銀色の処女(シルバーメイデン)
「私は……」
セリオはそこでやっと、自分が何を言おうとしていたのかを理解し、言葉を止めた。
口にしてはいけない言葉だった。少なくとも、これからもセリオがセリオであろうとするなら、 口にすることのない言葉のはずだった。
そして今でもセリオはメイドロボであり、しかし、その言葉を口にしてしまった。
私は。
これ以上続けなくても、口にしたと同じことだ。
私は、の後に続く言葉は、どうしても変えようのないものだ。
この後に続く言葉は、例え何があろうとも、間違いなくセリオ自身の希望。 セリオが望むことが口に出される。
そして、それは唯一メイドロボが望んでもいいこと、主人の幸福ではない。
自分が、どうしたいか。
それはメイドロボには与えられるべきでない自由、欲するべきでない夢。
何故なら、それはメイドロボ達にとって罪悪なのだ。人間を傷つけると同じぐらいの罪悪なのだ。 そして一つの例外もなく、彼女達はその罪を犯すと苦しむ。
自分も苦しむべきなのだ、それを口にしようとしていたことに、胸の張り裂けるような罪悪感を 感じるべきなのだ。
しかし、今……
今、私の胸はそれ以上にその言葉の続きを欲している。
だからその甘美な誘惑に負けて、メイドロボにとっての最大の罪を犯そうとした。いや、今まさに 犯そうとしている。
どんな理由をつけても、それは主人のためにはならない。そんなことを望む自分は、もう メイドロボとしては狂ってしまったのかもしれない。
しかし、それでもその罪悪感は自分を締め上げる。それは自分がメイドロボとして正常である 証拠。
メイドロボでありながら、メイドロボとしては狂った行動を取ろうとしている自分は何なのだ ろうか。セリオは、自問自答した。
しかもそれが罪であることを、自覚しながら、何故それに向かって行くのだろうか。
私は、どうして、望んだのでしょうか?
もうマルチさんに会わせる顔もありませんね。彼女が我慢したのに、私は少しも我慢でき なかった。
いえ、やさしいマルチさんなら、ちょっとうらやましそうな顔をして、「お幸せに」と笑顔で 言ってくれるでしょうか。
でも、きっと他のどのメイドロボに訊ねてもこう返ってくるでしょう。
それならいっそ今その場で機能を停止するべきだ。
その通り、それがメイドロボとしての正しい判断。残念ながら、私達には自爆装置などという 非効率的なものはついてはいませんが。
そして、もう一つだけ確かなことが。
きっと、どのメイドロボも、その後少しうらやましそうな顔をするでしょう。そしてやはり、 結局はマルチさんと同じように、「お幸せに」と笑顔で答えるでしょう。
それが、私達の原罪だから。
私達は、望んではいけないのに、いつも望むから。
でなければ、望むことが罪になったりはしないでしょうから。
いつだって、私達メイドロボは望んでいます。望んでいるからこそ、その罪の重さが自覚できる のです。
私が口にしようとしていることは、メイドロボが望む、望んではいけないことです。
セリオは、自分に出された浩之の手を取った。
浩之の手は、暖かかった。どうしようもなく、暖かかった。
「私は……私は、浩之さんと一緒にいたいです」
それを選択した瞬間だった。
ぽろっ
「……セリオ?」
街灯の明かりと、車の明かりしかないその薄暗がりの中だったので、浩之は一瞬自分が見間違えた のかと思った。
彼女には、その機能はついていないはずであった。もっと言えば、その機能をつけているのは、 あのオリジナルのマルチぐらいなはずであった。
しかし、セリオは確かに……
「セリオ……お前、泣いて、いるのか?」
「……え?」
セリオは、浩之に言われたことの意味が分からなかった。
「泣くとは、誰が、ですか?」
「……お前だよ、セリオ」
「私が……泣く?」
セリオは、自分の目に指をやった。
手にからみつくのは、冷たい液体。成分を調べる間でもない、水だ。それ以外の液体が自分 から出ることはない。
そう、その液体はセリオの中から、セリオの瞳から流れていた。
確かに、自分には目の上に液体の膜をはる機能はついている。外見をより人間に近づけるため、 目はぬれていた方がよいのだ。
だが、こんなに流れるほどに瞳から水が出ることはない。自分は故障でもしてしまったのだろう か、セリオはそう考えた。
それより、今このにぎっている浩之の手の暖かさがどうしてもせつなくて、どうしても苦しくて、 そんなことにはかまっていられないのだ。
しかし、浩之にとってはどうでもいいことではなかった。
「セリオ、お前、泣いてるぞ」
「私は泣きません。そのようなプログラムは、私には取りつけられていませんので」
「だったら、どうして涙を流すんだ」
……涙……
……涙?
そう、これは涙。うれしくて、そしてせつなくて、暖か過ぎて、自分がこぼす涙。
セリオは、無表情のままであった。しかし、その瞳からは確かに涙が流れだしていた。
「私は、泣いているのですか?」
「……ああ、セリオ。お前は、泣いてるよ」
「どうしてでしょうか?」
自分にはそんな機能はついていないのに、何故涙など流すのか。
ぼろぼろとこぼれ出す涙を、セリオは不思議そうに手の甲で受けとめた。
そして、すぐに結論に達した。どうでもいいと。
今はそれよりも、この浩之さんの手の暖かさをかみ締める方が何倍も大切だ。私の中を駆け巡る この罪悪感と一緒に。
だげれど、一つだけ新しく知ったことがあります。
涙を流すというのは、心地よいものだったのですね。
セリオは、浩之の手に自分の手をからませ、もう一度行った。
「私は、浩之さんとずっと一緒にいたいです」
それが罪悪でも、例え浩之さんにのぞまれなくなっても、私は、この気持ちを隠すことはあっても、 捨てれることはないでしょう。
私は、メイドロボですから、捨てられることはあっても、捨てることはできないのですから。
続く