銀色の処女(シルバーメイデン)
ひびの入った車を走らせながら、長瀬はちらりと横に座った綾香を見た。
綾香は、ぼうっとしながらそのひび割れたガラス越しに外の風景を見ていた。もっとも、今の 綾香の目に風景が写っているとは長瀬も思っていない。
「……綾香お嬢様」
長瀬が呼んでも、綾香は何の反応も見せなかった。仕方ないので、長瀬はもう一度呼んだ。
「綾香お嬢様」
「聞こえてるわよ」
綾香は、そう気のない返事をした。覇気にあふれた、あの綾香とは似ても似つかぬ様子ではあっ たが、仕方のないことかもしれない。
今長瀬の目の前には、好きな男の子にふられるどころか、自分から親友に譲った、強くも悲しい 女の子がいた。
そう、長瀬はそれが聞きたいのだ。今は綾香に何を言ったところで傷を広げるだけだということ を分かっていても。
「綾香お嬢様、一つ質問してよろしいですか?」
長瀬の言葉に、綾香はゆっくりと長瀬の方に振り返った。いつもの綾香だった。瞳には力が あったし、表情も優れないこともなかった。
この子も、強がることができるのだろう、セリオと同じように。
長瀬がそんなことを頭の端で思ったとき、綾香も口を開いた。
「だったら先に私に質問させて」
「……どうぞ」
「……何で、さっさとセリオを乗せて研究所に帰ってしまわなかったのよ」
「……」
長瀬は、しばらくどういう表情をしていいのか迷った。例え何があっても、綾香はそんなことを 言うことはないと思っていたのだ。
「……冗談よ」
綾香は力なく笑った。いつもの悪い冗談、そう言い切ってもいいのかもしれない。もしそうで なければ……
「私がほんとにそう思ってるなら、浩之を行かせなかったわよ。あのとき、しずむ浩之の心の 隙をついて、こう私をねじ込んだはずだものね」
そう言いながら、ビシッと拳を打ち出す。その拳なら、何でもねじ込むことができると、綾香は 心の端で思っているのかもしれない。
しかし、今回はその拳は使う可能性もなく、そして、綾香は自分を浩之の中にねじ込むことを 選ばなかった。
「本当……どうして、あのとき私は浩之を行かせたんだろ」
自問自答したところで、その現実が変わるわけはなかった。綾香の、もしかしたら最初で最後の 後悔になることなのかもしれない。
「質問は、それで終りですか?」
「……そうね、いいわよ。スリーサイズ以外なら質問に答えてあげるわ」
そして、綾香の弱音は長く続かない。それは、綾香がただただ前を見ていて、ただただ強い 結果の、どうでもいい彼女の魅力なのかもしれない。
「それでは……なぜ、藤田君をセリオに譲ったのですか?」
綾香は、予測していたような表情だったが、キレはなかった。
「そんなこと私に分かるわけ……いや、違うわね。分からないわけないじゃない」
綾香は、自分でその理由をはっきり分かっていた。
「長瀬には悪いけど、セリオのことを考えてなんかじゃ一つもないからね。私は、ただ私が惚れた 浩之に、かっこよくあってほしかっただけ」
「惚れてましたか……」
長瀬はその言葉にわざとらしく少し驚いてみた。しかし、それは綾香の神経を逆なでする以外の 効果はおよぼさなかった。
「ふん、そんなこと長瀬だって分かってるんでしょ。じゃなかったら『ゆずった』なんて言葉 出てこないものね」
綾香は、だいたの意志を行動に出す。浩之を好きなのも、だいたいは行動に出ていたにきまって いた。気付いてないのはせいぜい当の浩之本人ぐらいだろう。
その素直な綾香は、だから素直に理由をつげた。
「浩之は、こまっている相手を絶対に見捨てたりしないのよ。それに惹かれたって言っても 過言じゃないのに、何で私がその浩之の魅了を消すようなことしなくちゃいけないのよ」
友人としては、確かに浩之はいい。しかし、もしあの浩之のお節介がなくなったときに、 どれぐらいの魅力が浩之に残ると言うのだろうか。
おそらく、浩之に惚れている女の子は、全員綾香と同じ行動に出るはずだ。もしそれをしないと 言うのなら、それは浩之とはつりあわない、ただ顔に惹かれたバカでしかない。
そう、浩之はもったいない。
「だから……セリオには、浩之はもったいないのよ」
「……」
長瀬は、一瞬綾香の言いたいことを見失った。綾香が、セリオのことを悪く言うなど、せいぜい 冗談が下手で融通がきかないぐらいなもののはずだ。
……それとも、このお嬢様でさえ、メイドロボを低く見ることしかできなかったのだろうか?
長瀬の懸念をよそに、綾香は、鋭い眼光で前を見た。それは、浩之の家に残ったセリオに 向けられたものだったのだろうか。
「セリオは、いい子よ。確かにそれは分かるわよ。でも、何でわざわざ浩之の魅力を消すような 行動を取ったの。セリオは、メイドロボは、人間よりも優れてるんじゃなかったの?」
「それは……」
長瀬は、綾香に言われて、初めてそれに気がついた。
浩之の言った言葉、メイドロボは、人間よりも優れている。その言葉の意味を、長瀬は改めて 考えた。
浩之に言われたことをそのままうのみにしていたのかもしれないが……どうなのだ?
セリオは、確かに浩之のことを好きと言った。しかし、綾香が言うことが正しければ、浩之と いう人格の魅力を無視したことになる。
どうなのだ、セリオは、メイドロボは、本当に人間よりも優れているのか?
「私は、確かに浩之をセリオに譲ったわよ。でもね、セリオが、本当に浩之に似合ってるとは 少しも思ってない。セリオは、今のままのセリオだったら、浩之には似合わないわよ」
果たして今回のことは、父親としては十分な成果が得られたのか?
長瀬は自分に問い掛けたが、当然答えは返っては来ない。
確かに、メイドロボは浩之が言うように人間よりも優れているのかもしれない。しかし……本当に、 本当に人間よりも優れているのか?
それとも今回は、ただセリオに恋愛経験が少なかったせいで起こったことなのか?
それとも……それとも、本当は、メイドロボは、本当は人間よりも優れていなかったのか?
思考の迷路に入る長瀬に目をやることもなく、綾香は独白した。
「……セリオに、浩之はもったいなさすぎる」
続く