銀色の処女(シルバーメイデン)
「車のエンジンのかかった音はしてないわ。まだ、外に車はあるってことよ。さあ、行くのよ、浩之。 セリオを、無理やりにでも、助けてあげて」
綾香の決死の言葉にも、浩之は微動だにできなかった。
しかし、綾香は浩之がここで動かないとは少しも思っていなかった。何故なら綾香は浩之の魅力を 十分に知っているつもりだからだ。
そもそも、浩之の魅力とはどこにあるのだろうか?
ルックス? 確かに、あまり人当たりの良さそうな顔はしてはいないが悪くはない。100 人いればその中の10人には選ばれるだろう。しかし、一番には選ばれない、その程度だろう。
お金も持っているわけではない。むしろ、貧乏でケチなぐらいだ。
ならば性格か? いや、世の中性格だけでもてるのなら苦労はいらない。
その魅力、むしろ悪魔的と呼んでもいい関わった女性を虜にするその力は、その行動にある。
例え、自分の行動が女の子に疎ましく思われても、いくらけなされてさえ、自分が正しいと思った ことは実行に移し、そしていつも最後は『力押し』で彼女達を助ける。
多くのことをそつなくこなせる、言わば天才とも言える浩之の、本当の才能はその一点。
浩之には『本当に困っている』ことが見えるのだ。
浩之にだって、いつも確信を持って動いているわけではない。ただ結果的に、いつの間にか 浩之は本当に困っていることにたどり着くのだ。
そして、浩之はたどり着くだけでなく、それを解決しようとする。今まで浩之が関わった『本当に 困った』ことは、全て解決してきた。
それが女の子達には「本当にやさしい」と写るようだった。劇的な悲劇から自分を救って くれた、しかもかっこいい男の子。好きになるには十分な条件だった。
綾香は、そんな浩之を信じた。自分の人を見る目には自信があったのだ。浩之なら、自分を 見捨ててさえもセリオを助けてくれると。
だが、その綾香の気持ちとは裏腹に、やはり浩之は動けない。それは、綾香の見たてが間違って いるからではない。
浩之には今回も、『本当に困っている』ことが見えた。
だからこそ、浩之の足は止まったのだ。
セリオが『本当に困っている』ことは分かっている。それを助けれるのがおそらく浩之だけで あろうことも、分かっている。
しかしセリオは、浩之の伸ばした手を振り解いた。そして、浩之は初めて、無理やり『力押し』 で引き止めることができなかったのだ。
いや、浩之にはそれができなかったのではない、しなかったのだ。
口では「セリオが拒んだから」などと言っているが、浩之は本当はそんな理由でセリオを帰した のではなかった。
セリオにとって、人間を幸せにすることが一番望んでいることなのを、浩之は分かっていた。 それが分からなかったらメイドロボが人間よりも優れているなどという考えは生まれてこなかった だろう。
それを知っている浩之は、セリオを最後まで引き止めることをしなかった。
浩之は、自分自身が傷つくのを恐れはしても、そこで足を止めたりはしない。『力押し』という ものは自分の心身の危険と隣り合わせなのだ。その覚悟もないのに浩之は他人に足を踏み入れたりは しない。
また浩之は、助けようとしている相手に嫌われることに、痛みは感じても恐れはしない。自分の 行動が、最終的に彼女達を助けるとどこかで分かっているからこそ、それに恐れず立ち向かえるのだ。 むしろ、嫌われること自体は、何ら問題とならない、助けることさえできるのであれば。
しかし、今回は勝手が違った。
浩之は、セリオを引き止めたいと思っていた。というより、おそらく『本当に困っていること』 を解決するには、それしかないのだろう。
だが、セリオはどうなのだろうか?
セリオが浩之と一緒にいたいと望んでいるかどうかは浩之には判断できない。そして、セリオは メイドロボであり、彼女が望むことは、人間を幸せにすることだと浩之は思っている。
しかし、セリオは浩之が幸せになるためにはセリオがいないといけないということを理解せずに、 自分の意志で浩之から離れた。
浩之には、分からなくなっていたのだ。セリオは人間が幸せになるために動くはずなのに、セリオ の行動は自分に苦痛となる。
精神病などどうでもいいのだ。その苦しみは、幸せの量に比べたら微々たるものなのだから。 なのにセリオはそれを拒んだ。
『助ける』ために必要なピースが、どこか一部分抜け落ちているのだ。
「浩之、セリオを助けてあげてよ」
「……」
浩之は助けたい。それは確かだ。だが、どうしてもうまくいかないのだ。どこかが、いつもと 違う。何かがひっかかる。
こんなことは、一度もなかった。相手の気持ちを全部わかっていたって、浩之は『助ける』のを 今までためらったことはなかったのに。今回は、相手の気持ちをわかってなおその手を伸ばすべきなの かためらっている浩之がいた。
理由は分かっている。浩之は、セリオを傷つけたくないのだ。
自分の勝手な都合で他人に嫌われるのはかまわない。でも、自分の勝手な都合で悪くもない相手を 傷つけるのは嫌なのだ。
こんなことは一度もなかったはずなのだ。『助ける』ことと『傷つける』ことが重なったこと など、今の今まで一度もなかったのだ。
主人が傷つくのを目の前で見ることは、人間の幸せを願うメイドロボには痛すぎる。それは浩之 を蝕むであろう精神病よりもおそらく早く、セリオを蝕み切るかもしれないのだ。
いや、浩之が精神病でどうにかなってしまう以前に、それはわずかながらもセリオを傷つける。
だから、浩之はセリオに手を出せない。
人間を相手にしていた今までなら、一度もなかったことなのだ。
片方が傷つけば、片方を助けることが、今まではできたのだ。
人間を相手にしていたなら……?
そうか……
浩之は、やっとそこにたどり着いた。
セリオが、メイドロボだからこんなことが起こるんだ。
メイドロボが、人よりも優れているから。
メイドロボには、人間が傷つくことが何よりも苦しいことだから。
それは中に包まれようとしたなら、必ずその棘が突き刺さる。そして、傷つけた本人も血の涙 を流すのだ。
それはまるで『銀色の処女(シルバーメイデン)』。美しき銀色の拷問器具。
その空洞の瞳からは、中に入っている者の血が涙として流れる。
片方が傷つけば、もう片方も同じように傷つく。だから、いつまでも抱き合うことはできない。 棘もその彼女の一部だから。
2人が抱き合う方法は二つだけ。彼女の棘を折り、彼女を壊すか、中に入っている者が血を 抜かれ、死ぬか。
それをお互い分かり合うから、そして、どちらもお互いを大切に思うから、離れることでしか 傷つけない方法はないのかもしれない。
……だが、片方が、最初から死ぬ気ならどうだ?
ほんの少しも流れる血など残らないぐらい、苦しんだ後なら。
彼女に気付かれないように、血を抜いてしまえば。
ガタッと浩之は立ちあがった。
「浩之!」
綾香が、浩之が立ちあがったのを見て期待と失望の気持ちをその言葉に乗せた。もっとも、ほとんど 失望は消しているのだが。
セリオはそれを許してくれるだろうか?
きっと許してはくれないだろう。だったら、隠しておくしかないだろう。
自分が傷つく?
浩之は、心の中でその言葉を鼻で笑った。
自分が傷つくことを嫌がるぐらいなら、俺は最初からセリオを助けようとなんかしなかった。
だから俺は、セリオのために、傷つく。
続く