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銀色の処女(シルバーメイデン)

85

 

『……バカ』

 その言葉とともに、ブツッと電話は突然切れた。

 ツーッ、ツーッ、ツーッ

 どこか物悲しい音に、浩之は顔をしかめた。

「ったく、電話を途中で切るなよな」

 浩之は自分のことは棚にあげてリダイヤルボタンを押す。

 ……

 しばらくの沈黙ののち、よく聞く声だが、見たことはない録音の声が流れる。

『現在、電源が切れているか電波の届かないところに……』

 浩之は、もう一度リダイアルをしたが、結果は同じだった。

「あいつ、携帯の電源切りやがったな」

 志保の部屋には携帯の電波は届くはずであるし、今の時間に志保が電波の届かないような場所を うろついているわけもないので、浩之はそう判断した。

「まったく、何だってんだ」

 浩之は、受話器を手にしたまま悪態をついた。

 とりあえず、志保にちゃんとあかりの見舞いに行ったことを教えようと電話しただけなのだが、 向こうから急に切られるのは理不尽としか言いようがない。

 それにしても、最後の志保の口調は、少しおかしかった。内容はいつも通りなのだが、最後の 「バカ」の口調には力がなかった。

 ……何か悪いもんでも食ったのか?

 そんなわけはないのだが、浩之はそう自分の心の中で冗談を言ってそこから頭の中を離した。

 いつもの浩之なら、志保のおかしな部分にもっと気を向かせて、何かあると考えるところなの だが、今は浩之には余裕がなかった。それに、浩之は意識的にそれを無視していた。

 そう、浩之には余裕がないのだ。この志保への電話も、単なる時間稼ぎでしかないのだ。

 しかし、本当に少ししか時間稼ぎができなかった。本当なら10分ほどは電話をしようと思って いたし、おそらく志保のことだから、長電話になる可能性も高かった。

 だが、志保はすぐに切り、浩之は時間かせぎをする方法をなくした。

 それを合図にするように、キッチンからセリオが出てくる。どうも食事の片付けは済んだよう だった。

「浩之さん、どちらにお電話をかけていらっしゃったんですか?」

「あ、ああ、志保のところだ。今日、あかりのところに見舞いに行けってうるさかったからな。 一応行ったのを教えとこうと思ってな」

 浩之は、少し疑問に思った。

 セリオはメイドロボだが、メイドロボはこのように主人、この場合は主人ではないが、に電話 先を聞いたりするものなのだろうか?

 確かに、会話をつなげようとする意味はあるだろうが、単にメイドロボとしての機能を考えれば そんなことはしないはずである。

 まあ、セリオは俺の恋人だし、別に聞いてもおかしくはないんだけどな……

 それはつまり、セリオはセリオで意識的に「対等な恋人」であろうとしているのだろうか? それ ともそれは無意識のうちに?

「そうですか。志保さんは友達思いなのですね」

「友達思い? あいつが?」

 浩之は一瞬鼻で笑いそうになって、確かにそうかとも思ったが、やはり鼻で笑っておくことに した。

「単なる気まぐれだって。セリオは志保とは付き合い短いもんな」

「そうでしょうか?」

 セリオは志保と付き合いが短い。だからこそ、志保の本心を見ることができたのだろうと浩之 は考えた。

 普通の志保の態度からは、そんなことは思わない。志保はいいかげんで、うるさくて、とても 友達思いなどと言われる行動を取ってきたわけではない。もちろん、浩之には志保が実際のところ、 友達思いな部分があるのは心得ているが。

 浩之は、受話器を置いた。時間稼ぎには失敗したが、だからと言ってこのまま受話器を持って 立っているわけにもいかなかったからだ。

「セリオ、もしかして、やきもちか?」

「……言っていることの意味がよく分かりません」

 セリオはしばらく考えてからそう答えた。話をごまかしている顔でも、もちろんいつもの無表情 な顔なのだが、なかったので、浩之は苦笑した。

「いや、恋人の電話相手を気にするようになったら、いっぱしの恋人同士だと思ってな」

「そんなつもりはなかったのですが……」

 セリオは言葉を濁した。それは照れているというよりは、悪いことをしたと思っているような 態度にも取れた。

「おいおい、セリオ。別に責めてるわけじゃないぜ。それよりも、セリオがちゃんと自覚して きだしたと思ったんだけどな」

「そう言われれば、確かに電話の相手を聞くようなことはメイドロボの基本会話プログラムには ないものですが」

「だったら、やきもちだな」

「そう……なのでしょうか? 正直、やきもちというのはよく分かりません」

 そう、セリオには、やきもちの意味はわかっていても、その気持ちは少なくとも意識できる ところにはない。

 もともと、メイドロボは人を愛しても、それは独占欲が出るような部類の愛し方ではないのだ。

 人間を、メイドロボとしてはいつも愛してやまない。ただ、それは限りなく献身の立場であり、 それは独占にはつながらないのだ。

 もし、浩之がセリオの他の女の子に手を出したとしても、向こうも合意の上なら、セリオは 気にしなかったろう。

 セリオは確かに浩之を恋人として愛してはいるが、その愛を独占したいとは思っていない。 むしろ、今愛されていることさえ必要としないかもしれない。

 セリオの独占欲は、唯一、浩之のそばでお世話をしたい、それだけだった。

 だがそれ自体、セリオは独占欲を知らないので自分でわかっているわけではないし、浩之も、 そんなセリオの内を全て読めるわけではないのだ。

 だったら、何故電話の相手を聞いたと聞かれれば、答えようもなかったのだが。

「浩之さん、お風呂の用意はできています。すぐに入られますか?」

「ん、ああ、そうするか。明日も忙しそうだしな」

 浩之は、すぐにお風呂に向かおうとして、ふと立ち止まった。

「……セリオ」

「はい、何でしょうか?」

「一緒に風呂入るか?」

 セリオは、珍しく熟考してから、いつも通り、浩之の目を見ながら答えた。

「……はい」

 ズキンッ!

 浩之の胸がそのときになって、急に痛みだした。

「くっ」

 とっさのことで、浩之は不覚にも声をあげて胸を押さえてしまった。

「浩之さん!?」

 セリオは、あわてて浩之に駆け寄った。セリオも恐れているのだ、浩之が鋼鉄病におかされる ことを。浩之が、苦しむことを。

「浩之さん、どうしたんですか。まさか……」

 浩之は、腹を押さえながらゆっくりと立ちあがった。

「……いや、どうも腹痛のようだ」

 浩之はそう言うと、セリオの手を振り切ってトイレに向かって走り出した。

「セリオ、正露丸用意しとけ!」

 それだけ言うと、浩之はトイレに駆け込んで、鍵を閉めた。

「……はっ!」

 なるべく息を殺して、浩之は痛みに耐えながら息を整えた。

 下手ないいわけだったが、とっさに思いつくのはこの程度しかなかったのだ。それに、おそらく 胸を押さえたのは一瞬だったので、セリオも見ていなかっただろう。

 しかし、どうしたものか……

 浩之は無様にトイレで胸を押さえながら思った。

 このままでは、セリオにばれるのは時間の問題だろう。何とかして隠すことができないだろうか。 何とかして……

 このままでは腹痛は嘘でも、ストレスで胃は荒れそうだった。

 

続く

 

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