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銀色の処女(シルバーメイデン)

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『わずかだが、君には『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』の兆候が 見られる』

 浩之の言った通り、長瀬は嘘をつかなかった。

「そうか……で、どんな症状が出てるんだ?」

『胃も少し荒れているし、熱も少しあるようだ。脈も安定していない』

「おいおい、それって……」

 浩之はその診断結果を聞いてあきれた。長瀬が口にする症状は……

『そう、普通は精神不安定や体調不良で済ませられるぐらいの診断結果だ』

 それを聞いて、浩之はさらにあきれた。重い精神病にかかると聞いていたので、その程度の 症状だとは思っていなかったのだ。

「んなこと言ったら、昨日はセリオのことが気になってよく眠れなかったが、そのせいで体調不良 なだけなんじゃないか?」

『その可能性もある』

 長瀬はしれっとした顔でそう言った。

「『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』なんてたいそうな名前だが、実は あんまり怖がるほどのものでもないんじゃないのか?」

 体調不良も、確かに長い時間続けばそれなりに堪えるものではあるだろうが、定期的な検査と 治療で、どうにかならないものではないような気もした。

『いや、怖いのは確かだ。鋼鉄病は、並の難病など相手にならないぐらいね』

「それよりもそうやって患者を怖がらせる方が問題じゃないのか?」

 精神病の多くが『思いこみ』なのだから、症状は軽いと説明しておけば、ほとんどは軽い病状で 済むのではないだろうか。

 しかし、浩之の素人考えは、ここでは通用しないようだった。

『君の症状は初期の段階であるし、まだ自覚症状も出ていない程度のものだが、この病気には続きが ある。それこそ永遠にね』

 長瀬の表情はおどしでも何でもないと言っていた。

『今の君の症状のように、あまり重度でない、本当に調子が悪い程度の症状から、社会生活が いとめなくなるほどの重度の症状まで、程度にはもちろん幅がある。むしろ、程度で言えば軽度の 患者がほとんどかもしれない。症状だって、今の臨床心理学でも、それなりに改善することが可能だ。 だが、問題は、ほぼ間違いなく完治しないということだ』

「完治しない、か」

『自分の愛したメイドロボを捨てるまでね』

 それはきっと浩之にはできない。メイドロボを捨てる、という方法での鋼鉄病の回避を、浩之が するつもりなら、最初からこんな場所にはいない。

「俺にはできない話だな」

『私も君にそんなことができるとは思っていないよ。いや、君でなくとも、普通の男にはそんな ことはできない。何せ彼女達はほとんどの男にとって理想的だ。よくつくしてくれるし、若いまま 年を取らない。問題は、子供を生めないことだろうが、これもまあ……婦人団体からはどう言われるか 分かったものではないけれど、男としてはそっちの方がいいかもしれないぐらいのことだ』

 メイドロボを愛するときに、子供ができないことを気にする人はほとんどいない、長瀬はそう 話を続けた。生物としては、すでに狂いかけているのかもしれない、とも。

 浩之は、もちろんセリオとの間に子供が生まれればうれしいが、その程度のことでセリオを嫌い になったりしないのも確かだ。いや、この『その程度のこと』がすでに生物的に狂っている証拠 なのかもしれない。

『このままなら、私は人間の絶滅に一役かった有名人になるかもしれないねえ。いや、そんなことは どうでもいいね』

 そう、そんなことはどうでもいい、浩之も長瀬も、同じように考えていた。

『メイドロボは、昔のはいざしらず、今の最新機種なら、メンテナンスさえしておけば50年は 持つ。データを保存さえしておけば、それこそ永遠にね。一度メイドロボを愛すれば、一生彼女達は ついてまわる。いや、一生、一緒にいてくれると言った方がいいね。まだ実験を始めてそんなに月日が たったわけじゃないので、これからどうなるかは分からないが、現段階においては、一人も完治した 者はいない。そして……半分以上が、時間がたつごとに悪化している』

「これで終わりじゃないってわけか」

『そう、これはまだ初期症状にすぎない。メイドロボを愛した者は、その愛情が大きければ大きい ほど症状の悪化も激しいものとなる。君の場合は、間違いなくひどい状態まで悪化するだろうね』

 分かっていても、長瀬はそれを止める気はなかった。メイドロボのためになら鬼にもなると 決心しているのだ。それに、被験者である浩之自身も、決心しているのだ。今さら自分が止める べきことではない。

「……ちょっと気になったんだが、一応実験で何個も同じようなケースがあったんだろ?」

『ああ、そうだが』

「だったら、実験の終了を宣告して、無理やりメイドロボを返してもらったこともあるんだろ?」

『もちろん、その結果もある。対象の被験者の半分がメイドロボをつれて行方をくらまし、無理に 返してもらった残りの半分は、7割が精神病院、3割が重度の自閉症などの症状が出て、社会生活に 支障をきたしている。そして……一人自殺』

 長瀬は、やりきれないという口調でそれを口にした。

「……」

『自殺者を出した時点で、メイドロボを返してもらうという実験は中止した。外的要因でメイドロボ を離しても、悲劇しか生まないことが分かったからね。もうこんな犠牲者を出す実験は続行することは できなかった』

「だが……精神病で苦しむ患者はこれからも増えるんだろ?」

『犠牲者という面では……まだこれから多くの犠牲者を出すだろうね』

 長瀬は、何の感慨もなさげにそう言った。長瀬は極悪人ではないのだろうが、少なくとも人道主義 ではなさそうだ。

『しかし、人間は、もうメイドロボを、そう、人工人格を持つロボットを捨てることはできないよ。 少なくともこの日本ではね。そして、宗教や道徳、経済の摩擦や弾圧があろうとも、メイドロボは 世界に広がる。だったら、聖人でも善人でもない私は、一研究者として、そしてメイドロボ達の 一人の父親として、彼女達の苦痛を取り去ってやることが、一番いい選択だと、自負している』

「犠牲者を出しながら、か」

『否定はしない。実際、多くの被害者を出してきたし、これからも出すことになるだろうからね。 そういう意味では、未来には私は重罪人として死刑にあうかもしれないが……何、その覚悟は遠い昔に 済んでいるさ』

 被験者として、かなりの確立で被害にあうはずの浩之は、それでもこの長瀬をうらもうとは 思わなかった。仕方ないのだ、浩之も、自分でセリオを愛してしまったのだから。

『でも、君の程度で言うなら、予想よりもはるかに症状が軽い。やはり君は普通の人間とは違う のかもね』

「よしてくれよ、おっさん。これからなんだろ、全部」

『ああ、これからだ。メイドロボ達が助かるか、そうでないかは』

 人間が、と言わないことこそが、この長瀬の全てを表しているようにも浩之には感じられた。

 

続く

 

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