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銀色の処女(シルバーメイデン)

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 浩之は、正直に言えば疲労困憊していた。主に肉体的にというよりも精神的にだが、昨日の夜 もあまり心地よい睡眠ができなかった上に、色々な疑問や疑惑が、浩之の健康な精神を蝕んでいた のだ。もちろんその中には、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』の影響も 含まれているだろう。

 そして、いかに深刻な表情を作ろうと、浩之は精神的に休養を求めていた。つまり、今日は早く 寝てしまいたかったのだ。

 どんなにその問題が大きかろうが、それを無視して疲れたら休める、その非常に無神経な精神が、 浩之の頑強な意識を形成しているのだ。

 だから、今日はあかりの見舞いには行かないでもいいかと思った。いや、実際、行くつもりは なかったのだが……

 ……そういや、後で志保がうるさいか……

 浩之だってあかりが1日休んだ程度ではうろたえたりはしないし、別にそれでわざわざ見舞いに 行くこともないとも思ったが、あの志保の姿を見ていると、見舞いに行かないわけにはいかないかと 思ってしまう。

 あんなに必死な志保、久しぶりに見たぜ。

 志保は、何事もむきになる性格ではあるが、それとは裏腹に、本当に必死になったりはしない。 どこか遊んでいる感情が抜けない、悪い意味での現代っ子の部分がある。

 しかし、何故か今回だけは、志保は必死だった。見舞いに行かないと言う浩之を悪人扱いまで しているのだ。

 やっぱり、志保もあかりの親友なんだな。

 浩之は、そこでそんなことを感心してみたりした。その必死な志保をたてて、今日はあかりの 見舞いに行っておくべきかという気にもなっている。

 ……まあ、実際たいしたことはないんだろうけどな。

 もし急性肺炎とか、危ない病気なら、あかりの母親、ひかりは浩之に連絡を取らないことはない と思っていた。あかりとは兄弟同然、親があまり家にいない浩之にとっては、一番近い親類のような ものだ。それは、おそらく向こうも同じである可能性は高い。

 浩之は、休息を求める体を動かした。

「セリオ、俺はちょっとあかりの家に見舞いに行って来るから、その間に晩御飯作っといてくれ」

「はい、わかりました。リクエストはおありでしょうか?」

「そうだな……ま、冷蔵庫の残り物でいいや。今から買いだしに行くのも何だろ」

「はい、そうします。気をつけて行ってらっしゃいませ」

 セリオは、いつも通りの無表情で、ベコリと頭を下げた。

「あ、そうだ、セリオ」

「はい?」

「……愛してるぜ」

 ……っ!

 どこも痛くもないはずなのに、浩之の胸が、痛みを発した。

 浩之は、その痛みを、何とかギリギリのところで表情に出すのを止めた。

「……はい、ありがとうございます」

 セリオは、表情にこそ出てはいないが、浩之には喜んでいることは伝わった。やはり、メイドロボ だろうが、はっきりとした愛の言葉には弱いようだ。

 浩之は、見送ろうとするセリオを「ちょっと行ってくるだけだから」とキッチンに残し、一人 家を出た。

「……っふう」

 浩之は、家から出て、数歩進んだところで、大きく息を吐いた。

 それは、急に来た。

 はりのむしろのように、浩之の胸のどこかを傷つけるような痛みに、一瞬言葉を失ったのだ。

 すぐにそれは消えたが、それは、明らかな前兆だった。

 『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』……か。

 おかしな話だ、劣等感程度が、今健康な高校生が声もあげれないほどの苦痛を生むのだ。

 ……前兆が見られる……か。

 長瀬の言葉を浩之ははんすうしていた。

 もう、鋼鉄病の病魔は、浩之を蝕んでいるのだ。昨日の今日だというのに、早過ぎる気もするが、 現実にその痛みを感じて、浩之は認めないわけにはいかなかった。

 いや、前兆などというものではない。

 もし、あそこで浩之にセリオに心配させることを避けようとする気持ちがなかったら、胸を押さ えてその場にうずくまってしまっていただろう。

 セリオには心配をかけたくない、あの美しいシルバーメイデンが血の涙を流す姿を見たくない 一心で、浩之はその痛みを我慢していたのだ。

 まわりに誰もいないことを確認してから、浩之は壁にもたれかかって、胸を押さえた。

 まだ、完全に痛みが抜けたわけではなかった。

 ……おかしい、確かに長瀬のおっさんからは、鋼鉄病の恐ろしさは嫌と言うほど聞いたが、こんな 症状は聞いたことがない。

 だいたい、精神的にどうこう程度でこんな胸に激痛が走っているようでは、今の現代医学など 何も役にもたたないではないか。

 それとも何か? 理解している分、俺の方が普通の人よりも罪だってか?

 俺が、自分自身でメイドロボを見下しているのを認めたから、そして、それをまだ直していない からなのか?

 浩之は、ギリッと歯軋りをした。それは痛みに耐えて体を起こすことと、いるかいないかは別に して、神への怒りだった。

「なめん……じゃねえ」

 浩之は、息を殺しながら、そう言った。叫びたい衝動にかられるが、今ここで叫べばセリオが出て くるのは間違いないので、こらえる。

 かわりに、心の中で叫んだ。

 なめんじゃねえ!

 何で、たかが好きな女の子に愛してると言った程度で痛くならなくちゃいけねえ!

 なめるな、俺は、愛した女の子のためなら、こんな痛みなんて屁でもねえ!

「……俺は、セリオを、愛したんだ」

 今度は、まるでそれをやめろとでも言うかのように、浩之を頭痛が襲う。

 しかし、浩之は、痛みに耐えながら歩きだした。

 さっさとあかりの見舞いを終らせてしまおう。早くしないと、セリオに怪しまれる。

 浩之は、覚悟を決めていたのだ。それは、セリオを傷つけることと、自分がより多く傷つくこと へ対する覚悟。

 自分は血を流し切る覚悟。自分が他の場所で血を流しておけばそれだけ、あの美しいシルバー メイデンの空洞の目から流れる血は少なくなるのだ。

 だから、俺は我慢しよう。血を流し切るまで。そのメイドロボを見下すという罪を全てつぐない、 この痛みが消えるまで。

 浩之は、身体をひきずって歩き出した。

 

続く

 

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