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銀色の処女(シルバーメイデン)

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 しかし、どうやってごまかしたものか……

 トイレに入ってはや数分、浩之はそんなことを考えていた。

 一応は腹痛で通すつもりではあるが、セリオも「まさか」と言っていたところを見ると、鋼鉄病 なのではと勘ぐっているようだ。

 まあ、それも仕方のないことだな。セリオは俺の身を案じて、一度俺から離れようとしたのだ。 それを最初に考えるのは想像に難くない。

 そして、鋼鉄病ならば、おそらく俺がそれを隠すことも……やっぱ分かってるんだろうな。

 浩之にはそこが気がかりでならなかった。セリオは聡すぎる。浩之の気がついて欲しくない部分 まで気をつけてしまう。こういう場面では、あまりにも高性能に作りすぎた長瀬に怨みまで感じて しまいそうだ。もっとも、長瀬と研究員達が、それこそ娘のように作ったからこそ、今のセリオが いて、浩之が好きになってしまったというのだから、怨むなどできない気もしないでもないが。

 あまり長い時間を空けても、おそらく余計に心配するだろうことも予測できたので、浩之は仕方 なく、トイレの水を流して出た。

 手を洗い、おそらくキッチンにいるであろうセリオのところまで行く。

 セリオは、扉が開いた音に気がついて、すぐにキッチンを出てきた。もちろん、手には言われた 通り、正露丸が握られていた。片手には水の入ったコップも用意してある。

「どうぞ、浩之さん」

「おお、ありがと」

 浩之は、平静を装って、普通通りの態度を取ることに勤めた。正露丸を受け取ると、それを水で 飲みこむ。しかし、何故腹痛には絶対正露丸なのだろうか? などといらないことに気を回したりして みるが、セリオはその浩之の態度をじっと観察するように見ていた。

「ほい、セリオ。コップだ」

 浩之からコップを受け取ると、セリオは言いにくいはずの言葉を、目をそらすことなく浩之に 訊ねた。

「浩之さん、さっきのは、『鉄色の処女症候群(アイアンメイデンシンフドローム)』の症状で しょうか?」

「ん?」

 浩之は、努めて平静を装い、それを笑って流した。

「いくら何でも、あれが腹痛まで起こさせるわけないだろ。精神的なもんって言ってたから、胃が 荒れることはありそうだけどな。だいたいセリオの持ってる情報の中で、腹痛はあれの症状に入って るか?」

 長瀬には言い含めてある。前兆があることは、セリオの耳には入れないでくれと。長瀬はそれを 承諾した。いくらセリオでも見ることのできない、外部からは完全に隔離されたコンピューターに その情報は入れられているはずだ。

「いえ、ありません。しかし、念には念を入れておいた方がいいので」

 浩之は内心冷や汗物だった。腹痛が症状として含まれているかどうかなど、本当は知らないのだ。 これで含まれていたら、また違う方向で言いくるめなければならなかったところだ。

「心配するなって。こう見えても俺は病気にはまずかからないんだぜ。中学のときも皆勤賞を 取ったぐらいにな」

 浩之は冗談であせりの表情を消した。あまり自然とは言い切れないが、小細工をしなければばれる のも目に見えている。

「にしても、俺も腹下すような物食べったっけかなあ?」

「少なくとも、家で食べたものに関しては、食べ合わせまで自信を持って問題ないと言い切れます。 何か他の場所で食べたものは?」

 メイドロボは、人の世話が本職なのだから、そういう衛生上の問題はかなり気を使っているのだ ろう。食べ合わせまで考えるというのは、ある意味最新機種とも思えないところではあるが、作った 者までが最新機種なわけではないので、そういうものなのかも知れない。

「帰りにアイス買ったけど、そのせいか?」

 浩之は、また嘘をついて話を続けた。嘘を嘘でカバーする。泥沼ではあるが、今はそれしか手が ないし、いつかばれるにしても、それはより後の方がいいに決まっている。

 セリオの苦しみは、おそらく浩之の苦しみを越えるだろうから、ここで自分ががんばらないと、 何のための恋人か、と浩之は思っていた。

「この寒い季節にアイスですか?」

「寒いって言っても、夜とかはだろ? 昼間はまだ激しく動いたりすると暑くなるぜ」

「何か激しい運動でも?」

「いや、ただ食べてみたくなってな。ま、そのせいで腹を壊したみたいだから、暖かくなるまで アイスは食べないことにするわ」

「そうしてください。アイスは、身体に良いとは思われかねます」

「分かった分かった。まったく、セリオは心配性だな」

 浩之はそう言って笑ってごまかした。嘘も何とか通せて、この話は流せそうだったので、安堵の 意味で笑った部分もある。

 浩之の身体をことを心配するのは、鋼鉄病のことがあるからだろうか? それとも、単に元から メイドロボに備わった人を気遣う心だろうか?

 どちらにしろ、それは元来「ロボット」が持っていると思われているものとは大きくかけ離れて いるものだ、と浩之は思った。

 それを、もっと多くの人に知らしめれば、人間は段々とメイドロボ達を自分達より下などとは 思わなくなるのだろうか。

 それとも、それを知っただけで、人間は劣等感に苛まれるのだろうか?

 今手にしているものが、人間の滅亡に一役かうのではないかとさえ思える。だかが一役、されど 一役、そのカードは、浩之の手にはえらく大きい。

 そして、そのカードを持っているのは、一体誰なのかも、今は判別できない。ただのブタになる のか、それが浩之にとっての、死神(ジョーカー)になるのか、それさえもまだ未来の話だ。

「さて、じゃあ風呂入ってくるわ」

「……はい」

 浩之は、セリオを誘わなかった。ほんの少しだけセリオが言いよどんだ気もしたが、気のせいだと いうことにしたし、気付いてないということでもよかった。

 また胸が痛みだしてはかなわなかったからだ。それが風呂場で襲ってきたら、今度は隠しよう がない。

 今度は、幸運なことに、胸の痛みは起こらなかった。

 浩之は、脱衣所で服を脱ぐときに、ふと思った。

 もしかして、今さっきの胸の痛みはエッチなことを考えた天罰か?

 それだけのことなら、どれだけいいことだろう。浩之は、そう思ってため息をついた。

 

続く

 

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