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銀色の処女(シルバーメイデン)

65

 

 浩之は、自分の家の前で大きく深呼吸をした。

 チャイムを押せば、きっとセリオが出てきてくれるだろう。出てきてくれるはずだ。

 そう、それは「はず」でしかないのだ。

 この扉の向こうの空間から、セリオが消えてしまっているのではないかという思いが、意味 不明に浩之を悩ますのだ。

 ただでさえ調子のよくもない身体が、動悸を速める。家を出る前はあんなに嫌になるほど 調子のよかった身体は、ここに来て帰宅を嫌がってるようにも思えた。

 浩之は、胸を押さえ、その動悸を必死に押さえながら、チャイムを押した。

 ピンポーンというチャイムの音が、浩之には緊張感がないと言うよりも、不謹慎なほどに 軽く感じられた。

 少し間を置いて、ガチャッと扉が開いた。

 家の中から出てきたのは、当然無表情のセリオだった。浩之は、内心で何故かほっとした。

「ただいま、セリオ」

「お帰りなさいませ、浩之さん」

 セリオは、よどみなくそのセリフを言った。まるでもうそう答えることが最初から決まっていた かのように、否、それは決まっているのだ。

 セリオはメイドロボ。主人が帰ってきたときに言う言葉は当然決まっている。

 ……何を考えてるんだ、俺は。

 浩之は、頭痛とその自分のおかしな考え方に眩暈を覚え、頭を押さえた。

「浩之さん、どうかいたしましたか?」

「……いや、何でもない」

 浩之は、気を取りなおして靴を脱いであがる。セリオは、それをまるで主人に仕えるメイドの ように見守っていた。

 それが、どうしても浩之を落ちつかせなくするのだ。

「セリオ、長瀬のおっさんには電話したのか?」

「はい。浩之さんが帰宅したら一緒に来て欲しいとのことです」

「やっぱり、その怪我を治すのはここじゃ無理か?」

「はい、外皮も破けてしまっていますし、やはり研究所でないと無理だそうです。ただ、治すには そこまで時間はかからないそうです」

 浩之は、そのまま2階に向かいながら答えた。

「だったらすぐ着替えてくるから、急いで研究所に行くか」

「何かご予定でも入ったのですか?」

 妙に急いでいる浩之を見て、セリオは疑問に思ったようだ。

「ん、ああ、ちょっとな」

「分かりました。それと、朝にあかりさんは家を訪ねてきませんでした」

「ああ、知ってる。あかりはどうも風邪でもひいたみたいで、学校休んだぜ。これからセリオの 治療が早く終ったら見舞いに行くつもりだ」

「それでしたら、研究所に行く前に行ってもよいと思いますが」

「いや、別にそんなに大した病気でもなさそうだし、そこまでしないでもいいだろ」

 だいたい、もしあかりに何かあれば、まず最初に自分に連絡が入るだろうと浩之は思っていたし、 あながちそれは間違いでもないだろう。

「私はかまいませんから……」

「セリオ」

 少しきつい浩之の言葉に、セリオは口をつむいだ。自分でも、何故浩之が声を荒げたのかは 分かっているのだ。

「あかりは心配することはない。今は、セリオのその傷の方が心配だ」

「私は……痛みを感じることはありませんので」

 セリオは、とっさに嘘をついた。浩之が何を気にしているのかも理解した上でだ。

「いいから、今日は研究所に行く。それで、その傷を治してもらおう」

「はい……」

 しかし、理由が分かっているからこそセリオの歯切れも悪くなってしまう。

 浩之は、セリオが「メイドロボだから」と理由を出すのが嫌なのだ。浩之はセリオを、同等の 相手として見ようとしているのだ。それなのに、当の本人のセリオが溝を広げるような行動を取って しまっては駄目にきまっている。

 しかし、それは容易に治せるものではないのだ。セリオは、確かに浩之を愛してしまった。 それは自分を相手より下だと思っていてできるものではない。

 だが、その意識を徹底するとなると、そんなことは現段階ではできそうにもなかった。まさに、 あの浩之がいたからこそ、奇跡的にセリオはメイドロボという壁を超えて、浩之を愛せたのだ。

 だから、それ以外のこととなると、どうしてもセリオは自分以外を優先させてしまうのだ。

 そうしてしまうことが、セリオにとっての心落ち着く行動なのだ。意識しても、そして 無意識であればなおさら、セリオはメイドロボとして行動してしまう。

 浩之が階段をあがっていく姿を見ながら、セリオはどうしようもない焦燥感にかられた。

 ……このまま、私はずっとメイドロボであることを捨てて生活を送らなければならない のだろうか。

 浩之を愛したことを後悔はしていない。自分などがという考えはどうしても離れてはくれない が、その思いがあっても、それは後悔できないほど、幸せなことなのだ。

 しかし、もし自分がこのままであったときに、浩之が鋼鉄病に侵される危険性が増えると 考えれないこともないのだ。そうなると、セリオは自分がそういう態度を押し通すことは、 ただのわがままを通り越して、浩之の身の危険さえ呼ぶかもしれない。

 そう考えると、セリオはやはりメイドロボであることを捨てないといけないのだろう。

 ほんの数分で、ドタドタと浩之が階段を駆け下りてくる。

「よし、セリオは準備いいか?」

「はい、いつでもかまいません」

 浩之は、セリオの包帯をまいた手に目をやって、片手で本当に軽くにぎった。そのいとおしい 者を包むような手に、セリオはほんの少しだけ落ちつきを取り戻す。

「セリオ……お前、痛くないって言ってたが、本当なのか?」

「え?」

 セリオはその言葉に、反射的に浩之の手から傷ついた手を引き抜いた。その衝撃で鈍い痛みが 走ったが、セリオは当然表情には出さなかった。

「メイドロボには痛みを感じる機能はありません。もちろん、そこが怪我をしているという 信号は当然送られてきますが、それも故障を見つけるためのものでしかありません」

 それこそが痛みなのだが、セリオは浩之にそれを知られるような愚は犯したくなかった。

 ……しかし、それなら何故浩之さんはそれを疑問に思ったのだろう。

 セリオの疑問は、すぐに浩之の口から明かされた。

「マルチが、倒れたら痛がってたぜ」

「それはマルチさんが特別で……」

「マルチに聞いたら、メイドロボなら誰でも痛みを感じるらしいな」

「……」

「マルチは人一倍頑丈ならしいが、それでも皮膚が破れるほどの痛みは耐えられないぐらい 痛いって言ってたぜ」

「……私は、メイドロボの中でも特別に作られていますから」

 セリオは、目をそらさなかった。嘘をついているときでさえ、セリオは目をそらすことは できないのだ。それが、メイドロボでなくなっても、セリオの、メイドロボとしての美点であり、 欠点でありつづけるのだ。

「大丈夫です、痛みは感じていません」

 それはよどみなく、確信を持った言葉だ。その嘘をつき通すことが、セリオにとっても、 浩之にとっても大切なことを、セリオは知っている。

「……セリオ」

 浩之は、セリオを引き寄せて、抱きしめた。少しでも、セリオの痛みがまぎれるように。

「分かったよ、セリオ。お前は、痛みを感じないんだな」

 そして、浩之はセリオの嘘を、嘘と知りながら真実のままにした。それが、今セリオを救う ことのできる、唯一の手なのだ。

「……はい」

 ばれていることが分かっていても、セリオも、その言葉に従った。

 しかし、その言葉とは裏腹に、浩之は優しくセリオの頭をなで、そしてセリオは浩之に身を まかせた。

 

続く

 

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