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銀色の処女(シルバーメイデン)

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「ただいま、セリオ」

 浩之が玄関の扉を開けると、そこにはセリオが座って浩之の帰りを待っていた。

「おかえりなさいませ、浩之さん」

 そう言いながら、丁重に頭を下げた。それはまるでお客を迎える女将のようでもあった。

「おいおい、セリオ。もしかして、俺が出てからずっとそうしてたのか?」

 セリオはメイドロボなので、例え何時間そういていようと問題はなかったが、問題がないからと 言って浩之がそれを喜ぶわけもない。浩之は、とことんやさしいのだから。

「いえ、夕食の用意と、簡単な掃除は浩之さんがあかりさんのお見舞いにいかれた間に済ませ ました」

 あかりの部屋にいたのはそこまで長い時間ではなかったが、セリオが手際よくその仕事をこなして いたなら、確かに終わらせれない仕事の量ではない。セリオは高性能のメイドロボだ。家事はそれこそ もっとも得意とする分野だ。

「じゃあ、どれぐらいの時間ここで待ってたんだ?」

「およそ10分ほどです。時間的に見ても、そう時間もかからずに浩之さんが帰っていらっしゃる だろうと思ったので」

「10分でも、今の季節だと寒くないか?」

「私達メイドロボは温度を正確に感知することはできますが、通常日本で考えうる暑さや寒さに 対して動作が不安定になるということはありません」

「じゃあ、寒くはないのか?」

「寒いというものを感じることはできますが、それが人間の方のように弊害になることはないので、 それを不快とも思いません」

 メイドロボが痛みを感じるように作られているのは、本当の意味は別にして、傷がメイドロボに 弊害を及ぼすものだということが分かっているからだ。しかし、暑さや寒さは、よほどひどいことに ならない限り、ロボットであるメイドロボには関係ない。家事で問題が起きないように、メイドロボの 人工皮膚は煮えたぎった油がかかってもさして問題がないように作られているので、やけどという ものもない。

 むしろ、そういうことを感じるのが普通だと考える自分の「人間本位」の考え方の方がこの場合 は問題なのかもしれない。

 浩之は自分の言った言葉をそう考えて、口には出さずに反省した。こういう細かい態度が、こり 固まって、メイドロボを低く見ていることに通じているのかもしれなかったからだ。

 浩之の立場では、ほんの少しでも問題があれば改善していかなければならないのだ。

 浩之の最後の目標は、メイドロボを対等、またはそれ以上の相手と考えれるようになることだ。 そして、それによって浩之は『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンドローム)』を避けねば ならないのだ。自分のためにも、セリオのためにも。

 しかし、そう思ったからと言っても、このセリオの行動があまり好ましくないことだけは消しよう のない事実だった。

「セリオ、今度からはこんなおおげさに迎えなくてもいいからな」

「はい、私はこの方がいいのですが、わかりました」

 セリオは素直に答えた。このように自分の意見を組み入れれる時点で、他のメイドロボとはかけ 離れているような気もするのだが、セリオはいつも通り無表情だった。

「それでは、夕食の用意ができていますので、夕食にしましょう」

「あ、ああ」

 セリオは、すっと立ちあがって台所に向かった。メイドロボだから当然なのだが、正座をして いても足はしびれたりしないようだ。

 その無表情なセリオの横顔を見て、浩之はチクリと胸の痛みを感じた。

 それは、何も鋼鉄病のせいではなかった。いや、もしかしたら関係があったのかもしれないが、 鋼鉄病だけのせいではない、という表現が限界だろう。

 浩之の良心が、浩之の胸を小さな針で刺したのだ。

 セリオを人間としてまだ扱いきれていないことにたいする良心の呵責ではない。それがそうすぐに うまくいくとは楽天家の浩之でも思っていない。

 それは、あかりを見舞いに行って、気づかされたこと。

 あかりと無駄なことをしゃべるのは楽しかった。それはまあ問題ない。だが、一つだけ浩之は 自分で許せないことがあった。

 浩之はくつを脱いで家にあがると、すぐに台所に向かった。セリオのことだから、ほんの数分で 食事ができるだろう。これから自分の部屋に行く時間も必要もない。

 台所に入ると、セリオはてきぱきと食事の用意をしはじめた。もう作ってあるものをあたためたり もったりするだけなので、時間がかからないのは当然だが、さすが手際が良い。

 セリオを愛そうとすると襲う痛み。それが何で起きたとしても、浩之はそれを受け止めなくては いけないのだ。

 だが、俺はどうした。

 浩之は自虐的に心の中で笑った。少なくとも、表情に出さなければ、セリオは気づかないはずだ。 彼女はあかりではない。

 もしかしたら、あかりは俺のそんな態度に気がついていたのかもしれない。

 だからこそ、風邪をひいているにもかかわらず俺の相手をして、帰るときになったら少ししぶった のかもしれない。いや、あかりならそれぐらいのことは十二分にある話だ。

 あかりと話していたとき、俺の胸の痛みは完全に消えていた。いや、その原因であろうセリオが 近くにいないのだから、当たり前なのかもしれないが、浩之は他のことまで考えていた。

 あかりと一緒にいたとき、俺は安心していた。

 一緒にいることを、むしろ望んでいた。だが、セリオとはどうだ?

 浩之は何度も何度もセリオと一緒にいなければならないとは考えていた。実際、何をしても早く 帰ってセリオと一緒にいなくてはと考えていた。

 しかし、会った後、努力して長い時間一緒にいようとしていないのだ。

 むしろ、離れたいのではないかと思っているふしさえあった。

 今回は、痛みを消すためにいたしかたのないこととは言え、浩之はセリオから逃げるためにあかり の見舞いに行ったのだ。

 それは、セリオから逃げているのではないのか?

 俺は、自分を傷つけるセリオを敬遠しているんじゃないのか?

 そう思うと、浩之の心は沈むのだ。

 決心は鈍っていないが、それに身体も心もついていかないのでは、何のための決心なのか、分から なくなってくる。

「どうぞ、浩之さん」

「お、ありがと、セリオ。うまそうだな」

「はい、腕によりをかけましたから」

 その言葉は、セリオなりの冗談だったのだろう。実際スパイスはきいている冗談だ。

「セリオも言うようになったな」

「綾香お嬢様に教育を受け、浩之さんと一緒にいますから」

「俺はともかく、綾香に教育を受けたんなら当然だな。んじゃ、いただきま〜す」

 浩之は、あかりに見られたら絶対に「から元気」と表現される元気さで、会話を続けた。

 そう、浩之は、その罪悪感を消すために、わざとから元気になる必要があったのだ。

 セリオと一緒にいるのは痛みを伴う。

 あかりといるときは、俺は安心している。それこそ、セリオといるときとはまったくかけ離れた ほどに。

 問題は、きっと、鋼鉄病がなくとも、あかりと一緒にいれば安心できるだろうということ。

 ……これも、愛の一つなのか?

 俺は、あかりのことを……

 

続く

 

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