銀色の処女(シルバーメイデン)
「っあつ!」
あかりは、ホットミルクに口をつけて、熱さですぐに口を離した。
「舌やけどしちゃった」
あかりは、ホットミルクに息をふーふーと吐きかけながら、志保を見た。
志保は、何かに気をとられているのか、ボーッとしてテーブルの上に置かれたコーヒーを見て いた。
「……志保?」
「……えっ? あ、ごめん、何?」
志保は、あかりに呼びかけられて、はっとして笑顔を作って答えた。
「どうかしたの、志保?」
「べ、別に、どうもしないって」
志保は少し演技も交えてカラカラと笑った。そのまま普通に答えた場合、あかりには自分が 何か隠していることがばれてしまう危険性も大きかったからだ。
あかりは、首をかしげながらも笑った。
「あ、志保ってコーヒーのブラックは飲めなかったっけ?」
「え、う、うん、まあ、あんまり苦いのは得意じゃないけど」
たまたまあかりの方から話題をそらしたので、志保はすぐにその話に乗った。
ごめんあかり、やっぱり、すぐには話せない。
志保は、心の中で謝った。
今そんなことをすれば、あかりの心身にかかる疲労は並大抵のものではなくなるだろう。 こんなときに話すべきものじゃないのだ。
しかし、志保自身にも、それが言い訳ののようにしか思えなかった。
今、ヒロがあのメイドロボに心奪われているのを知っているのは、あかりではなくて私。 だったら、一歩自分があかりよりも抜きん出ているとは思えないだろうか?
それをまったく自分の役にたてずに、あかりに教えてしまうのは、もったいなくないだろうか?
あかりに譲らなくても、自分の手で、どうにかできないだろうか?
つまり……
ヒロの心を、私が奪うこともできるんじゃないのだろうか。
だったら、なおさら……なおさら、あかりに教えないわけにはいかない。
それをするつもりなら、最初からヒロをあかりのお見舞いに行かそうとしたりもしないし、 当然ここにも顔を出していない。
でも……私は、あかりに教えることを躊躇している。
志保は不器用なのだ。あかりのことを気遣ってのことであっても、違うことに、しかも自分を 責めるようなことに行き着いてしまい、心を痛める。自虐的、というにはほど遠い性格ではあるが、 やはりそれは不器用な所以だろう。
志保自身は気付いてはいないが、結局、この場面であかりのことを考えるなら、それを教えた 方がよいのだ。志保は不器用なので、その結論に達するまでに、少し長い時間を要するという だけだ。
志保は、色々思いをめぐらしながら、砂糖もミルクも入れていないコーヒーに口をつけた。
「あ、志保……」
あかりは何か言おうとしたようだが、志保はそのままコーヒーを飲んだ。一口飲んでから、 志保は、ゆっくりとそのカップを口から離した。
「……あつ」
他人事のように言ったが、コーヒーはかなり熱かった。
「やっぱり、だから気をつけないといけないよって言おうとしたのに」
「言うのが遅いわよ」
そう言って、二人は顔を見合わせて笑った。
「あれ、でも、苦いのは嫌いじゃないの?」
「何事もチャレンジ……と思って飲んでみたら、舌やけどいたわよ」
まさか考え事をしていたなどと正直に言えるわけもなく、志保はとっさに冗談を口にした。
「お味は?」
「熱くてわかんなかった」
また二人はクスクスと笑った。浩之とあかりの付き合いほどは長くなくても、志保とあかりは 長い付き合いの親友だ、掛け合いは慣れたものだ。
しかし、この関係になれたのも、やはり原因は、ヒロにあったのかも。
一番の悪友で、親友の好きな相手で、私の……
私の?
志保は、すぐには心の中でさえそれを言うことができなかった。
志保自身も、自分を器用な人間とは思ってはいなかったが、そういう微妙な立場が、自分という ものを、あかりや浩之との関係も含めて、作ったことをよく分かっている。
これで、きっとヒロがいなければ、あかりとは友人ではあっても、親友ではなかっただろう。 あかりと出会わなければ、きっとヒロとは出会ってさえいない。
そして、もしあかりと出会うことなくヒロと出会っていたら……
志保は、そういう微妙な立場にずっと甘んじているのだ。いや、そここそが、志保の本当の 居場所なのかもしれない。
私の……好きな人で、決して手に入れることができない相手。
だったら、当然ヒロはあかりとくっつくべき。じゃなかったら、私が身を引く意味なんて、 全然ないじゃない。
そんな、わけもわからないメイドロボなんかに、その場所を譲るほど、私は善人じゃない。
これはあれだ、ジレンマというやつね。ヒロをみすみすメイドロボなんかに渡す気は全然ない けど、私が手を出すわけにはいかない。私は、ヒロにはあかりとくっついて欲しい。それ以外に、 自分を納得させる方法なんて思いつかないから。
志保は、自分の考えに、ため息をついた。
結局は、あかりにこれを教える他に方法がないじゃないの。
自分が少なくとも直接的には手を出せないこの状況で、頼れる唯一の、そしてまかせてもいい 唯一の者は、あかりなのだ。
「ねえ、あかり」
「何、志保?」
あかりにはまったく表情の変化はない。しかし、この子なら、私が少しおかしいことぐらい、 とっくの昔に気がついているのかもしれない。
「……あかりに、言っておきたいことがあるんだけど……」
「浩之ちゃんのことだね」
あかりは、顔の表情を崩さないまま、まるで予測していたように言った。
「……何でそう思うの?」
「今日の志保、変だったから。志保が変な理由は、浩之ちゃんのことしかないと思うから」
やはり最初から気付いていたのだ。まあ、だからこそ、志保とあかりは親友なのだ。
「なんか言い方がむかつくけど、その通りよ。ヒロは……」
志保は、それを口にしながら思った。分かっていることでも、口にすると、いっそう嫌なもの なのだと。
「ヒロは、あのメイドロボのことが好きなのかもしれない」
志保は、それを口にするときは、あかりから目をそらした。彼女は、メイドロボではなかった から。
続く