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銀色の処女(シルバーメイデン)

55

 

「セリオ、一緒にいよう」

 出てしまえば簡単な答えだった。今の今まで浩之の行動の中に傷つけるから近づかないなどと いう行動は含まれていなかったのだ。

 近くにいて傷つけあうことが、離れて、逃げて暮らすよりも悪いことだなどと浩之は自分で 勝手に決め付けていたのかもしれない。

「浩之さん……」

 無表情なのに、どこか困惑した表情でセリオは浩之を見上げた。その瞳を、浩之ははっきりと 前から見据えていた。

 セリオにとって、今が正念場なのは確かだ。自分が折れる瞬間が、自分の、メイドロボとしての 許されざる選択だということは十分に分かっているからだ。

 しかし、今セリオは浩之の言葉に従いたかった。

 自分が折れたい。折れて、浩之の胸の中に抱かれたい。そんな欲求があることはもう前から分かっ ている。

 問題は、それを今セリオは制御できなく、いや、制御したくなくなってきていた。

 主人は、自分と同じ場所で傷つくことを選んだのだ。もう、自分がこだわる必要などない。 その命令に従ってしまえ。

 そう自分の思考プログラムが動いているのだ。

 それは、人間に似ていた。

 何かを得たいがために、それまでのこだわりを、何かの理由をつけて切り捨て、そのかわりに 得るのだ。丁度、自分のこだわりを捨てた浩之のように。

 浩之は、自分のこだわりさえ全て捨てて、セリオを選んだ。軽率な行動だったのかも知れない が、浩之はそれを選び、今セリオを得ようとしている。

 浩之さんが私を選んだ理由を口にするなら、それは「セリオのため」。

 それが誰でもない浩之さん自身が望んだことでも、理由は「セリオのため」。

 それでいい、人間の方はそれでいい。でも……

 私達メイドロボは、そんなことは許されない。いえ、自分自身で許さない。

 私達は、自分のために動いてはいけない。例えどんなに理由をつけても、本当の理由が「自分の 気持ち」のためなら動いてはいけない。

 私達は、メイドロボだから。

 私達は、人間の方の役にたたなければいけないから。

 でも、今私は「主人の命令に従う」という理由をつけて「私のため」に浩之さんの手を取ろうと している。

 そんな罪を、私は犯せない。

 だから、私はかたくなに拒もう、浩之さんを。

 セリオは何度も何度もそうやって自分の心をいましめ、その誘惑を撥ね退けようとした。

 自分でも、茶番をしているのは分かっていた。

 浩之さんが、ここまで来て引くことはないであろう。そして、もし同じように私と浩之さんが 意地の張り合いをしたなら、私は負ける。

 私には確かに迷いがある。だが、そんなことは関係なく、浩之さんに私は勝てない。

 浩之は、スッとセリオに向かって手を差しのべた。

「さあ、セリオ」

 セリオが拒絶するとは少しも考えていないようなはっきりとした声。

 違う、浩之は、セリオが拒絶しても強引に連れていくつもりなのだ。

 誰のためとか、自分のためとか、もう浩之にはどうでもいいのだ。浩之には、それ以外の選択が 残っていないにすぎない。

 セリオは、拒絶したくないが、拒絶する。

 浩之は、彼女を無理やりにでも車から降ろそうとする。

 公式は簡単な綱引き。ただ、どちらに転んだとしても、どちらも苦しみの待つ 希望のない勝負。

 でも、だからこそなのだろう、浩之には、負ける気はなかった。

 セリオは、負けてもいいと考えだしていた。それを引きとめているのは単なる自分の、メイドロボ としての存在意義でしかない。

 セリオは、一度浩之の差し出された手を見た。ふと、自分が浩之から目をそらしたことをセリオ は自覚した。

「……浩之さん、どうして、私をこのまま行かせてくれなかったのですか」

 セリオが、セリオであるときに初めて、相手から目をはずしてセリオは言った、

 それは、もしかしたらセリオがメイドロボである証を捨てた瞬間なのかもしれない。もちろん、 単なる杞憂なのかもしれないが。

「俺にも理由なんて分からない。だけど……ここで、セリオを帰したら、もう二度と会えないような 気がした」

 その浩之の考えは正解ではあったが、それは理由になるだろうか。まだ、浩之は理由を口に してはいなかった。

 理由はだいたいシンプルで、予想のつくものだ。

 

「セリオのことが好きだから、離れたくない」

 

 実に利己的な答えだった。相手を思いやる心だけなら、きっとこの答えは出て来ずに、浩之と セリオは二度と会うことはなかったろう。

 しかし浩之はただセリオを思いやるだけではなかったので、その答えを導き出せたのだ。

 そして、利己的な理由から、浩之は自分に手を差し伸べているのだ。

 それだけが、セリオにはどうしても分からない。浩之がもし強引にセリオをここに留まらせる つもりなら、何故浩之はセリオに手を伸ばしたのだろう。

 強引に引っ張ってしまえばいいのに、何故浩之さんは……

 浩之さんは、最後の選択権を、私に任せている?

 浩之の差し出した手を、セリオはじっと見つめていた。

 私に差し出された手。他の誰のためでもなく、私のために差し出された手。

 この手を取ってしまえば、それで終り。この後に何が待っていたとしても、全力で私も浩之さん も乗り越えるであろう。

 でも、それを私の意志で?

 私にはできない、できないはずだ。主人が苦しむぐらいなら、自分がこの世界から消えることを、 消えるという行為を取る私達メイドロボが、その手を取れるわけがない。

 それでも、浩之さんは私にその選択権を渡すのですか?

「セリオ、手をつかんで」

 やさしく、浩之さんはそう言う。少しも強要してない、私のきめたこと以外のことをやらせようと しているくせに。

 決断のときが来ようとしていた。

 取るのは、メイドロボであり続ける、メイドロボでなくなるか。

 そして最後の選択権は、セリオに託されていた。

 私は、どうする?

 私は、この手を取るの?

 私は、どうしたい?

 私は……

「私は……」

 セリオは、とうとうその言葉を本心で口にしてしまった。

 

続く

 

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