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銀色の処女(シルバーメイデン)

70

 

 浩之の射すくめるような声に、まわりの音がまるで消えたように思えるほどだった。

「おっさん、あんた、俺が『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』になることを 知ってた上で、俺の家にセリオを送ってきたのか?」

『……』

 その浩之のまるでメイドロボのようにますぐな視線に、長瀬はすぐには答えなかった。

『もしそうだったら……君はどうするね?』

 すぐに答えることを避けたことによって、答えはおのずと出た。

「……てことは、やっぱり分かってたんだな」

 長瀬は、ため息をついて、しばらく考え込んだ。その質問が来ることを、まったく予測して いなかったようだった。

『君が鋼鉄病にかかるかもしれない、ということだったら、もちろん分かっていたことになるね。 君がセリオのことをどう思うかは私には分からなかったが……』

 鋼鉄病はあくまで人がメイドロボを愛することによって生まれる症状であり、そういう意味では 浩之が鋼鉄病にかかる可能性は長瀬にとっては半々、いや、それ以下だったろう。

 だが、可能性という面を考慮しても、長瀬は完全に浩之が鋼鉄病にかかることを意識して いなかったわけはないのだ。

「まあ、予想はしてたけどな」

 浩之の責めるような声にも、長瀬はあわてず、いつもの少し間の抜けたような口調で答える。

『君が怒るのはもっともだが、こっちも必死だったし、セリオのとこを思うと残念ながら藤田君の ことまであまり気を使うことまでできなくてね』

 いいわけをする長瀬を、浩之は手で制した。

「いや、あんまり気持ちいいもんじゃないが、このさい俺が『鉄色の処女症候群(アイアンメイデ ンシンドローム)』にかかるかどうかは問題じゃない。俺はセリオが俺の家に来たことを、今でも うれしいし、それについてはおっさんに感謝こそすれ、文句をつける気はこれっぽっちもない」

『だったら今更何故そんなことを?』

「問題は、おっさんがセリオがそれによってよけいに苦しむことも自覚してたのかってことだ」

『……』

 今更、浩之は自分が鋼鉄病にかかることは覚悟していたし、それはもう仕方ないことだという ことは分かっていた。それについては後悔していないし、それについて長瀬に文句を言う方が 筋違いだと思っているほどだ。

 ただ、浩之が苦しめば、それはセリオが苦しむことにも直結するのだ。

「俺が病気におかされれば、セリオも同じように苦しむ。おっさん、あんたは、そこまでの考えが、 いや、その覚悟があって俺にセリオを任せたのか?」

 しかし、長瀬の言葉は、あまりはっきりとしたものではなかった。

『……その覚悟なくして、娘を君に任せると思うかい?』

「そこまで気が回らないこともあるかと思ってな。娘の幸せを考えすぎて、他のことに気が回ら なくなる父親もいるってことだ」

 しかも、今回の娘は、普通に生活させればほぼ間違いなく不幸にしかならないであろう娘。 父親としては必死だったはずだ。それこそ、相手の男の病気や気持ちなどにかまっていられるような 余裕はないはずだ。

「おっさんは、わかってやってきたのか?」

『心配ない、それぐらいは分かってやってきたよ。それに、どうせ早かれ遅かれ、セリオにほれる 男の一人や二人ぐらい出てきて当然だったからね。もう昔から覚悟はしておいたよ』

 覚悟するのと、あきらめるのはまた違う話だ。長瀬にとってはどうやっても避けることのできない ことだったので、覚悟はしていたのだろう。

 だが、あきらめる気がまったくなかったからこそ、長瀬はセリオを浩之にまかせ、自分もできる 限りの援助をすることにしたのだ。

『もっとも、その苦しみから娘達を解放するために、君にこうやって実験台みたいなことをやって もらっているんだけどね』

「それについては、気持ちは良くないがやってやるよ。俺とセリオのためにな」

『そう言ってくれると私としてもやりやすい。しかし、今更何故そんなことを聞いてきたんだい。 君にその覚悟があるなら、今更のような気もするが……』

「もう一度確認しときたかったんだよ。おっさんの覚悟も、そして俺の覚悟もな」

『それは……』

 浩之は、何とも表現しづらい表情で、笑った。

「この検査で、俺の病気の進行具合が分かるんだろ?」

 変な話ではあるが、自覚症状がないのなら、まだ『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンド ローム)』の恐ろしさは自覚できない。むしろ、今ならまだ引き返すことも可能なのかもしれない のだ。

 だが、病状の進行具合を聞いた後では、きっともう後戻りはできない。浩之はそれをじわじわと 感じ始めていたのだ。

 一度病魔におかされたのなら、浩之は当然もう後ろを振り返る気はない。そんなことをして しまったら、自分の身をかける意味がなくなるからだ。身を削るからには、浩之はただで終わる気は 少しもなかった。

 それだけの覚悟が、自分に本当にあるのか。そして、長瀬もその覚悟を本当にしているのか、 それを、今一度浩之は確認しておきたかったのだ。

 長瀬に訊ねたのは、まったく同じことを自分も覚悟しているのかどうか知りたかったからに 他ならない。

『覚悟は、できたのかい?』

ことながら苦笑した。

 それを聞いて、浩之は自分の

「今さら覚悟も何もないわな。俺はもう昨日完全に覚悟したんだぜ。自分で意味ないこと してると思ったぜ」

 強がり、というものではなかったのだろう。浩之にとっては、本当にそういうことなのだ。 自分が思う以上に覚悟していたことを自覚していなかっただけだった。

 そう、浩之にとっては、覚悟など日常茶飯事なのだ。

『では、診断の結果だが……』

「おっさん」

『何だい、藤田君?』

 浩之は、別に何も気負うことなく、まるで横のものを取ってもらうような気楽さで長瀬に 言った。

「嘘の診断結果言うなよ」

 それは、本当に浩之が覚悟している証拠だと長瀬には思えた。

『……わかったよ。本当のことしか言わない』

 長瀬は、静かに言った。スピーカーから流れてくる長瀬の声は、はっきりと浩之の耳の中に 入った。

『わずかだが、君には『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』 の兆候が見られる』

 

続く

 

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