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銀色の処女(シルバーメイデン)

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 ヴヴヴヴヴヴッ

 志保は、その振動と音にビクッとベットに横たえてあった身体を振るわせた。

 眠いわけでもないのに、まぶたは重く、疲れてもいないのに身体がだるい。いや、疲れてはいる。 が、それは肉体的な疲労ではない。

 ヴヴヴヴヴヴッ

 志保の気持ちを察することもなく、その振動は消えることなく空気をゆらして、志保の鼓膜を 揺らす。

 志保は、そこから一歩も動きたくなかった。机の上に放り出されている音の正体、携帯電話を 取ることさえしたくはなかった。

 ヴヴヴヴヴヴッ

 それでも、携帯電話のバイブレーターは動きつづけていた。

 あかりの見舞いに行くのに、マナーモードにしていたのだが、そのままマナーモードを切るのを 忘れていたのだ。

 そっちの方が今はいい。志保はそう思った。

 もしマナーモードになっていなかったのなら、今は聞きたくもない着メロが大音量で流れる ところだ。

 今は、ただ静かに倒れたままでいたかった。いや、倒れていたいわけではないのだ。ここから、 動きたくなかったのだ。

 ヴヴヴヴヴヴッ

 携帯はしつこく振動を繰り返す。いいかげん相手も切っていいころなのに、いっこうに止む気配 がない。

 人が落ち込んでいるときに、一体何よ。

 志保は、どうしようもない怒りを覚えた。もし冷静なときに言われれば、やつ当たりだと言わ れれば否定できなかったろう。今でも、それを否定することはできない。むしろ、開き直って肯定 するだろう。

 今携帯にかけている相手に、志保は怒鳴ってやろうと考えた。人が落ち込んでいるときにわざわざ 携帯にかけてくる方が悪いのだ。

 それが、例え誰であろうと怒鳴ってやろう。後日何を言われてもかまわない、と志保は思って 重い体を起こした。

 どこかバランスを崩したような格好で、志保はふらふらと遠くもない机にたどりつくと、携帯をp 手にした。

 志保は、携帯のボタンを押すと、着信相手が誰かなど確認もせずに怒鳴った。

「うるさいのよ、静かにしてよっ!」

『てめえは電話に出るときは『もしもし』じゃなくて、怒鳴るのか?』

 志保はてっきり相手が突然のことで驚いて言葉を無くすと思っていた。その後は例え相手が何と 言おうと、やつ当たりをして切ってやろうと思っていたのだ。

 だが、意外にも相手はすぐに言葉を返してきた。

 しかも、その声は、いつもなら1番聞きたい声で、今は2番目に聞きたくない声だった。

「……ヒロ?」

『おいおい、着信ぐらい見ろよ。しかし、それだともしかして、ほんとにお前は電話を取るときは 相手かまわず怒鳴るのか?』

「そ……」

 志保は、一生懸命自分を取り戻そうとしていた。しかし、志保の意思とはまったく別のところで、 志保の口は動いていた。

「そんなわけないでしょ。あんたが相手だったからまずは先手を打ったのよ」

『何の先手だ、何の。俺はてめえに怒鳴られる覚えなんてねえぜ』

「携帯がうるさかったのよ、まじで」

 志保は、まったく何も考えていない。むしろ、頭の中は真っ白で、簡単な単語さえ思い浮かばない 状態だ。

 だが、志保の口は勝手に動いていた。

「人がベットで寝転んでるときに、携帯なんかならさないでよ」

『何だ、もう寝る前だったのか?』

「んなわけないじゃない。まだ寝るには早いわよ。あんたみたいな年よりと違ってね」

『……てめえとは、一度ゆっくりと話した方がよさそうだな』

「お互いにね」

 志保と浩之は、電話ごしに含みのある笑いをかわした。

「で、何かこの志保ちゃんに用?」

『あ、ああ、お前のバカ話に付き合ってて忘れるところだったぜ。あかりのところに見舞いに行って きたからな』

「……そう」

 何も考えてない頭も、勝手に動く口も、一瞬動きを止める。いや、頭の方はだいぶ前から動いて いないが。

『風邪と言っても別にひどそうでもなかったし、わざわざ見舞いに行く必要は無かったんじゃない のか?』

 その通りなのだ、あかりを見舞いに行く必要などなかった。もし、見舞いに行っていなかったら ……そうしたら、今こんなことにはなっていないのに。

「いいじゃないの、いつもあかりにはお世話になってるんでしょ。こういうときぐらい、やさしく しときなさいよ」

『……』

「……どうかした?」

 言葉の止まった浩之に、志保の胸は驚きで一瞬動きを止めそうになった。浩之の口調にはいつもと 変わるところはなく、あかりがあのことを言っている可能性は、あかりの性格を考えても極端に小さい が、それでも、志保は不安になった。

『なあ、志保。もしかしてお前……』

「な、何よ……」

『あかりに買収されたのか?』

「……バカ」

 ぶつっ

 志保は、浩之には見られるわけでもないのにじと目をしながら、携帯を切った。ついでに、携帯の 電源も切っておく。

 時計を見れば、もう人の家に電話をするには遅い時間だ。まさか携帯を突然切られたからと言って 家にかけてくることはなかろうと志保は思った。

 浩之の声を聞いて、自分が今くよくよしていることがバカらしくなってきたのだ。

 まったく、誰があんたのために悩んでるのか……

 それを分からないからこそ、浩之はそのままでいられることぐらい、志保も重々承知はしていたが、 それでも腹が立つのを押さえられなかった。

 何で、私はあんなやつを……

 そこに確実な理由があるとなどは、いくらそういうことに疎い志保でも考えなかったが、疑問と して消えるものではなかった。

 ヒロの存在が、私にどれだけ影響を与えているか、あのバカは分かっていない。

 志保は、明日学校に行く気が起きなかった。おそらく、明日にはあかりは元気になっているだろう し、浩之との話題と言えば、浩之の家のメイドロボに集中することは予測できることだ。

 ……明日、休もうかな。

 志保は、何故こういうことになってしまったか、その自分の責任を考えたが、それはどうやっても 避けようのないこととしか思えなかった。

 いつか、こんな日が来るとは思っていなかったわけではないが、それを受けとめるには、まだまだ 自分の心は非力だ。

 志保は、あかりに言ってしまったのだ。もっとも口にしてはいけない言葉を。

「だったら、私はヒロを自分のものにするわよ……か」

 宣戦布告、誰が聞いても、そう聞こえる内容だ。

 だが、志保は後悔していた。志保は、あかりとだけは争いたくなかった。

 あかりは、志保にとって1番大切な親友だから。

 志保は、明日は学校に行きたくない。いつ行きたくなるかなど分からなかったが。

 

続く

 

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