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銀色の処女(シルバーメイデン)

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「ほんとに大丈夫ですか、セリオさん」

 マルチは、ハラハラしながら心配そうにセリオに話しかけた。

「はい、大丈夫ですよ、マルチさん」

 セリオは、それとは対照的に表情も変えずに答えた。

 2人のことをよく知っている人物からすれば、それは滑稽にも見えるが、本当によく知っている 人物からすれば、それはやはり正しい2人のあり方なのかもしれない。

 他の者ならともかく、マルチならセリオが外装の皮膚が切れて中が見えるほどに傷ついたのが、 どれほど痛いことかぐらいはよく知っているはずだ。同じように、マルチにそれを知られていること ぐらい、セリオはよく分かっているはず。

 しかし、一方は分かりきっている質問をし、一方はそれに完全に嘘だと分かる返事を返す。

 その様子は、非常に滑稽であり、しかし、やはり非常に納得のいくものであった。

 セリオの左手は手首から先は今は外されている。換えのスペックが届くまで、前までセリオが マルチと一緒に待機していた部屋にいるのだ。

「でも、あんな見たこともないようなひどい傷……」

 マルチはまるで自分のことのように泣きそうになっていた。

「大丈夫です、マルチさん。私は普及型とは違って、実験用なので多くの部位が取り外し可能に なっています。このように、取り外してしまえば、機能的に痛みは感じなくなります」

 セリオはこれに関しては嘘は言っていない。確かにセリオはなるだけパーツを減らそうとした 普及型と比べれば、非常に多くのパーツから構成されており、取り外しのできる部分も多い。ただし、 それは人工皮膚の中の話であって、取り外すためには、当然その人工皮膚を切らなくてはならない。

 取り外しができる、と言っても、外せるようになっている部分はほとんど決まっているのだ。 手首は稼動部分なので、普通の場所よりも頑丈に人工皮膚のコーティングがされているほどであって、 当然取り外しができる場所ではない。

 後からまた研究室の中で取り外しが可能な部分から、もう一度人工皮膚をつけなおさなければ ならないのだが、それまでの間、セリオはマルチと話がしたかったからここにいるのだ。

 痛みから言えば、睡眠モードに入って痛みを感じなくしてしまう方がいいに決まっているが、 セリオも研究所に何度も顔を出すわけにはいかないので、その限られた時間に、マルチと話をして おきたかったのだ。

「私の傷はいいですから、マルチさん。話を聞いてくれますか?」

「は、はい、もちろんいいです」

 マルチはどこか改まったセリオの口調に気付いたのか、自分もすこし緊張しながら答えた。

 セリオは、巧妙、というほどのこともしていないが、この部屋からは今人払いをしている。 今からする話は、メイドロボにとっては、本当の秘密だからだ。

 セリオは、マルチに向き合うのに、少しばかりの勇気が必要だった。セリオは、心配なのだ。

「マルチさんには改めて言います」

「はい」

「私は……浩之さんの家に住むことになりました」

「あ、それは主任からも聞いてます〜」

「いえ、そういう意味ではなくて」

「はい?」

 マルチは、何の疑問も持たない表情でセリオを見ていた。マルチも他のメイドロボと変わらず、 話すときは人の目を見る。2人が目をそらして会話することなどない。だが、セリオは、今だけは 本当は目をそらしたかった。

 マルチが本当に優しいことは十分にわかっていて、自分の今から言うことにも、笑顔で答えて くれるだろうことは想像に難くないのだが、それでも、セリオは不安になるのだ。

 それが、メイドロボの生きる理由だから。

「私は……おそらく一生、浩之さんの家に住むことになると思います」

「それって……」

 それを聞いて、マルチの表情がパアッと明るくなる。

「セリオさん、ご主人が決まったんですね!?」

「え、あ、いえ……」

 セリオは言葉を濁してしまったので、マルチはそのまま一方的にセリオの右手を握って握手を した。

「よかったです、ご主人様が決まって。それも、そのご主人様が浩之さんなんて、理想ですね」

 マルチは、それがまるで自分のことのように喜んだ。メイドロボにとって、主人がいるという ことは幸福以外の何者でもない。特に、マルチやセリオは実験機で、基本的には「ご主人様」に仕える ことは不可能だろう位置にいるのだ。

 そしてマルチは、それをうらやましいと思うよりも先に、喜んだ。マルチには嫉妬などという 言葉はない。純粋に、セリオのことを自分のことのように喜べるのだ。

 それは当然セリオにも分かっていることだ。

 セリオが悩んでいるのは、そこではない。セリオだって、同じ状況なら間違いなくマルチの ことを祝福したろう。主人を持った方が負い目を感じることはあるだろうが、それはそんなに大きな 不安とはならない。

 ただ、今はマルチが思い違いをしているから喜んでいるのだ。いくらマルチでも、今からセリオ が口にする真実を聞いて、それでも笑顔で送ってくれるかどうか、不安になるのだ。

「いえ、そうではないんです」

「え?」

 本当に自分のことのように喜んでいたマルチを、セリオは止めた。

「そうではないのです」

「そうではないって……どうしたんですか、セリオさん?」

「私は……」

 セリオは、唇をかんだ。

 このまま、真実をつげないままでもいいのかもしれない。だが、それではここに来た意味が ないし、何より、セリオはマルチにだけは言っておきたかった。

 自分の、親友であり、姉妹であるマルチにだけは。

「私は……」

 マルチは、不思議そうな顔でセリオを見ていた。何の疑いもない瞳。しかし、その目には負の 感情は少しもない。マルチがメイドロボとして誕生してから、一度たりとも。

「私は……浩之さんを、主人としてではなく、愛する人として考えています」

「……え?」

 マルチは、その笑顔のまま表情がかたまった。マルチがいかに楽天家で、疑うことを知らない メイドロボであっても、メイドロボという枠からは、やはり抜け出してはいないのだろう。

 いくら、マルチが心を持っていると言われていても、それだけは。

 セリオは、もう一度、はっきと言った。

「私は……浩之さんを愛してしまいました」

 

続く

 

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