銀色の処女(シルバーメイデン)
その空洞の目から血の涙が流れるというのなら、彼女と抱き合う前に体の血を全部抜いて しまえばいい。
体の全ての血を、流しきる。
しかし、そんな手があるだろうか。彼女に気付かれることなく、全ての血を流しきることなど、 できるのだろうか?
セリオを傷つけずに、2人が一緒になるにはその方法しかない。それは単なる思いつきの この方法であっても、唯一の手なのだ。
浩之は、頭をフルに活動させて考えていた。それが細い一本の綱ならば、その綱を渡る方法を 考えるしかないのだ。
この場合、血とは何だ?
それが俺とセリオの間を引き裂くものだのだ。その血の正体さえ分かれば、何とか……。
それはすぐに分かった。拍子抜けするぐらい簡単に想像がついた。
『血』とは、浩之が人間であること、その証。そして、銀の体を持つ彼女はセリオ。
人間であることをやめる。それが、体の血を流しきるということだ。
……俺に、サイボーグにでもなれっていうのか?
浩之は場違いな冗談を考えた。もちろん、それは冗談だ。だが、その冗談は冗談にならないほど 説得力を帯びていた。
人間でなくなる方法など、考えて出てくるようなものではない。そのことは十分に浩之にも理解 できることではあった。
……だめだ、どう転んだとしても、俺は人間だ。人間をやめる方法など、あるわけがない。
浩之はすぐにそのバカげた考えを捨て、別のアプローチに入った。
セリオを、いや、メイドロボを人間よりも、自分よりも優れているということを心から認知 する。
絶望的な答えだった。血を流すというのは、つまり『鉄色の処女症候群(アイアンメイデン シンドローム)』の影響を受け続けるということなのだ。
それには、セリオの存在は不可欠なものだ。だが、セリオに気付かれないように血を流しながら 生活するのは不可能であろう。それどころか、今セリオはここからいなくなろうとさえしているのだ。 浩之に血を流させる暇さえ与えずに。
セリオを引きとめることはできない、確実にセリオを苦しめるから。
血を流すことさえできずに、俺はただ彼女が去っていくのを見ていることしかできないのか?
浩之には、セリオを救う方法が見えていない。ここで引きとめないとセリオが不幸になるかも という予感はあっても、引きとめれば確実にセリオを傷つける。
セリオをここで引きとめれば彼女を傷つけ、引き止めなければ血を流すチャンスさえ与えられずに いなくなる。
血を流す方法は他にないのか? もしその方法があれば、ここでセリオを帰して、血を流しきって から迎えに行くということもできるのに。
こじつけでいい、何か手は……。
そう、こじつけなら方法はある。ひどく現実味のない方法ではあるが、あることにはある。
セリオを、一度ここで研究所に帰す。ただし、いつか迎えに行くという条件付きでだ。
いつか、必ず迎えに行く。この言葉だけでも、セリオの心の傷をかなり軽減できるはずだ。
しかる後に、綾香なり長瀬なりの助力でメイドロボを一人自分につけてもらう。マルチでも いいし、他の量産型のメイドロボでもいい。
そして、『彼女』を人間と見れるようになる努力をする。それには、そのメイドロボを愛する 必要さえあるかもしれない。
そうやって、メイドロボを自分と対等、またはそれ以上に見れるようになる。
そうやって完全に『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』の脅威が過ぎ去った 後に、セリオを迎えに行く。
矛盾している、全然賢いやり方でもないし、確実なやり方でもない。だいたい、それぐらいの ことでどうにかなることなら、今まで悩んだりはしない。
しかし、それ以外にセリオと、あの銀色の処女と抱き合う方法はない。
不器用に、不恰好に、そしてバカらしいまでに、浩之はセリオを求めていた。
だが、セリオは浩之を求めていない。浩之の、幸せこそを求めて、そして結果として失敗して いるのだ。
矛盾があって、悩んで、それでも一つの答えを出して、もしかしたら答えを出せれずに、 苦悩と、挫折の日々を繰り返す。まったく、人間そっくりだ。
……もし、セリオの相手が俺じゃなくて、メイドロボと同じレベルなら、やはり人間を超えた 答えを出すのかな。
浩之は心の中でそんなことを考えながら、セリオに、しばしの別れを告げるために扉に手を かけた。
「セリオを、助けてあげなさいよ、浩之」
「……ああ」
浩之は、歯切れ悪くしか答えれなかった。ここまで来てなお、浩之は自分の判断が正しいと いう確信がないのだ。
だが、俺は人間で、どうしようもないから、苦しむ。
ただ、愛する者と一緒にすごしたいがために。
浩之の前の路上に、車は止めてあった。
おいおい、長瀬のおっさんもこんな場所に違法駐車することもないだろうに。
浩之は、このせっぱつまった状況で、そんなことを考えていた。いや、せっぱつまっているから こそ、浩之は現実逃避したかったのかもしれない。
浩之は、今自分が何をしようとしてセリオにもう一度会おうとしているのかを見失って いるのだ。
必ず迎えに行く。その言葉で、少しでもセリオの心の傷を軽くするため?
いや、違う。セリオのことを考えるなら、今は何も言わない方がいいはずだ。セリオ自身が帰る と言い出したのだ、それを少しでも妨げる方が、彼女の心にダメージを与えるのではないのか。
だったら、綾香が行けと言ったから?
それとも、セリオのことに決着をつけるため?
違う、全部違う。
浩之は、重く、そして急く脚を動かし、車に近づいた。
そう、俺の脚は急く。セリオと、もう一度会いたいから。
もう一度会って、話がしたい。
俺は、セリオを、あきらめきれてないんだ。一度は帰すことを承諾したにも関わらず、もう一度 会いたくて、そしてセリオが何かの拍子に心変わりをしてここに留まってくれることを俺は望んで いるんだ。
浩之が車に視線を送ったとき、車の、何故かひび割れたガラス越しのセリオと目が合った。
無表情の、セリオの瞳。それは、彼女には感情の表現を顔の表情によって行うことに重点を おかれなかったための、うわべだけのこと。彼女の瞳は多くを語っている。
どちらも視線を外すことはなかった。浩之は、そのままゆっくりと車に近づいていった。
浩之が車の前までたどりつくと、カチリッと小さな音がした。
そして、ドアが開かれた。
続く