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銀色の処女(シルバーメイデン)

66

 

 セリオと浩之は、向かえに来た長瀬の車の後部座席に、2人乗っていた。

「世話かけるな、おっさん」

「いやいや、気にしなくてもいいよ、藤田君。どうせ君には私達の方からも色々と迷惑かける だろうからね」

 昨日の車と違うワゴンを運転しながら、長瀬はさらっと言った言葉を、浩之は当然 聞き逃さなかった。

「迷惑かけるって、どういうことだ?」

「おや、聞こえたかい?」

「聞き逃すかよ。おっさん、セリオのことはいいが、もしかして他にも俺に何か押し付ける 気じゃないだろうな?」

 長瀬は、最初からセリオのことを、言い方を悪くすれば浩之におしつけるつもりだったのだ。 もちろん、今となってはそれはいい。浩之は例え帰してくれと言われてもセリオを帰すつもりは まったくなかった。

 しかし、また別のことがあるのなら、話は別だ。

 浩之はこれから、セリオと自分の溝、つまりメイドロボと人間との間にある溝をうめるのに 全力を傾けるつもりなのだ。

 長瀬が持ってくると言うなら、それは絶対に無理難題に決まっているのだ。そんなものに かまっている余裕など、今の浩之にはない。

「生憎だけどな、俺はセリオ以外のことじゃおっさんの手助けも手伝いもしないぞ」

 それを聞いて、長瀬は作ったような笑いをする。

「はっはっは、そんなに警戒しなでほしいよ。大丈夫、私も君にはセリオ以外のことでは 期待も援助もしないから」

「何かそれも嫌な言い方だな」

 浩之はじと目で長瀬の側頭部を睨んだが、表情の見えない長瀬の言葉は、真面目だった。

「ただし、セリオのことに関しては、私のできる限りの援助をするつもりだ。研究という名目で 君にお金を払うことも少なくとも私が健在なうちは可能だ。なるべく早くセリオの所有権を君に 渡すつもりだ。何、大丈夫、私が会社をやめるまではお金は支払われ続けるから」

 長瀬にとっては、それぐらい当然のことなのかもしれない。セリオは、自分の娘のようなもので あり、絶対に幸せにしたい子だ。ならば、資金援助ぐらいは当然してくるであろう。

 まあ、父親に資金援助をしてもらう婿ってのも、少し情けないような気もするが……

「ご迷惑をおかけします」

 セリオは、抑揚のない声でそう言い、浩之と長瀬に頭を下げた。

「気にするな、セリオ。それに、俺の家にいることだって、まったく意味がないわけでもないん だろ、データを取ることに関しては」

「はい、それはそうですが……」

 セリオは、少し考えてから続けた。

「……確かに、メイドロボと生活をともにした者に起こる精神病、『鉄色の処女症候群 (アイアンメイデンシンドローム)』に関しての非常に重要な事例として、高い結果を生むこと になると思われます」

「あ……」

 セリオ本人から出たその言葉に、浩之も長瀬も押し黙った。

 浩之は、確かに迷惑をかけられるのだ。それを分かっていたから、直にではなかったが、長瀬は 「迷惑をかける」と言ったのだ。

 メイドロボを、対等に、本当に愛してしまった者が、必ずおかされると言う、精神病、 『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』。普通の実験に参加する人間は、その 存在をしらない。

 しかし、浩之はその存在を知った上で、さらにその理由まで仮説をたててみたのだ。そんな 人物が、この実験に参加することは今まで事例のなかったことだ。

 どうしようもないはずの、今まで理由さえつきとめられなかった鋼鉄病が、もしかしたら 解決できるかもしれない。長瀬がもしこの話を研究所内でしたのであれば、そう思った者も少なく ないのではないだろうか。

 言わば、浩之は、メイドロボにとっても、研究者達にとっても、希望の光なのだ。

 そして、それが希望の光であればあるほど、セリオにとっては、非常に不安な、恐ろしいこと なのだ。

 いつ浩之が鋼鉄病によって苦しむか分からない状況。もしかしたら、今は自覚症状がないだけ で、浩之の心はすでに病魔に蝕まれているかもしれないのだ。

 それが、どれだけセリオにとって辛いことか。彼女達は、彼らの流す血によって、赤い涙を流す のだから。

 それを自分から口にするセリオは、やはりどこまで行っても、メイドロボなのかもしれない。

 それを自覚して一番苦しいのは、セリオ自身なのだから。

「ですので、浩之さんが来栖川重工からお金をもらうことは正しいことです。浩之さんは、それだけ の実験の有用さと、リスクを背負うのですから」

 そう、浩之はリスクを背負っている。冗談ではすまないほどのリスクだ。お金ぐらいの援助では 到底意味をなさないほどの。

「本当に、ご迷惑をおかけします」

 セリオは傷で非常に痛むはずの包帯の巻かれた手を、キュッとにぎりしめた。顔に表情は出なく とも、やはりセリオは感情を抱いているのだ。

 どうしようもないやるせない感情を。

「セリオ、気にするな。俺は自分で選んだんだ。それに、鋼鉄病にならないように努力するのが、 俺の役目だろ?」

 メイドロボを本当の意味で同等として扱えたなら、浩之の考えたことが理由なら、鋼鉄病は 消える。そして、おそらく浩之は、同じ境遇の人のために人生を費やすだろう。

 いや、違う。浩之は、人間のためにではなく、メイドロボのために一生をかけることになる のだろう。

 だが、その道は険しい。それに、本当にそれが有効かどうかもまだ分からない、手探りの 状態だ。

 まだ、本当に鋼鉄病が解消されるかどうかさえ分かってはいないのだ。

 しかし、結局、その問題が解決しない限り、浩之もセリオも絶対に不幸になると決まっている のだ。その全てを理解した上で、その道を選らんだとしても、それはつらいことだ。

「だから、セリオ。絶対に、俺のそばから離れるなよ。俺は、お前と一緒にいたいんだ」

「……はい、ありがとうございます」

 いつくじけてもおかしくないセリオのその人間よりも優れた心を支えるのは、浩之の、人間の メイドロボに劣る心。

 長瀬は、それにかけてみたいのだ。不幸に足を踏み入れるからこそ、幸福を手に入れれることを 本能で知っている、この浩之と言う少年に。

 そう、まったく他意はないのだ。本当に、セリオのことだけで迷惑をかけると思っただけだ。

 浩之が、そう望んだとは言え、他人から見てさえ非常に苦痛に満ちた道だったから。

 3人の乗ったワゴンは、研究所の敷地内に入っていった。

 

続く

 

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