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銀色の処女(シルバーメイデン)

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 「私にこれ以上、人に迷惑をかけさせないでください」……か。

 浩之は一人ベットに寝たままセリオの言葉を思い出していた。

 それがセリオ以外の口から出ていたのなら、浩之は鼻で笑ったかもしれない。

 ……おかしな文だよ、本当に。

 日本語が間違っているのではと思うような言葉だ。

 しかし、セリオが文法を間違えるなどということは絶対になく、その上に、浩之はこの言葉の 意味が分かっていた。

 セリオは、人に迷惑をかけたくないのだ。

 それ自体は想像に難くない。マルチも、浩之が手伝いなどをすると恐縮して、まず断ってくる ほどだ。もちろんマルチ相手なら簡単に言いくるめられるが、さて相手がセリオになると……

 メイドロボにとって、人に迷惑をかけるのはそんなに嫌なことなのだろうか?

 浩之も別段わざわざ他人に迷惑をかけようとは思わないが、こまったときには人の手を借りる こともできる。

 それとも、メイドロボ達にとっては人の手を借りること自体が苦痛なのか?

 セリオの言葉は、単なる好き嫌いでは言い表せない力がこもっていた。

 それを心の底から嫌がっているのが、浩之には手に取るように分かった。

 それはつまり、浩之がセリオのため、そして自分のためにセリオをここに引きとめたことも、 心の奥底では嫌がっているのだろうか……

 経過がどうあれ、浩之の中では恋の炎は燃えあがっている。セリオに嫌と言われたぐらいで消えて しまうほど甘い炎でもない。それに、恋の経過を気にするものなどはいまい。

 だが、そことは別の、冷静な浩之は、いや、もしかしたら浩之の中の一番熱いその部分は、浩之に 何度も訴えてくるのだ。

 その一人よがりの行動が、セリオを苦しめてるんじゃないか?

 本当はセリオはここに残りたくなかったんじゃないのか?

 セリオは幸せなのか?

 考えてもきりのない話だ。実際、自分は心にたよった結果、セリオをここに留めた。それはもう 変更のできない事実だ。

 だが、後悔を一つもせずにそのままいられるほど浩之は人間離れしていなかった。

 浩之は、何があっても結局のところ、人間なのだ。

 だから、これから自分を襲うであろう『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』 を恐れないこともできない。

 恐い、精神病は確かに恐い。しかし、その恐れという烏は、浩之をついばむことはできない。

 浩之にとって大切なのは、セリオだ。もちろん自分のことも考えてはいるが、全てはセリオに 幸せになって欲しいのだ。

 愛する人の幸せを願って何が悪い。

 それを実現するために、浩之はナーバスになるしかなかった。

 セリオは、おそらく一人キッチンのイスに座り悩んでいるだろう。それを分かっても俺はセリオを ここに置いたのだ。

 だが、彼女を完全には助けることができない。

 自分の手をにぎっている間、セリオは幸せだと口にする。それが嘘なのか、本当なのかも 浩之には分からない。

 分かるのは、浩之自身は悩んでいて、おそらくセリオも悩んでいるだろうということだ。

「私にこれ以上、人に迷惑をかせさせないでください……」

 浩之はそれを口にして、妙に腹立たしくなった。

 何故彼女達は「甘える」ことができなのであろう。

 それはプログラムなのか? それとも、彼女達の選んだ道なのか?

 ……違う、何も人間は人間になりたくて人間になったわけではない。人間のような心を持ちたくて 人間のような心を持っているわけではない。

 人間は、人間だから人間でしかないのだ。

 メイドロボも、メイドロボだからメイドロボでしかないのだ。

 変われないのだろうか、それは。せめて、愛する人に甘えるぐらいの妥協、してもいいのに。

 浩之の中に渦巻くのは理不尽な怒りだ。人間が人間であることの怒り、メイドロボがメイドロボで あることの怒り。そして一番大きいのは……

 自分が、セリオを救えない怒り。

 手をのばせば、自分の手をつたわる血が彼女に血を流させる。本当に、嫌になるくらい非常に よくできた拷問器具だ。

 それは浩之に対しては、一番効果のある拷問だ。

 しかしその危険なものを目の前にしても、浩之は足を止めるわけにはいかないのだ。

 もう浩之自身、一度触れてはいけないという禁を犯して、彼女に触れてしまった。

 それは、自分自身と彼女、両方が血を流してもいいという覚悟の上の行動だ。

 だが、それは当然痛みをともなう。それも両方のだ。

 心の端では思っているのだ。どうせ傷つくのなら、いっそのこと深く深く抱きしめあって、 傷だらけになりながら、お互いに血の涙を流しあいながら一緒にいる方がいいのではないか。

 だから、今下に降りて、セリオを自分の部屋に連れてくるべきではないのか。

 メイドロボの身体がそういう行為のできるものかどうかは分からないが、もしできるのならそれ を、できなくとも手を握って一緒に寝ることぐらいはできるのではないか。

 しかし、浩之でもまだ完全には覚悟できないでいるのだ。

 おそらく人間では「優れている」部類に入るであろう浩之の心さえ、セリオが、愛する者が傷つく という異常に耐えれるような力を持っているわけがないのだ。

 そういう意味では、自分にできないことをセリオには求めようとしているのだから、矛盾して いるとも言えないでもない。

 それだけ覚悟のいることだ。生半可な覚悟では動くことすらままならない。

 しかし、それでも、いつかは浩之はそうするだろう。傷つくなら、大も小も同じ。しかし、一緒 の時間を過ごすのなら、そして愛をまた確かめあうのなら、それは大きく、深い方がいいに決まって いる。

 浩之は、今は悩んでも、いつかはそう開きなおる。浩之の今までの人生が、彼にそう教えるのだ。 止まっていても仕方ないと。

 無責任な人生? いいや、それは素晴らし人生。浩之は、最後の決断の瞬間、自分で最後の決断 をできるだけの人生を歩んできたのだ。

 それはあかりとのことなのか、他のことなのか今となっては知る術もない。

 だが、彼は選んだ。セリオと一緒に傷ついていく日々を。

 それでも、浩之がまだ眠りにつけないのは、傷ついている証拠に他ならないのだ。

 二階に上がる前に飲んだホットミルクの甘味と暖かさは、それでも浩之に心地よかった。

 

続く

 

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