはがゆく思っている以上に、浩之は悩んでいるのだ。
「俺にできることなら何だってしてやるよ。だけど、俺といることが苦痛だって言うやつと一緒に いたら、そいつを傷つけるだけじゃねーか!」
「……」
綾香は、押し黙った。
浩之が何でそんな浩之らしくない行動を取ったのか、少なからず分かったからだ。しかし、それ 以上に……
「……それでも、浩之はセリオを止めるべきよ」
綾香も、自分で無茶なことを言っている自覚はあった。浩之とセリオが傷つく方法でしかないの かもしれないことも理解していた。
それでも、言わずにはおれなかった。それが、浩之という人間の、一番綺麗なところを肯定する 方法だったから。
「どうなってもいいから、セリオを、止めるべきなのよ」
浩之の耳には無責任に聞こえるかな? ううん、浩之なら、分かっているはず。
「絶対だめなら、奇跡を起こすぐらいしなくちゃ、そうでしょ?」
「……」
絶対にあきらめない。それが美点かどうかはわからないが、浩之のそれは綾香には綺麗に見えた。 だから浩之に惹かれたのだ。
「……だが、もうセリオは……」
「大丈夫、まだ、糸はつながってるわよ」
綾香は、玄関の方を指差した。
「車のエンジンのかかった音はしてないわ。まだ、外に車はあるってことよ。さあ、行くのよ、 浩之。セリオを、無理やりにでも、助けてあげて」
綾香は最後まで浩之を見て言うことができず、目をそらした。それは、セリオを助ける唯一の チャンスであり、そしてそれは同時に、自分が浩之を絶対に手に入れることのできなくなる唯一の ピンチであるのだ。
そして、綾香は迷うことなく、ピンチを受け入れた。むしろ、それぐらいのピンチがあって当然、 その後にセリオと取り合いすることの方が面白いとさえ思った。
やっぱり、勝負はフェアでないとね。
綾香は、心の中でそう強がってみせたのだった。
続く