銀色の処女(シルバーメイデン)
メイドロボは人の役にたてるように作られている。そして、それが彼女達の生きる目的でも あった。
だから、彼女達は有能に作られている。どんな状況でも、最善の効果を得れる方法を取ること ができるはずである。
だが、自動車のドアが開き、そこから浩之を見た瞬間、セリオは自分が取るべき行動を見つけ かれずに、その場に凍ったように座っていた。
浩之ともう一度会えば、決心が鈍るとか、そういう問題ではなかった。身体が、どうあっても ここから動こうとしないのだ。
いや、セリオ自身、そこから逃げるという選択肢を考えていなかった。
目の前に、自分の最愛の人がいるのだ。それも、逃げるつもりであった自分のことを追って きたのだ。
感激のあまり、セリオはめまいを覚えそうだった。もちろんセリオはメイドロボなので めまいなど起こさないが。
メイドロボにとってみれば、人間の方に何かをしてもらうなどということは、嬉しさを通り越して ある種の苦痛でさえある。申し訳ないという気持ちが、そこで役にたたない自分を責めるのだ。
だが、セリオはそれを超えて嬉しかった。浩之と会うという行為が、どうしようもなく嬉し かった。
メイドロボの自分が決して感じてはいけないはずの、その気持ちを、セリオは感じていた。
何かをされて嬉しいなど、メイドロボにあるまじき感情なのだ。
「セリオ……」
先に声を出したのは、浩之の方だった。それは何か具体的なことを言おうとしたわけではなく、 何かを口にしなければならないという思いが、彼女の名前を呼ばせただけであった。
「は……」
セリオはそのまま「はい」と答えてしまいそうになり、言葉を止めた。
今は、ただ何気ない返事を返すこともいけない。そうしただけでも、きっと……
きっと、私は決心を折ってしまう。
決心を折らないためにも、セリオは冷たく答えた。
「どうかいたしましたか、浩之さん」
別につとめて口調を冷たくする必要はなかった。セリオは、そういう風に作られているのだ。 冷たく、無表情な形に。
「用件があるのなら、研究所に帰らなければならないので、なるべく早くお願いします」
完璧なできだ。誰にもこれが演技だとは思われない。
それほど、もろい演技だった。
セリオには、それでも精一杯だったのだ。自分の決心を折らずに、この場から消えるために、 自分を自制することに能力の大半をそいでいるのだから。
しかし、ここで心変わりすることはできない。私の心変わりは、浩之さんを苦しめることに つながるのだから。
「ご用件をどうぞ」
セリオはこれほどまでに、自分に表情を出す機能がほとんどついていないことを感謝したこと はなかった。誰にも分からないように、感情を表に出さないようにできているのだから。
そして、セリオはどんな状態でも、話しているときの人の目を見ることができる。無駄なくらい まっすぐにだ。
それは、人間の方にはできないでしょう。私達メイドロボ、作られた存在だからこそできること です。そして、それは嘘をつくには好都合なこと。
だから、今も私は浩之さんの目を見ましょう。それが自分を苦しめる結果となったとしても。
例え、この身が焼ききれようとも、最後まで。
もう、セリオを動かしているのは一つの考えだけであった。人間の方のために動く、それがどれ ほどセリオの気持ちを支えているのか、やはり人間には分からないのだ。
自己犠牲とか、そんな安っぽいものではない。
彼女達にとっては、それが存在理由。生きのびることさえインプットされていない鉄クズ達に 最初から与えられた、唯一の本能。
それが、銀色の身体を持つ、彼女達の存在する理由。
セリオに残された、残りほんのわずかな、それは欲求なのだ。メイドロボ達にとって、ただこれ だけ望んでいい、ただ一つの夢。
結局は、メイドロボ達も自分の欲望にただ突き進んでいるだけなのかもしれない。
もし、そうだとしても、やはり彼女達は人間ではなかった。
人間よりも優れた、彼女達は血を持たないロボットなのだ。
浩之が何をするためにセリオの後を追ってきたのかは考える間でもなく分かっていた。少なく とも、別れの言葉を言いに来たのではないはずだ。
セリオの、最後の試練だった。ここで折れたら、セリオにとっては生きる意志を無くしたも 同じことなのだ。
その暖かい海に足を取られて、そのまま溺れてしまいたい。生きる意志など無くして、 浩之に抱きつきたい。そう自分が願っていること分かっているだけに、セリオは気を抜けない。
「いや、用件と言われると……」
浩之は生返事をして答えをはぐらかせた。少なくとも、セリオにはそう見えた。
予想にない反応だった。セリオの考えでは、強い口調で浩之はセリオを止めてくるはずだった。 でなかったら、セリオの後を追ってくる意味がない。
浩之さんは、何を考えてここに?
自分を引きとめようという強い意志を持って自分を引き止めにきた。セリオはそう予測していた。 予測と言うよりは、希望、いや、確信に近いものがあった。
だが、浩之の態度ははっきりとしない。
それもそうなのだ。浩之は、ただセリオをと一緒にいるために、何かをしなければならない、ただ その気持ちだけに引かれてここまで来たのだ。
何か良い策があるわけでもなければ、セリオをここで引きとめようとする強い意志もない。
それでも、浩之はここに、セリオの後を追ってきた。だからこそセリオは混乱しているのだ。
浩之が何をしようとしているのかが見えてこないのだ。しかし、それは当の浩之も同じだった。 自分が今本当は何をするべきなのかをはっきりと考えることができないのだ。
ただ、セリオに会いたかった、本当にそれだけなのかもしれない。
一目見たかっただけなのか、「いつか必ず迎えに行く」と言いたかったのか、怒鳴ってでも 引きとめたかったのか、浩之本人にも分からなかった。
しかし、ここに来た以上、それで話がすむわけがなかった。浩之は、何かをして、セリオを 少しでも助けなければならないのだ。
浩之がどう考えようと、それは決戦なのだ。
続く